第53話 もう一人の左腕

 白富東が戦力の低下で苦難している間にも、甲子園の試合は進んでいく。

 おおよそのデータ通り、帝都一、福岡城山、春日山、仙台育成は一回戦を突破していた。

 そして大会六日目。

 一回戦を回避出来たチームの中で、最も運が悪かったと言える二校。

 優勝候補の筆頭大阪光陰と、対抗馬神奈川湘南の試合が始まる。


 この試合だけは見なければと、大観衆の中なんとか席を確保した白富東。しかしベンチ入りメンバーの分で精一杯だった。

 もっともジンとセイバーは伝手をたどって、色々な角度からこの試合を分析しようとしている。


 下手をすれば決勝並の激戦が予想されるこの試合。

 神奈川湘南はエース玉縄が先発。しかしそれに対して大阪光陰は、二枚看板である三年の150kmコンビを使わなかった。そしてようやくベンチに入った豊田でもない。

 マウンドに登ったのは、背番号18を付けた一年生。真田真之が、投球練習を開始していた。




 スパーンといい音を立ててボールがミットに収まる。

「速ええな」

 大介が見る限り、単純な球速では測れないボールを投げている。

 上杉の圧倒的なストレートとも、直史の超絶技巧のコンビネーションとも違う、また一つの投手の形。

 あの理聖舎を七回まで一安打、二四球に封じたのだから、全国でも通用するのは当然である。


 しかし、相手は神奈川湘南だ。

 ドラ一確定の実城を中心として、六番まではホームランを打てるバッターを並べている。

 だからと言って大味なわけでもなく、つないでいくバッティングも出来る。

 超高打率の三番がいる名徳と、かなり似た打線ではなかろうか。そして投手力では名徳を上回る。

 甲子園直前にセイバーが算出したチーム力では、一位が大阪光陰、そして二位は帝都一。

 ほとんど差のない三位が神奈川湘南であった。


 だが、一回の表、神奈川湘南の攻撃。

 大石、藤田、玉縄という強打者を、真田は三者三振で切った。


「こっからじゃ分かりにくいけど、スライダーか?」

「大石と藤田ははっきり腰が引けてたな」

 ワンセグで見る限り、打者の左右は関係なく、スライダーを初球で見せている。

 左打者には逃げていく、右打者には胸元に迫る、すごい変化量のスライダーだ。

「高速スライダーだな。140近く出てるぞ」




 一回の裏、大阪光陰の攻撃。

 玉縄も負けじと、三者凡退で終わらせる。

 この表裏だけで、投手戦の様相を呈している。

「少なくとも三回までは動かないんじゃね?」

 大介の予想は当たった。


 真田と玉縄の投げ合い。

 これこそまさにエース対決と言えそうだ。

 お互いの四番も凡退し、追い込んでからは三振狙い。

 ドラ一候補の玉縄と、一年坊主が互角に渡り合っている。

「俺の目から見ると、加藤や福島より、こいつの方が厄介だと思うんだけど」

 センバツで敬遠気味に勝負された大介には、そう見える。


 左打者にとっては、まるで背中から切れ込んでくるようなスライダー。

 それは逆に右打者にとっては、胸元にえぐりこんでくる。

 その後のアウトローのストレートを打てない。

 分かっていても、一打席目は打てない。


「これにシンカーとカーブがあるんだよな?」

「カーブはなんでか全然使ってないみたいだけどね」

 直史とジンはそれぞれ、真田の配球について考える。

 リードしてるのはキャッチャーの竹中だろうが、割と首を振る回数は多い。

 だが一度振って、次の球種には頷いている。バッテリーの間には適度の緊張感があるのだろう。


 四回の表、ツーアウトまでは無難にしとめたものの、三番の玉縄には粘られる。

 そこで投じたのが、高めの甘い球。

「あ」

 その球が、玉縄のバットから逃げるように外に沈んだ。

「今のがシンカーだよな?」

「球速は119kmか。緩急差もあるし落差もあるから打てないな」

「でも真田のシンカーって、高速シンカーじゃなかったっけ?」

 情報がまだ不足している。しかしデータにない球が見れたのは良かった。




 そして四回の裏、ようやく試合が動いた。

 大阪光陰、一番の堀がレフト前に綺麗に弾き返したクリーンヒット。

 両チームで初めてのヒットである。

 しかしここで玉縄は一段ギアを上げる。

 ランナーを進めようとした二番竹中、三番小寺を三振に取り、四番の初柴。

 これもツーストライクまでは追い込んだものの、決めるつもりの直球を狙われた。


 速い打球が右中間を破る。堀は俊足。一塁から長躯ホームを狙う。

 クロスプレイとなったがセーフ。ただし三塁を狙った初柴はアウト。

