第32話 エピローグ

 今日は快晴。良い天気だ。

 世界は想った以上に簡単には出来ていない。だが、造りは案外シンプルだ。



「新しい波の中で生きるのは辛いからな」

「なに?」

「なんでもない」



 あれから月日が経った。

 ディズは着実に準備を進めていた。

 ジョセスターの仕事を手伝い、日銭を稼ぐような日々を送り、毎日毎日より実践的な鍛錬を進めている。


 ヴェイビットに行けばオルウェイとトレーニング。

 それを終えたらオルウェイと過ごす時間だ。

 それは大きな癒しの時間だ。


 相変わらずオルウェイは距離が近い。

 オルウェイは膝の上にいる。

 横向きに抱えられるように座っており、この態勢が一番好きらしい。

 ディズはもはや態勢については何も言わなかった。

 この態勢でディズは新聞をくまなく読んでいる。



「ちゅっ♡」

「こら」

「ん~♡」

「こーら」



 不意打ちに頬にキスされる。

 じゃれ付かれている印象。

 徐々に成長して女らしくなっていく彼女が、好意を向けてくれるのは純粋に嬉しい。



「俺も男だなぁ」

「うんうん。ディズも男の子だね。私女の子だからね? 分かる?」

「抽象的すぎるわい。いや、それより例の話はどうするの?」

「え? ディズが行くなら私も付いてくけど?」

「迷いなく言うね? 親の許可は?」

「いらんでしょ?」

「いるでしょ?」

「私の意志と親の意向は関係ないもんね~」

「最近、オルウェイの本性がよく分かってきたよ」



 おてんば娘だ。

 彼女の姉妹がいるらしいが、彼女が一番おてんばらしい。

 最近、それが分かってきた。



「いつになるか分からないけどな」

「うん。で、私はその隣にいる訳だ」

「それがご希望?」

「違うよ。決定事項」

「なんだと?」



 冗談のように聞こえるが、実際オルウェイはマジだ。

 本気だから、彼女の意思を尊重したい気持ちもあるが、大切な人間だから阻止したいという気持ちもある。だけど、それはディズの身勝手だ。

 ディズはオルウェイの決意を受け止める覚悟だけはしていた。



「オルウェイ。前に行ったよね? 人生の選択肢の話」

「人生の選択肢はたくさんある。常に目の前にぶら下がっている」

「そ。例えば、やるにしても、望んでやるのと、望まずにやるのでは全然違う選択肢。オルウェイは望んでやるの?」

「望んでるよ。うん、私の望みはディズと一緒に歩く事」

「それってさ。俺の言う事、全部無条件で聞くってこと?」



 それだとオルウェイ自身の意志は無い。

 意志が無いというのは怖い事だ。不満が溜まってもそれを吐き出す術がない。



「う~ん。ちょっと違う。ディズが間違ったら私はディズを正しい方へ引っ張っていくかもしれない。ディズだって間違えると思うし。でもね、私はディズを信じたい。世界の全てが敵になっても、ディズはなんかの考えがあると思ってる」

「なんでそう思ってるんだ?」

「だって……ディズって、結構セコイでしょ?」

「せこっ!?」

「ごめん。上手く言葉にできないんだけど、慎重と言うより、セコイと思う。絶対に自分が不利になる状況を作らない人って感じ?」



 思った以上に辛辣な評価に思わず絶句する。

 オルウェイが言っているのはゴライアスラットを相手取った時、常に高所――高さ・イズ・パワーを譲らなかったりと、有利な状況を意地でも手放さない事を言っているのだ。



「でも、欲張りでもあると思うよ。色々考えて、色々妥協して、ままならない事も受け入れて、折り合いをつけて、その中で正しさを意識して選んでいると思う。最善というよりは最も正しい選択? だから、世界の全てが敵になったなら、ディズはそれが最善で、最も正しいと思ってやってるんだと思う。だって、ディズは欲張りだけど、セコくて、それで勇気があって、優しい人だから」

(セコイの決定事項なんだ)



