閑話08 少女


 


 リズエッタ。

 そう名乗る少女が現れてから彼らの生活は一変した。


 いつ死んでもおかしくはない生活。

 空腹に耐えゴミを漁る日々。

 病にかかった誰かを、見殺しにする日常。


 生きるために仕方なく盗みを働けば罵られ殴られ、仕事をもらおうとしても身なりの汚い孤児を雇ってくれる場所などそうそうなかった。


 金のあるテアドロ孤児院に属している子供であったのならばまだましだっただろうが、セシルやロジー、ウィルといった娼婦や犯罪奴隷、貧困層から生死を問わず捨てられた子らには生きる自由など無いに等しかったのである。


 街の外れ、それこそゴミ捨て場のような場所に住人に黙認されて生かされている彼らからすれば人並みに生きようなど夢のまた夢でしかなかったのだ。



 だがそんな手の届かなかった夢は今では彼女の掌の上で生み出され、彼らの生活を潤し、少なからず人らしく生きていける道を作り始めたのである。


「デリア、だっけ? 体調はどう?」


「ーーもう平気だよ!」


 リズエッタにデリアと呼ばれた少女はつい先日までとある病によって床に伏せていた子供だ。

 今は元気そうに笑っているが、リズエッタに出会わなければ死んでいたかもしれない。


 彼女の症状は嘔吐や下痢、腹痛。 所謂食あたりであった。

 いたって普通の生活をしている街の住民やリズエッタのような者からすれば頻繁には起きない症状の一つだが、孤児である彼らからしたら死病といっても過言ではない病いだろう。

 腐った食べ物を食べる事が多く、腹痛を患っても薬を買うことの出来ない彼らからしたらどうにも出来ない病でもあったのだ。


 では何故デリアが元気に話しているか。

 それはそこにリズエッタという異分子が組み込まれたからだといえる。


 あの日リズエッタが持ち込んだフルーツジュースとうたわれたその飲み物。薬草と栄養価の高い果物や蜂蜜をミックスしたリズエッタ製フルーツジュース。

 リズエッタが製作中に思い描いていたのは現代人ならばよく知る栄養ドリンクやエナジードリンクといったものであった。


 疲れた時にはこれ一本。

 数秒チャージ。


 などとキャッチコピーのついた製品を思い浮かべながら作り出したそのフルーツジュースが、普通のフルーツジュースなわけがない。

 リズエッタがそうしようとしなくてもそうなってしまうのは、偶然ではなく必然である。


 その結果、デリアはものの数分程度で嘔吐も下痢も、腹痛すらもない健康体になり今に至る。


「リズエッタさん、今日はなにをすればいい?」


「えー、あー、とりあえず今日は何もないかなぁ……」


「私なんでもできるよ! なんでも言って!」


 それからというものデリアはリズエッタを崇拝に近い形でつきまとい、珍しくリズエッタを困らせた。


 否、デリアだけではない他の孤児達もリズエッタに付きまとうようになったのだ。

 その訳はいたって簡単明確で、彼らからすればリズエッタは女神のように見えていたのである。

 飢えをしのぐ為にお菓子や魚など食べ物を与え、差別することなく仕事を頼みお金を支払い、挙げ句の果てには病人すらも治してくれる、そんな都合の良い女神に。


 リズエッタは初めてデリアにあってお礼を述べられた時、実験が成功したのだと笑みを溢したのだがどうやらそれも慈悲の笑顔にとられたようで、デリアを含めた数人はその瞳に涙を浮かべてひざまづく程。


 艶やかな髪には天使の輪が浮かび、ハウシュタットでは見ない白い肌に桃色に染まる頬。

 質素な服装な割にどこか品を感じる仕草をし、匂いまでも芳しい。

 はにかむような笑顔には慈悲が滲み、穢れなど知らぬ無垢の笑顔。


 初めてリズエッタを見たデリアは同じ女として憧れも抱き、途方も無い酷い勘違いまでもしていたのである。


 それ故か、デリアはリズエッタの役に立とうとある時からギルドの裏口に張り込み、リズエッタを見つけると誰よりも早く駆け寄り声をかけるようになった。

 デリア、とそう呼ばれる誰でも歓喜するものだがやはりリズエッタの役に立ちたい。そう思えば思うほど、デリアの行為は増していったのである。


「リズエッタさん! リズエッタさん!」


「……あぁー、デリア? 今日は磯で海藻でも採ってきてくれる? 勿論買い取るから」


「ハイ! じゃあロジーやウィルも呼んで行って来ます、お家で待っててくださいね!」


「いや、私、自分の家にーー」


「待っててくださいね!」


 ニッコリの笑みを残してデリアは走り去っていき、リズエッタはその場でため息を吐いた。

 そんなリズエッタを慰めたのはセシルで、その瞳は申し訳なさそうに伏せられている。


「ーーなんか、ごめん」


「いんにゃ、自分で蒔いた種だし……」


 仕方ないさと苦笑いを浮かべるリズエッタに対し、セシルはもう一度謝罪を述べるとデリアの背中を追い掛けていった。


 セシルからすればデリアがあそこまでリズエッタを崇拝するとは思っていなかった。

 デリアだけでなく他の子らも孤児故に住人に酷い目にあわされた事も多く、他者に対して親愛も信頼も抱くことはまず無い。

 セシル自身もリズエッタに対して信頼をしているとは言い難いが、少なくとも他の住民よりも良い人間だと認識はしている。


 今後楽になった生活を維持していくのにはリズエッタと関わりを持ち、繋がりを大切にしていくことが第一だと頭では分かっているのだ。


 たが、それでもやはりーーーー。


「あの笑顔は胡散臭い」


 デリアの言うあの女神の微笑みとやらが、セシルには異様な笑顔に見えて仕方がなかった。

 その笑みは嫌な大人達が時折する笑みとよく似ていて、自分達孤児をモノのように見ている、そんな目に感じられる。

 いくら食べ物をくれて仕事をくれて、病気を治してくれたとしても、他の奴らとやろうとしてることは変わらないのでは無いかと疑ってしまうのだ。


「ーーでもこんなことデリアに言ったら、殴られるだろうなぁ」


 街中を駆け抜けながらセシルは疑いながらもその選択肢を選ばねば生きていけないのだと、一人思いを馳せていた。




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