66 冷蔵庫と保護者代わり
透き通った青い石はカチリと音を立てて一つの溝にはまり、一瞬キラリと輝いた後、とても冷たい空気を生み出した。
実の所、ハウシュタットにある自宅には保冷庫は付いていたのだ。
家に存在していた私の身長より一回り小さな四角い箱は、魔石がなかっために使う事が出来なかっただけの正真正銘の保冷庫。
一度家を経由して魔石を買いに行こうとしていた私を前に、スヴェンが発見したものである。
本来ならば魔石と保冷庫本体を購入しなければならなかったがそのおかげでお金も手間も浮き、こうも簡単に保冷庫を手に入れられたのだ。
しかし予想外に氷の魔石の価格が高く、私だけでお店に訪れても買うことはできないだろう。
何せ魔石店の亭主は私を見て鼻で笑ったのだ。
全くもって腹の立つ亭主だった。だからもう、あそこでは買わない。
「ーー保冷庫が手に入ったって事はお刺身も食べられるね! ギルドに行くついでに今日は魚を買いに行こう」
若干苛つく心を鎮めるように私は頭の中で美味しいお刺身を思い浮かべ、ゴクリと喉を鳴らした。
スヴェンのご機嫌が悪かったここ数日、ギルドにもニコラにも薬草を届けていない。
お刺身という酒の肴を餌にすればスヴェンは喜んで薬草の採取も買い物の荷物持ちもしてくれるだろうし、新鮮な魚を買い込んでも大丈夫だろう。
一人で決めて一人で納得し、私は保冷庫に頭を突っ込んだまま動かないスヴェンを引きずるようにして庭へ向かったのである。
庭で採取する薬草は何時もと同じアマドロロとウキョウ、オオタネニンニンとカナムッ草。それに加えてニコラに頼まれていたエンジ色の葉のシンユ草と藤色の花のシタン草も採取する。
後者二つは傷口を癒す効能を持つ草と魔力を回復できる花だ。
こられは生息が確認されている場所が少ない為に高価で手に入りにくい物らしいが、私の庭では雑草並みに生え放題の取り放題。
その事を知らなかったスヴェンの目が点になってしまうほどに繁々としている。
「スッヴェーン! ちゃっちゃっと採ってよ!」
何時もよりも大きめの籠を渡して手を引けば、スヴェンはぽかんと口を開けたまま私を見やり、そして呆れたようにため息を落とした。
「ーー何なんだよお前、ホント何なの。もう驚く事はないと思ってたのよぉ」
クソっと舌打ちをしながらもスヴェンは私の頭に叩き、そしてまた深く息を吐く。
私はそんなスヴェンの尻を蹴り上げてニヤリと笑い、いそいそと薬草を積み始めたのであった。
数分程で二つの籠には溢れんばかりの薬草の束が詰み重ねられ、その中でシンユ草とシタン草だけを抜き取り量を分ける。一方の籠にはシンユ草とシタン草を沢山は入れ、もう一方には普通の薬草とおまけ程度の高価な薬草と偏った分け方をする。
それはニコラに届ける方を多めにする為でもあるが、ギルドに、迷惑な薬師達にその二つの薬草を沢山渡さないための嫌がらせでもあるのだ。
いやに最近私の周りにウロチョロする輩が増えてきたと思っていたら、どうやらそれは私の薬草目当ての薬師が増えた事が原因らしい。もしもその状況で珍しい薬草も大量に取れるとバレればもっと厄介なことになり兼ねない。
本当ならばギルドにだって卸したくはないのだが、
薬草に困った薬師勢は私が捕まらないとわかるとベルタに詰め寄ったらしく、困り果てた彼女は私に良い薬草が取れれば回してくれと深く頭をさげて懇願したのである。
流石の私も泣いている女性に嫌とははっきり言えず、ニコラに持っていくもののついでならばと許可した次第だ。
面倒臭いなとか、厄介だなとかとしかめっ面でニコラの家へ二人で向かったのだが、私達を迎え入れたのはソーニャではなくこれまたしかめっ面をしたニコラであった。その眼鏡の奥の瞳をギロリと光らせて、一心にスヴェンを睨みつけているようにも見える。
どうしたものかと首を傾げながらも薬草の入った籠を前に差し出すと私の方など見向きもせず受け取り、視線はスヴェンから逸れる事はない。
