17、押し倒すしかないでしょう


 ちょっと待て。


「テッちゃん?」


 頭がぐるぐるする。春姫の言葉が入ってこない。


「まだ、時間があるよ。マリーちゃんが帰ってくるまで、あと三十分ある」


「春姫、何を言って……」


「どうする?」


 いや。


 なんだこれ。


 なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ。


「ちょっと……え?」


 誘われている?


 まさか、今日は猪苗代がいる。いくら三十分かかるとはいえ、ふと帰ってきてもおかしくはない。この行為にはリスクしかない。


「ねぇ、テッちゃん」


 ちらりと、春姫が俺の顔を見る。


 その顔はほんのりと赤い。


 リップクリームを塗ったばかりの唇の表面が、れているのが分かる。ぼんやりとした様子の瞳は、俺のさらに奥を覗き込んでいるようだった。


 ゴクリ、と唾を飲み込む。 


「良いのか」


「だって、約束……だもんね」


 それからのことはあまり良く覚えていない。


 俺はそばにあった毛布を取ると、そのまま春姫をベッドに押し倒した。腕を押さえつけて、彼女の胸の膨らみに自分の顔を押し付けた。


 耳を当てると、ばくばくと鼓動する春姫の心臓の鼓動が聞こえた。


「春姫」


 彼女が俺を求めている。俺が彼女を求めているように、春姫もこの行為を欲している。


 それが分かると、自分の中にあった何かが、はち切れて粉々になった。思考を縛っていた鎖が、バラバラになって消えていった。


 俺は春姫の身体を抱き寄せた。


「……あ」


 もう邪魔をするものはなかった。この世の中にあるものは、猪苗代だろうが、コーラだろうが、コンビニだろうが、全て吹き飛んでなくなっている。


 世界はこの毛布に囲われた世界だけだ。


 そう思いたかった。

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