第3話 バターとハチミツ
魔法の初めての訓練から半年が経過した。
ディズは書斎の椅子に座って、腕組みをしていた。
魔法の鍛錬は滞りなく進んでいる。
イメージや魔力増量も順調だ。
特に魔力増量は素晴らしい成果を得ている。
最初は不安もあったが、徐々に魔法の回数が増えていき、現在では限界へ行くのに魔術をかなり使用しなくてはならない。
今後も増えていくことに期待している状態だ。
ただ、魔力が増えた理由が、魔法に慣れて燃費が良くなったからか、回数をこなしかたからかは不明だ。
実証は後回しになるだろう。
ディズは呪術と療術もやってみた。
庭の植物相手に実験した。
基礎呪術の一つ【縛りの呪い】。基礎療術の【ヒーリング】。
基本的に生物にしか効果が無い。それがこの2つの魔法だ。
彼が植物も生物だって理屈でやってみた。その結果、予想通り効果があった。しかし、その効果も微々たるものではあった。
次はイメージに関する課題。
これに関しては彼の独自方法が上手く行っている。
本が間違っているとは言わないが、本の記述では一纏まりとされているイメージはそれぞれ違いがあったのだ。
ディズからすれば「そら見ろ」という気分だった。
こういう事があるから探究は大切だ。人類の本質は探究と解明だ。
これ以降、本とかを全面的に信用しない方が良いと結論を出した。いや、信用した上で新しい道を見つけるべきだ。
(やはり独自に開拓していくことは近道だな)
自分の後ろに道ができているのを実感する。
ディズは羊皮紙と書斎にあった羽ペンを使って、彼なりにイメージをまとめた。
【魔術のイメージ】
ポップコーンが破裂するイメージ。
【呪術のイメージ】
バターがゆっくりと溶けていくイメージ。
【療術のイメージ】
ゆっくり満遍なくハチミツをかけるイメージ。
「いや、ラインナップ………………ハニーバターポップコーンって」
コレ違う感が凄い。
かっこよくないし、かっこ悪くもない。そういう次元じゃない。
ただただ、美味しそう。
(なんかイヤなんだけど? 贅沢は言わないよ? けど、イヤなんだけど? 全部混ぜたらハニーバターポップコーンってなんだよ? なんでそんなところで噛み合っちゃうの? だいぶ美味しそうなんだけどッ? 映画館とか夢の国に売ってそうなんだけどッ? 1番上手くできるから仕方ないけどさッ!)
そんな彼の心叫びは空しく響くだけ。
(まぁ些細なことだ。これで終わり)
自分に言い聞かせる。
人はそれを現実逃避と言うが、もっと大事な現実に向き合っているので良しとしてほしい。
彼がこのイメージを発見した事は非常に大きな出来事だった。
無詠唱で魔法ができるようになったのだ。
これらイメージを明確にするとかなり容易に魔法が発動できる。
それこそ教本に乗っている呪文を唱えなくても発動が可能だ。
因みに召喚術に関してはまだ触れていない。内容を見たが専門的な事らしく、やり方以外は詳しい事が載っていないのだ。
現状の成果をまとめるとこうだ。
魔法の基礎的な知識。
独自の理論からなる能力向上。
無詠唱魔法の取得。
こうして色々やったけど、ディズの中でもう一つ疑問点がある。
彼には不得意な【属性】や魔法の分類が無かった。
正しく表現するなら【属性】に関してはどれも別に得意じゃないし、不得意ではない。
重要なのは「得意とも言えない」という事――――。
どんな【属性】を使っても「出すのが楽だ」とは思えなかったのだ。でも、辛いとも思わない。
違いが無いから比べようもなく、イメージを得た影響かどうかは分からない。
これに関してはラッキーだと思っていいのか? それとも違うのか?
ディズには判断できなかった。
この件に関しての彼は「使えているから、まぁ良いか」という感じの思考放棄の宙ぶらりんの状態になっている。
「坊ちゃん。ディズ坊ちゃん。どこですか?」
「ダッ!?」
ディズが魔法の種類について目を通そうとしたら、バルバラの声がドアの外から聞こえてきた。
色々と書かれている羊皮紙は本の間に挟み、急いで本棚に戻す。椅子を元の位置に戻して机の後ろに隠れる。
「ディズ坊ちゃん?」
ディズが隠れると同時に書斎のドアが開いた。
バルバラは机の後ろも覗きに来る。
(ヤベヤベヤベヤベッ! どうやって誤魔化そう)
ディズはキョロキョロと周りを見渡すと、床に羊皮紙が転がっているのを見つける。
羊皮紙を素早く取ると、羽ペンを机の引き出しから出す。そして、そこに適当な人の顔を走り書きする。
「坊ちゃん? どこですか? 何しているんですか?」
「なぁに?」
机の後ろを覗いてきたバルバラとディズの視点がガッチリ合う。
ディズの背筋が寒くなった。
(バ、バレてないだろうな?)
