第1話 力の在りか 14

(承前)


 *


「お帰りなさいませ、レイン様」

 そう挨拶された若者はスマイリィだった。

「旦那様が探しておられましたが」


 旦那とは、スマイリィ――レインの兄であり、ルッツ家の長男、ブリッツ=ルッツ。かつて大旦那様と呼ばれていた父が3年前に没し、ルッツ家の当主の座はブリッツに継がれている。


 座、などと言ってもそれほど大層なものではない、所詮は成り上がりの中産階級メディの家のそれ……とは思いこそすれ、それを口にすることはもちろんない。


「兄上のいつもの30分前集合だろ? 気にしなくていいよ」

「お耳には入れていただくのが私どもの勤めなので」

「ご苦労様」


 執事長のポトーとお決まりの言葉を交わす。

 無駄かどうかの判断を交えず、主人からの言付けは欠かさず伝える。言いつけがあれば何時でも、何度でも。

 まさに執事の鏡と言える仕事ぶりをポトーは常に示している。


 嘆息をしつつも、スマイリィはポトーに尊敬の念を欠かしたことはない。……その念が彼に通じているかは不明だが。


「母上に一言、挨拶をする時間くらいは取れるだろう。家族の会話の時間を大事にせよ、というなら母上とて例外じゃないはずだ」

「……お気持ちは解しますが、旦那様には詭弁の類いと伝わりましょう。言葉の聞こえの良きも悪きも日頃の行いがあってのものです。これも今さらではありますが」


 慇懃さは保ちつつ、それでも言うことは言ってくる。スマイリィはそんなポトーにやはり好感を抱いている。


「それは言葉を聴く側の良し悪しも、だよな?」


 だからこうした口答えもついしてしまう。愛嬌、甘えのうちだと思うが、この熟練の執事長にはそんなスマイリィが主人たる人間としては甚だ未熟と写るだろうか。


 沈黙し、目を閉じて軽い嘆息。

 当主に対する暴言とも取れる……いや、暴言としか取れないそれを、ポトーは見逃してくれる。

 それが、まだ子供扱いということなのだろうな、とスマイリィは思う。


 彼の脇を通り抜け、奥の母の寝室に通じる廊下に向かう。


 ルッツ家の邸宅は新市街シティを貫くメインストリートに面して建てられている。

 もともと事務所や商店向けだった建屋をブリッツが買い上げて改築し、居住と職務を両立できるようにした。

 郊外の館もあるが、兄は兄妹や使用人も押し込めてここにいづめである。

 

 そしてもまた、この邸宅に暮らしている。


 ポトーは会釈だけをしてスマイリィを見送る。

 人として経験を重ね、どれだけ有能であっても、その立場に沿った振る舞いをしなければならない。

 執事職に限った話じゃない。その主人である自分たち、家長である兄上、もっと有力なメディ、由緒正しき上流階級フィオルたち……。

 人間は意思を持つ。にも関わらず立場が、身分が、財産が、様々なものが人間の言動を強制する。

 機械のように振る舞わなければいけない人間……。


 機工による産業の発達、社会の変化。

 巷に機械が溢れ、人々の暮らしが機械あってのものとなった今、機械の使い手であるはずの人間が、機械に縛られ、自らが機工の社会という巨大な機械の一部になっていく……そんな思いを抱くのは自分だけではないはずだ。


 だが、とりわけそうした感情を特別に抱いており、それが元でああして執事にまで日頃の行いが……などと言われるような振る舞いを避けられない……とも思える。


 それもまた、道から外れる側の道を辿るだけか――などと、堂々巡りの自虐的な思考に陥りそうになるのをこらえ、いつものように笑顔を取り戻す。


 僕はスマイリィ。それでいい。そうでなければいけないのだから。


「母上、戻りました。千年祭は賑やかですよ」


 寝室の扉を開けるなり、軽い足取りで母の横たわるベッドへと近づいた。

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