第5話 まりこ

「こんばんは。お邪魔します──クラスメイトのまりこです」


 建売住宅の並んだ住宅街の中、一際目立つ一軒家。ここに来るのは初めてだった。この家は日が暮れれば、シリンダー状の外壁に並んだ小窓からいつも暖かな光が漏れていて、モダンでおしゃれな外観が一層浮き立つのを、私は自室の窓から眺めていた。


「あら、いらっしゃい」


 一階のガレージ横の外階段を上がって玄関を抜けると、吹き抜け天井の広い空間。左はリビングのようで、向かって右側のキッチンから椎名の母親が顔を覗かせた。


「あなたがまりこさんね? いつも仲良くしてくれているそうで」


「はい。今日は一緒に勉強をしようということで……お邪魔させていただきます」


 椎名の母親を見るのも今日が初めてだった。だけれどとても驚いたことに、彼女は母親とは思えないほど若く見えたし、スレンダーな腕や足を上品に覗かせたワンピースが大人の色気を放っている。私の田舎の実家の母とは比べ物にならないほどの美人だった。


「まりこ、もういいから。上、上がろう」


「あ、うん」


 椎名が手を引いてリビング横、ブルックリンスタイルのカーブ階段へ私を導く。


「後で軽食と飲み物を持って上がるわ」


 すれ違い様に椎名の母親が至極当たり前のように言った。


「いらないよ! 食べて帰るって、朝言ったでしょ」


 つっけんどんな椎名の言葉に、失礼のないように会釈だけ返すことにする。その際、オープン型の階段の隙間から見えたリビングのソファは、最近テレビドラマで見たことがあるものと同じメーカーのやつだ。とても高そうだったが、部屋全体のナチュラルモダンな雰囲気にとても合っている。ハイセンス──と感心する。


「どうぞ、入って」


 椎名はためらうことなく私を自室へ入れてくれた。


 踏み入ると、甘い香りがした。全体的にシンプルに統一されている。


 ところが、随所に流行りのぬいぐるみやマスコットが置かれていて、いかにも女の子らしい部屋だとも思った。隅々まで埃一つ落ちていないのは、きっと椎名の母親が私が来ることを聞いて、日中の間に念入りに掃除しておいてくれていたのかもしれないと勘ぐる。


「このクッション、座布団がわりに使ってくれていいいよ」


「ありがとう。わあ、意外だなぁ。椎名ってサバサバしてるから、こんな可愛いの持ってるだなんて」


 私は渡されたパステルカラーのもこもこしたクッションを、揉みしだきながらからかってみた。


「えー? 私が女の子らしいもの持っちゃダメだっていいうの? 」


「そうじゃないけどさぁ。カワイイなぁって」


「もー、なに? ふざけてるのー? クッション没収しますよ」


「あは、冗談だって怒らないでえ」


 ラグの上に置かれた円卓に寄せてクッションを置き、そこに腰を落ち着かせることにする。椎名は対面のベットに腰掛けて、鞄の中身を漁っている。それを見た私も鞄から筆記用具を出す。


 ふと、顔を上げると、ラックの上段にムスクのスティック型芳香剤が置かれているのが目についた。


「あ、これだな。なんかずっといい匂いすると思ってたんだ」


「これ? まりこ好きなの? この匂い」


「うん、いいよね。好きだから、椎名だって部屋に置いてるんでしょ? 」


 椎名は何故か照れ臭そうにため息をついて言った。


「これねぇ、お母さんが勝手に置いてくのよ。たまーにふらっと勝手に部屋の掃除しにやってきて、マーキングみたいにさ。今回は、たまたまこの匂いだったけど」


「へー。どうりで椎名にしてはセンスがいいと思った! 」


「なによそれぇ。失礼じゃないー? まあいいや。まりこが好きな匂いなんだったらあげるよ。私にはキツすぎて鼻がムズムズする」


 わざとらしく鼻をすすって見せてから、椎名はサブバックがわりに愛用しているトートバックから先ほど買い込んだコンビニのお菓子を乱雑ににベットにほうりだした。


「ほんと? けどお母さんに悪いんじゃない? 」


「いいの! だいたい、世話焼きなのよ。私だってもう高校生なのに勝手に部屋の掃除なんかさ。プライバシーのぷの字も知らないんだから」


 椎名の言動がそもそもお子様じみている。私は思わず吹き出した。


 それとほぼ同時に、部屋の扉のノックがなる。椎名の母だ。


「飲み物だけでもどうかと思って。入るわねえ」


「え、ちょっと待って」


 椎名の拒否も虚しく、言い終える前にドアが開けられてしまった。


「ごめんね、お勉強が始まる前の方が邪魔にならないかと思ったから……って、なあにそのお菓子の山! 」


「もー! お母さん、さっきいらないって言ったじゃん! 」


「またそんなに買って、仕方のない子ねえ」


 口では叱っているようだが、椎名の母親の口元は全て寛容に受け止めているように笑んでいる。お盆を寄せて、紅茶と手作りのように見えるスコーンが生クリームを添えて華奢な小皿に乗せられたまま円卓に置かれた。


「やめてよダサい手作りのなんか、食べないってばそんなの」


 意地になって反抗する椎名。やはり子どもっぽい。


「わざわざありがとうございます。お気遣いすみません。手作りなんて素敵ですよね。お菓子はご迷惑になってはいけないと思って、つい買って来てしまっただけなんですよ」


「まりこちゃんが謝ることないのよ。この子のお小遣い管理が甘いだけなんだから。だからね、お菓子はまた今度にして? せっかくだからうちのを食べていってね」


 私はまた軽く頭を下げた。円卓から離れるとき、立ち上がった椎名の母からは、ムスクとはまた違ったほのかな良い匂いがふわりと香った。


「食べた後はドアの外に出しておいてね。私が片付けるから。じゃあ、お勉強頑張って」


 静かに戸を閉めて椎名の母は去っていった。


 一方椎名はというと、恥ずかしいのか、うんざりしたように無言でベッドの上にばたんと倒れこんで見せた。いつも学校で見せる、どこか冷めたような印象の椎名が、完全にキャラ崩壊していて面白い。


「優しいお母さんだね」

「……からかわないで」


 褒めているのに、気に入らないのか椎名はそのまま布団にうつ伏せて動かなくなってしまった。


「いいお母さんがいて、羨ましい」


 学校での椎名は、物静かで派手なことを嫌う節があると思っていた。物事を俯瞰的に捉えていて、だから大人っぽく背伸びして見せたいんだけど、本当は全然子供っぽいし、女の子らしいのだ。


 あの母親を見て納得した。椎名はとても大切に育てられているんだね。


 悔しいな、椎名に唯一、負けたかも……。


 あんな母親を持つ椎名が、純粋に羨ましく思った。

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