「あら、ディズ坊ちゃん。お絵描きしてたんですね」
(セェェェフ! 危なかったぁ。マジ、セーフ!)
ディズの緊張が一気に解ける。
「何を書いてるんです?」
「バ、バルバラだよ?」
突然の質問に焦りながら答えた結果、ちょっと語尾上がっちゃうディズ。
彼は走り書きした円にバルバラっぽい髪の毛を追加した。
「あらぁ。そうなんですか? 嬉しいです。ありがとうございます」
「うっ」
(ヤベッ。本当に嬉しそうだ。何だ。この罪悪感は? 凄く申し訳ない気持ちでいっぱいだぁ)
「…………はい。あげる」
「ありがとうございます」
本当に嬉しそうな顔を見て、ディズの心を蝕む罪悪感。
思わず「なんか……ホントすいません」って謝りそうになるのを必死にこらえる。
「バ、バルバラ? どーしたの?」
「え? あ、そうだ。お父様がお呼びですよ」
「とーさま? うん。行く」
「はい。では、行きましょうね」
ディズが部屋の外に出ると、バルバラはその後に付いてくる。
こうやって肉体と内面の年齢差を誤魔化すのは重労働だ。
子供っぽく演じなきゃいけないのだが、時折出てくる大人っぽさを自覚する度、ディズは恐怖でいっぱいになる。
ボロを出さない自信はすでに無く、何かあっても相手に気付くなと願うばかりである。
日常でも気の抜けない状況が多いのは、精神的に圧迫感がある。
「とーさま。なんですか?」
ディズはジョセスターのいる政務室へ行く。
政務室に行くとそこにはジョセスターだけでなく、オルソワールもいる。
「ああ、ディズ。良く来たな。実はそろそろお前に礼儀作法を教えておこうと思ってな」
(礼儀作法? ああ、なるほど悪くないな)
どうせいつか嫌でも覚えなくちゃいけないものだ。
別に今やっても問題無い。貴族社会で恥をかくと後々面倒な事になりそうなのでやらない理由は無い。
「何を言っているんです! 坊ちゃんはまだ三歳にもなってないんですよ! 早すぎます!」
(あ、しまった。また自分の年齢を忘れてる)
ディズは自戒する。
ディズはまだ二歳。早熟だとしても、二歳で礼儀作法は幾らなんでも早過ぎる。
でも、中身がアレなので本人は出来ればやりたかった。出来るだけ早く自分の基盤は作っておきたい。そうすれば、後々他の事に時間を回せる。
「いや、ディズ坊ちゃんの成長は著しい。今の状態なら十分礼儀作法を理解できる」
「あなたまで何を言っているのです? ディズ坊ちゃんの成長は確かに驚くくらい早いです。でも、まだ二歳ですよ。本来なら色々遊んでいる時です」
「確かに。だが、成長できる時に成長しておくに越した事はない」
オルソワールの意見に真っ向から噛み付くバルバラ。
教育熱心な父親に母親が苦言を呈しているようだ。
本来なら逆のような気がするが――――。
ディズの意見からすると、バルバラが正解のような気がしている。
あんまり無理に詰め込めば子供の個性を潰す事になる。これがもし貴族における常識なら、常識の根幹が間違っているような気がする。
より文明の進んでいる日本でも教育問題は多々ある。
少なくともディズの記憶では、遊んでいる大学生が多かった。
望んで勉強しに来ているのに、勉強以外にかまけて留年している人間はアホらしかった。「せめて留年するなよ」と内心呆れていたのを思い出す。
少なくとも真逆の学部へ二度も入学しても、留年とは無縁だったのは数少ない自慢かもしれない。
ただ、それは所詮前世の事だ。今の人生に必要かどうかの話である。
勉強して、早く独り立ちすることを考えている以上、この提案はチャンスである。
自己を大事に知る現在では、天秤は傾くのは容易だった。
「わかりました」
「え? ディズ坊ちゃん?」
「れいぎさほう。おしえて下さい」
ただでさえ違和感のあるのだ。せめて言い方くらいは子供らしくという配慮をするディズ。
今の言い方が存分に子供らしかったと自己評価する。
そんな事を考えている彼を余所に、満足そうな男二人とキョトンとした顔をしているバルバラだった。
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