ニコラは一際するどい視線をスヴェンに向けたまま、重々しく口を開いた。
「小娘、此奴は誰だ」
「誰だと言われても、ただのスヴェンだよ。 私をよく小突く、私の良き理解者。よく小突くけど、いい奴だよ」
警戒心剥き出しのニコラの前にスヴェンを押し出し、私よ良きパートナーだと紹介をする。
ニコラからしてみれば私がいきなり見知らぬ人を連れてきたと思ったのだろう。
挨拶をしてと急かすようにスヴェンの足をければ、思い出したかのように片手を出してスヴェンは名を名乗った。
「保護者代わりをしているスヴェンと言います。リズエッタとの付き合いは中々面倒な事もあるかと思いますが、お互い諦めましょう」
そのスヴェンの言葉に私は顔を歪めるが、ニコラは思い当たる部分があるのか二度頷き、そして差し出された手を取った。
漸く同士を見つけたという瞳で二人は熱く握手を交わし、互いに頷き合う。
そんな様子に面倒臭い人間で悪かったと悪態を吐いてみれば、それもまた個性だと意味のわからないフォローをニコラに入れられた。
全く、人を何だと思っているのだろうか。
「ーーとりあえず、これは今日の納品分です! 私たちは今から街へ向かうけど、何か必要なものはあります? もしくはギルドに納めるものとか」
もう一方の籠を掲げながら首を傾げるとニコラはその籠を奪い取って中身を確認し、そしてまた眉間に皺を寄せて舌を打つ。
その様子を見ていたスヴェンは意味ありげに頷き、冷ややかな瞳を私に向けたのである。
「此奴は常識やら良識やらを何処かに捨ててきちまったみてぇで……。今の所持ち合わせてるのは食い気と自己愛くらいなんですよ」
「ーー嗚呼、全くだ。もう少し自分の異常さを理解させた方がいいぞ。毎回とばっちりを食らうのはあんただろうに」
「でもまぁ、とばっちりを食らってもいいと思えるもんを此奴は持ってやがるんでね。なるべく目を離さないようにしてますよ」
スヴェンはそう言うと深く息を落とし、ニコラもそれに続いて息を吐く。
ここまで私を貶す二人に多少気分は悪いが、私が異常な事は誰よりも自分自身が知っているために反論は出来ない。
加工品の商売にしろ薬草にしろ、きっと私だけの問題だとしたらとうの昔に私は何処かのお偉いさん方に囲われてしまっていた可能性だってあるのだ。文句ばかりは言っていられない。
そのことを踏まえればスヴェンとニコラはどこかしら防波堤になってくれているのだから、何も出来ない無力な小娘の私は黙っているのが正しい選択なのだろう。
「ーー面倒臭い小娘で申し訳ないですが、もういいっすかね?」
「嗚呼。街に行くならギルドに薬を納めてきてくれ、頼んだ」
「はいなぁー」
無気力気味な返事を返しながら品を預かり、一礼してからスヴェンを引き連れて私は街へと向かう。
道中、ニコラはどんな人物なのかをスヴェンは私に問い、そのついでに私が今から持っていく薬草がどんなに貴重なものかと説教混じりに教えられた。
「もし今後も納品してくれって言われたら分からないとだけ答えろよ。頼むから了承はするな、絶対だぞ」
「わかったよー。いくら私でも自分の首を絞める事はしないよ」
注意深く何度も何度も断れと繰り返すスヴェンにうるさげな返事をしながらも私は和かにゆっくりと頷いた。
仕事をしてお金を貯めて、老後安定した暮らしをしたいのは山々だ。
だが、その為に今の時間を犠牲にしたくはないし、働き詰めはもってのほか。
やりたい事だけやって、好きなことをして生きる。それが私の人生設計なのだ。
「まあ、もしなんかありそうだったらスヴェンが守ってよ。保護者代わりさん」
ニヤリと笑ってスヴェンの膝を蹴り、わたしはそのまま走り出す。
真後ろから呆れたような溜息と、それでも陽気的な微かな笑い声をあげて、スヴェンは私の後を追った。
もちろんリーチの差で直ぐに追いつかれ頭を小突かれるのは、ご愛嬌だろう。
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