 後続の勢いこそないものの、大阪光陰が先取点を奪った。




 試合の流れは、まだ決定的なものとなってはいない。

 あそこで無理せずに初柴が二塁に残っていれば、色々な手段が使えたのだ。

 高校最高レベルの選手である初柴でさえ、この舞台、この相手ではあせりがあるということだろうか。

 点を取られたとのすぐ表、四番の実城がフェンス直撃のツーベースヒット。続く大道寺が大きなライトフライでタッチアップ。三塁まで進塁。

 しかし次の松田にヒットが出ず、三塁に実城を残して五回の表は終わった。


 追加点が欲しい大阪光陰だが、一点を取られても玉縄は乱れない。

 三年生最後の舞台で、巧打の大阪光陰を、三振を含めて適切に打ち取っていく。


 一方の真田も負けておらず、三振を多く取りながらも変化球で打たせてもいる。

 死球を一度与えてしまったが、その後も崩れることなく後続を絶つ。


「今のデッドボール、失投か?」

「抜けた球だったよね。配球的にスライダーがすっぽ抜けたのかな?」

 ジンの言葉はおそらく正しいだろう。

 真田のストレートはゾーンに上手く制球されているが、スライダーはそこそこボールになることも多い。

 だが見極めは難しい。下手にボールと判断すれば、見逃し三振になるかもしれない。球が斜めに入ってくるからだ。

「フルカウントからはストレートが多いかな?」

 ジンはそう言うが、フルカウントからはストレートを投げたいのは、ピッチャーだけでなくキャッチャーとしても当たり前だろう。

 すぐ傍に平気で変化球をコントロールしてくるピッチャーがいるので、感覚が麻痺していくのは分かるが。


 スライダーの後のストレートで三振。

 シンカーでもいいが、変化球で追い込んでからはストレートで三振を取っている。ピッチャーとしては理想的な三振の取り方だ。

「あいつら気付いてねえのか?」

 不意に大介が呟いた。

「気付くって、何が?」

 ジンが問う。こと野球に関しては、大介の観察眼は非常に正しい真理を発見する。

「普通のストレートと、変化球で追い込んでからのストレートは種類が違う」


 言われて思い出す。真田のストレートは、軌道が特殊なのだと。

 だが普段のストレートと、二種類を使い分けている。

「シンカーは特に沈む球だから、その後の落ちないストレートがより効果的、ということかな」

「多分な。スライダーも少しは沈んでるし。スルーとはまた別のアプローチだけど」

 打ちにくい球という点だけは共通だ。




 回は終盤に入る。

「確かデータにあったストレートは一種類だったから、甲子園まで隠してきたわけか」

 思わずうなるジンである。ならば理聖舎は全力を出さなかった真田の前に、完全に封じられたということである。

 想像していた以上に厄介な投手であるし、このピッチングをここまで温存していた大阪光陰も底知れない。

 もっともそれを出さざるをえないほど、神奈川湘南が強いチームだということもある。


 真田の投球には、力がある。制球はやや乱れてきたが、むしろ球威は上がっている。

 七回と八回を、また三者凡退に抑える。

「つーか一年の体力か、あれ」

 大介の関心はほとんど真田に向けられているため、普段からはありえない知的な発言がどんどんと出てくる。

 同じ投手として直史の目から見ても、下半身の粘りが凄い。

 制球が乱れてきているのはむしろ、球威が上がっているからではないか。


 そして八回の裏、大阪光陰はヒットで出た先頭ランナーを二塁に送る。

 おそらくここで一点取れば、試合の流れは決まる。

 下手に追加点を取って相手を発奮させるということもないではないが、ここまでの真田の投球を見れば、神奈川湘南の攻撃は粗くなるだろう。

 三年が主力の夏の甲子園。ここで負けたら国体もないし、三年は完全に引退だ。

 今後の野球人生を考えた場合、最後の夏で活躍しておくにこしたことはない。


 そう考えているのなら、神奈川湘南は負ける。

 そして止めを刺すために、大阪光陰は代打を出した。六番打者に送られた一年生は、とてもそうとは思えない体格をしていた。

 長打も打てる六番に、一年生を代打に送る。

 一年の後藤。春の近畿大会では、一年ながらベンチ入りして代打で活躍し、優勝の大きな要因となった。双子が仕入れてきた情報が正しければ、確かに切り札だ。

 ちょっとした怪我で予選は間に合わなかったが、真田と共に次代の大阪光陰を引っ張っていく選手だ。

 もっとも今年の一年には、さらにもう一人ベンチメンバーがいる。


 ここが勝負どころだと、玉縄も分かっている。