 ディズは若干心外と思う一方で、否定もできない。

 損をしないように動いているのは事実だ。それをセコイと呼ばれるのは若干失敬な気もする。賢明とか、せめて狡猾と言ってほしい。



「ゴライアスラットの件だけどね」

「うん?」

「私、あれから色々考えたんだけど、最善策って一つじゃないって思ったの」

「一つじゃない?」

「うん。だって、もし私達にお金があったら冒険者を雇う事も出来たと思う。そうしたらディズは冒険者に助っ人を頼んだんじゃない」

「た、確かに……そうするわ」



 それこそ最善にして最良だっただろう。

 実際、ディズはゴライアスラットとジョセスターをぶつける事を真っ先に考えた。

 父親に頼ると言えば聞こえは良いが、味方を変えれば父親を生贄にしようとしたのだ。

 もちろん、それが勝つ算段として最善手だからだったからだ。



「私も、それが最善だと思う。お金とか、立場とか、権力とか、子供とか、大人とかで選択肢って増えていくと思うの」

「うん」

「そうすれば、10個の選択肢が20個、30個って増えて、その中で10個の時よりも良い最善策が見つかると思う」

「今選べる選択肢の中で最善だけど、増えればもっと良い最善があるってこと?」

「そう。でね、ディズはその中で難しくても最善を選ぶ人だと思う。それって欲張りでしょ? でも、それも自分の為じゃなくて、きっと誰かの為なんだと思う。あの時の私達だけの事を考えた最善は、きっと逃げる事だったもん」



 それは間違いない。

 逃げるというのはディズ自身も真っ先に考えた事だった。だけど、できなかった。

 ここで何とかしないと後悔すると思ったのだ。


 オルウェイの言葉で自覚する。

 今思えば、それは後悔するとかじゃない。己の中の正しさに従ったんだと思う。



「オルウェイ」

「なに? わっ」



 ディズはオルウェイと額を合わせる。

 オルウェイは顔を赤くしながら幸せそうに笑い、スリスリと額をこすり合わせてくる。



「俺の付いてくるとイバラの道だと思うよ?」

「いいよ」

「ずっと一緒にいられないかもしれない」

「いるよ。大丈夫。離れたら意地でも探し出す」

「辛い想いもするよ」

「そしたらディズもしてるでしょ? 二人なら分け合えるよ」

「怪我もすると思う」

「ディズが私を守ってくれるでしょ? だから私もディズを守る」

「最悪、死んじゃうかも?」

「ディズが一人で死ぬ方が嫌。私も一人で死にたくない。一緒なら、きっと最後まで戦える」



 オルウェイの意志は固く、覚悟が決まっている。

 きっとディズ以上に頑固だ。



「大好きだよディズ」

「ありがとう。オルウェイ。俺も好きだよ」



 これが恋愛なのかは正直分からない。

 前世でそんな経験が無いのだから、内面の年齢は十分大人なのに分からない。

 けれど、今のこの瞬間のディズはオルウェイを愛おしく思う。



「――――ディズぅ」



 熱にうなされるような声。

 オルウェイが目を薄めるのに合わせ、ディズは引き寄せられるようにオルウェイの唇を合わせる。

 今、自分がここにいると確かめるように。



「ファーストキス。しちゃった」

「そうだね」

「レモンの味はしないね」

「そりゃ、レモンは食べてないから」

「唇にも、ディズからも、キスしてくれたの初めて」

「そう言えばそうだね」

「ディズぅ」



 オルウェイがギュッと抱き着いてきた。

 ディズはオルウェイの頬にキスをしながら、それを受け止める。



「もっかい」

「え? んむっ」



 オルウェイが顔をあげてグッと迫り、ディズの唇を奪う。

 触れ合うようなものではない。顔を傾けて唇をピッタリ合わせる深いキス。

 どこでこんなやり方覚えてくるんだ? とディズは場違いな事を思う。



「んん~♡」

「んっ、ちゅ」

「ちゅぅ~♡」



 進む道の結末は分からない。

 それでも進み、時には立ち止まり、道を変えたり、戻ったりする。

 そこに間違いもなければ、正解もない。



「ふぅ。~~~~っ。生きててよかったぁ」

「……はは、うん。そうだな。生きててよかった」



 心の底から出た言葉。

 それが言えることがディズにとっての大きな変化でもある。



「……もっかい」

「え? うお!?」



 沢山の選択肢が、常に己の前にぶら下がっている。

 どれを選ぶかは、己次第である。

 その選択肢の扉を開くことができるのは自分だけだと、ディズは心の底から理解するのだった。


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