第9話 契約

 牧場の手伝いを始めてから2週間ほど経ったであろうか、この日も俺はアレクの牧場の手伝いをしていた。

 すると見覚えのあるキツネ顔がこちらに向かってくるのがわかった。

 

 あれは、クウネル?


「カズトさん、おひさしゅうぅ」

 クウネルは相変わらずねっとりとした口調であった。


「今日はこんなところまでどうしたんですか?」


「先日のお礼と、商売のお話をしにきたんですぅ」


 商売の話? どういうことだ?

 そう疑問に思っていると、クウネルが口を開いた。


「助けていただいたときに、アレクさんが牧場で肉や乳製品の加工品を作ってると聞きましてねぇ。ミズイガハラのお店でも食べさせていただいたんですぅ。そしたらど偉い美味でしてぇ。是非私の方でも扱わせて頂こうかとぉ」


「なるほど」

 ミズイガハラではそんなやりとりもあったのか。アレクも抜け目がない人だ。


 そんな話をしているとアレクが姿を見せ、クウネルと挨拶を交わすと母屋の中へと案内していった。


 --------


 時間にして1時間ほど経っただろうか、アレクとクウネルが母屋から出てきた。

 せっかくだから別れ際の挨拶でもしておこうとクウネルに近づく。するとクウネルが俺に声を掛けてきた。


「ところでカズトさん、この屋根の黒いのはなんですのぉ?アレクさんにも聞いたんですがぁ、カズトさんに聞いて欲しいってぇ」


 俺はアレクの方を見た。

 アレクは小さく頷いていた。


「──これは瀝青アスファルト防水と言って............」

 俺はクウネルに瀝青アスファルト防水について説明した。


「これはすごいですねぇ。カズトさん、この瀝青アスファルト防水を私と一緒に国中に広めませんかぁ?まずはミズイガハラの街からでもぉ」


「え?瀝青アスファルト防水を? 国中に??」

 俺は予想だにしなかった言葉に目を丸くしてしまった。


瀝青アスファルト防水はこの国の皆の生活を改善する画期的なものですぅ。この国のため、皆のために是非お願いしますぅ」

 クウネルはこの国の人々を盾にして事業化を迫る。

 だがクウネルの言っていることも正しい。瀝青アスファルト防水はこの世界にとって画期的なものである。それは間違いない。

 そして瀝青アスファルト防水が国中に普及することで、屋根の葺き替えに掛かっていた手間を他のことに向けることができる。それはつまり、この国をより豊かにできる可能性があるということだ。


「この国の人々のためになるなら是非とも協力したいです。ですが条件があります。利益を出すなとは言いません。ただ、これを利権にして大きな益を得ようとすることはやめていただきたい」

 本心としては俺の知識や経験で誰かを笑顔にすることができるのであれば、それだけで満足だと俺は思っていた。


「それはもちろんですぅ。この国のため尽くさせていただきますぅ」

 そう言うクウネルは胡散臭いキツネ顔をしていた。


 クウネルとは出会ったばかりであり、信用できる人間かは定かではない。だが、アレクがこの話を止めないということは、最低限の信用はして良いのだと理解した。


「では詳しいことはアレクさんも含めて話をしましょう。第三者に入ってもらった方が冷静な議論ができますので」

 俺だけではこの世界の“標準”や“普通”の判断がつかない。クウネルがもし自分に有利な話に持ち込もうとしても、それを察知できないのはリスキーであることから、俺はアレクに助け舟を求めた。


 そして俺とクウネル、オブザーバーとしてのアレクの3人は具体的な内容について話をしていった。

 クウネルは自身の宣言通り少ない利益で検討しているようであったが、クウネルからの条件が一点提示された。

「実際の工事はぁ、私の知り合いの実業家に行わせてもよろしいですかねぇ?人をたくさん抱えてるんで、動きが素早いんですぅ。もちろん、悪いことは企んでませんよぉ」


 こちらとしては国中全ての建物の工事を俺達で請け負うことなど到底無理であったので、承諾する。


 思いの外クウネルが素直であったため、話し合いは順調に進んだ。結果、各々の役割は3つに分けることとなった。瀝青アスファルトの調達は商人であるクウネルに、工事は人を動かせる実業家に、そして総合的な指導役を俺が担うことで決定した。