 呼吸を整え、渾身の力を込めるストレート――ではなく、まずはボールから入る。

 慎重だ。一年だからといって侮ってはいない。

 ここで出せる一年を、侮る理由にはならない。


 カウントが進みフルカウント。

 データの少ない打者であるのだから、下手に勝負をするのは悪手だ。

「俺なら歩かせるけどなあ」

 直史はあっさり言うが、神奈川湘南のエースが、一年生相手に逃げるわけにはいかないだろう。


 勝負。

 インハイへのストレート。150kmを超える。

 腕を折りたたんだ打った後藤の打球は、レフト線を抜ける。

 初柴が二点目のホームを踏んだ。




 おそらくこれで勝負は決まった。

 だが二点。

「下手にピッチャー代えたりしたら、そこで逆転あるぞ」

 今日は冴えに冴えている大介であるが、大阪光陰の木下監督もそのあたりの機微は弁えているらしい。

 最終回のマウンドに真田が登る。


 そして先頭バッターは四番の実城。

 ここでホームランを打たれても、まだ一点の差があることはある。

 しかしそんな弱気なピッチャーが、世界を制することなどありえない。

 実城に投げた球は、胸元に変化してくる高速の変化球。

「あれが高速シンカーかよ」

「ここまで温存してたのか」

 優勝候補の対抗馬相手に、ここまで。


 次の球も、今日初めて見せる球だった。

 シニア時代は唐竹割などと称された、縦に落ちるカーブ。

 タイミングを外された実城は振らない。


 ツーナッシング。ここからいくらでも、釣り球を使える。

 だが真田は首を振った。そして一度振らせた竹中は、次は満足のいく配球を伝える。

 三球勝負だ。

「ストレートか?」

「カーブの後だ」

「ストレートならついていけない」

「いや」

 他のメンバーの意見を否定する直史。

「俺ならスライダーを投げる」


 左打者の実城への、三球目。

 外角へ逃げていくスライダー。追いかけた実城のバットは、打球をサード正面に。

 グラブをぶち抜くほどの衝撃であったが、打球はライナーアウトであった。




 山は越えた。

 だがまだワンナウト。大道寺も松田も、ホームランを打てる打者だ。

 わずかに気が抜けたのか、大道寺には綺麗にセンター前に運ばれた。しかし松田は進塁打こそ許したがアウト。


 九回の表、二点差でリード。ツーアウトでランナーは二塁。

 代打に出てくるのは、地方予選でもホームランを打っている代打の切り札。

 諦めるにはまだ早い。

 だが一打席で結果を求められる代打とは言え、初見であのスライダーなどが打てるものか。


 ストレートが高めに浮いたが、球威でそのまま空振りを取る。

 スライダーとカーブでカウントを整える。

「決めにくるな」

 まだボール球を二つ投げられる状況だが、大介の感覚には分かる。

 ストレートだ。分かっていても打てないストレートを投げる。


 予想通りにストレート。

 高めに大きく外れる球を、バッターは振ってしまっていた。

 ゲームセットだ。


 終わってみれば被安打二、四死球二、完封。

 天下の神奈川湘南相手に、鮮烈なる甲子園デビューであった。




 強い。

 感じたことを一言で伝えるならそうなる。

 宿舎に戻ってきた白富東は、さっそくセイバーからのデータも受けて、分析にかかる。

「お前ら、名徳の分析はもういいのか?」

 空気を読まずに直史は突っ込む。

「今までにあるデータは完了してるし、真田に目処をつけないと、集中できないよ」

 ジンの言い分にも一理あるのだが、まずは目の前の試合だろう。

 極端な話をすれば、大阪光陰が途中で負ける可能性だってあるのだ。

 神奈川湘南には当たったが、まだ帝都一が残っている。


 明日の名徳に関しては、確かに分析は完了している。

 先発は岩崎で、とりあえず復調しつつある武史に登板の予定はない。

 直史はスタメンにはいないが、代打でヒットを要求されることはあるかもしれない。

 だが左打者相手に直史が登板した場合、そのままレフトに入る可能性は高い。

 桜島相手にはほとんど投げなかったスルーが、名徳には打てるだろうか。


 真田か。

 今の段階では、武史よりもかなり上のピッチャーと言える。

 だがそれは、真田が安定しているからだ。武史に安定感が加われば、互角に投げ合える。

 そもそも一年生なのだから、武史は最後まで相手をしなければいけない。

 大変だなと思う直史は、自分自身は全く大変だと思っていなかった。 

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