「これで契約成立ですねぇ。それじゃあカズトさん、これからもよろしゅうにぃ」

 キツネ顔がニヤリと笑う。クウネルの本心はどこにあるのか、俺には結局掴めなかった。


「こちらこそよろしくお願いします。それでミズイガハラへはいつ行きますか?」

 俺はクウネルと共にミズイガハラへ行くことになっていた。クウネルの知り合いだという実業家に会うために。

 そして生活の拠点もそのままミズイガハラへ移すことになっていた。そのほうが何かと動き易いだろうとのクウネルの提案によるものだった。


「うぅん......それじゃあ明朝はどうですかぁ? こちらまでアイネルの荷車でお迎えにあがりますんでぇ」


「わかりました。では明朝、日の出前にここに集まりましょう」


「それではまた明日ぁ」

 クウネルはそう言うと、荷車に乗り山中へと消えていった。


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 期せずしてこの日は牧場で過ごす最後の夜となった。

 幸いにも荷物はほとんどないため、引越しの準備はすぐに終わった。


 俺は倉庫のベッドに横になりながら天井を眺める。俺の世界はここから始まったのだ。

 そう考えると自然と涙が溢れてきた。元の世界に戻りたいとかそういうのではない。


 ただアレク夫妻に助けられ、色々教えてもらって......ついには異世界で独り立ちまですることができた。2人の支えがあってここまでこれたことに俺は改めて感謝していた。


 --------


 翌朝、俺は日の出前に外へ出た。

 そこにはすでにクウネルの姿があった。

「カズトさん、おはようございますぅ」

 爽やかな朝に似つかわしくないねっとりな口調であった。


 そしていざ荷車へ乗り込もうとしたその時、アレクとサリアが母屋から出てきて俺を呼び止めた。


「カズトくん、気をつけていってらっしゃい。 いつでも遊びにきていいんだよ」

 サリアはいつものような微笑みを浮かべながらそう言うと、俺に手荷物を手渡してきた。


 どうやら朝食の弁当を用意してくれたようだ。

 

 こんなことまでしてくれるなんて......本当にアレク夫婦には頭が上がらないな......。


そう思いつつ俺は答えた。


「ありがとうございます。お二人への恩返しがこんな大きな話になるなんて思ってもみませんでした。ですが、お二人にしていただいたことを他の人に広めてきたいと思います。今まで家族のように接していただいたことは忘れません。本当にありがとうございました」

 サリアの微笑みにつられてか、俺もはにかんだ笑みを浮かべていた。ただ、その笑みの中には一筋の涙も流れていた。


「ではぁ、行きますよぉ」

 クウネルの合図と共に荷車はミズイガハラへ向けて動き出した。


 アレクとサリアは手を振って見送ってくれている。

 こちらもどんどんと離れていく2人に感謝の言葉を叫びながら手を振った。

 結局2人はこちらの姿が見えなくなるまで手を振り続けてくれた。


 --------


 ミズイガハラへの道のりは非常に順調であった。

 車中では相変わらずクウネルが一方的に話をしていたが、機を見てクウネルに問いかけた。

「クウネルさん、ずっと気になってたのですが、この荷物はなんですか? 昨日はなかったようでしたが」


「それはぁ、内緒ですぅ。そんなことよりカズトさん、見えてきましたよぉ」

 はぐらかされてしまったが、遠目でもわかるほどにミズイガハラの街がみえたきた。


 今日からこの街で暮らしていくのか。


 先日もみたはずの景色であったが、そう思うと新鮮に感じた。


「まずはぁパートナーを紹介しますんでぇ、ついてきてくださいぃ」

 到着するや否やクウネルは荷車から降り、歩き出す。それに俺も続いた。

 中央通りから脇にそれて入っていく。奥に進むにつれ、徐々に人気も少なくなる。

 それからしばらく進んだところで、クウネルが足を止めた。


「ここですぅ」

 クウネルが指差す建物はこの世界でみたどんな建物よりも大規模であった。


「これは......何かの館?」

 それはまるで本丸御殿の如く、他の建物とは明らかに異彩を放っていた。


「ここがパートナーの棲家ですぅ」


 クウネルとそんな話をしていると、玄関で人の動く気配がした。


「クウネルか??」

 凛とした雰囲気の綺麗な声がする。

 そして玄関の扉が開くと、パートナーと思わしき人物が姿を現した。

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