第28話 撤退
「ご無事ですか! 父上! お助けに参りました!」
俺様を睨みつけた後、俺様を避ける様に玉座の間の壁際を這うように入ってきたルシードは大きな声を上げた。
それに対するルシードの父ユーディーンの表情は冷たく厳しいものに見える。
恐らくはというか確実にルシードが右手で髪を引っ張っている子供が原因だろう。
「助けに来た? ルシード、お前が髪を引っ張っているその者は誰だ?」
助けに来たなどと言いながら、その手で子供をむりやり引っ張ってきたルシードにユーディーンはそう問いかけた。
ユーディーンでなくとも誰しもが思う疑問だろう。
そんな中、ルシードに無理やり連れてこられ苦渋の表情を浮かべる子供の顔がちらっと見え、俺様はその目的に気付く。
ユーディーンに冷たい視線を向けられているルシードはそんなことにも気づかず、子供の髪を引っ張って顔を無理やり上げさせる。
「父上、この者は第一王子である私の歩みを阻んだ大罪人です。そして、今、父上を害そうと企んでいる目の前の男は事もあろうに私がこの大罪人を断罪しようとしたのを妨害した上に私に危害を加えた反逆者なのです」
いけしゃあしゃあとそんな事を言い出すルシードの言葉に玉座の間が騒めきだした。
家臣らしき者達はヒソヒソと小さな声を話しているがルシードへと向ける視線は一様に冷たいものだ。
要約すると「またか」「あの馬鹿王子は」とそんな所だろう。
先程まで勢いよく俺様を批判してきたエンデとかいうジジイですらそれは同じでどうやらルシードは王宮内での評判もかなり悪いようである。
「……それで助けに来たとはどういうことか?」
呆れを通り越したのかユーディーンの顔は無表情に近い。
そんなユーディーンの表情をどう感じたのかは分からないが、ルシードはユーディンの問いに答えるように俺様へと視線を変えた。
「おい、反逆者! 先程はよくもやってくれたな。その上、王である私の父上にまでこのような暴挙! 今すぐ投降せよ! さもなくば貴様が庇ったこの大罪人の命はないぞ!」
何が楽しくて小さく笑みを浮かべているのは分からんが、俺様はお前には何もしていないし、ただ挨拶にやってきただけであって暴挙に及んだつもりもない。
更に言えば、この馬鹿は大きな勘違いを侵している。
「何を言いたいのかは分からんが、どういう意味だ? まさか俺様のような偉大な勇者がそこのガキの為に命を捧げるとでも思うのか?」
偉大すぎる勇者である俺様の命よりもそこのガキの命が重いとでもこの馬鹿は言いたいのだろうか?
本気で言っているのかつまらん冗談かは分からないが、俺様は率直に思った事をそのままルシードに返するとルシードは俺に喚くように言ってきた。
「ふはは! 騙されんぞ! 貴様この大罪人の知り合いだろう!? そうでなければ第一王子であるこの私の断罪の邪魔をするはずがない!」
「……? いや、そんなガキは俺様の知り合いにはいないぞ。ていうかこの世界で知り合いといえば、貧乏商人たった一人くらいのものだ」
「嘘を吐くな! 反逆者!」
いや、マジでこの世界での知り合いはグレイスくらいのものだ。
まぁ手下2人ももちろん知り合いだが、この世界で出会ったという意味で言えばこの世界ではグレイスただ一人というのが紛れもない事実である。
完全に嘘だと判断したのかルシードは腰につけていた短剣を子供の首筋に添える。
「もう一度だけ言うぞ! 今すぐ投降しなければこの大罪人を殺す!」
「やってみろ。その瞬間お前の首も飛ぶ」
実際、俺様ならルシードの持つ短剣が少しでも子供の首に触れた瞬間に殺す事は造作もない事だ。
一瞬よりも短い時間の事をなんと表現するか俺様は知らないが、一瞬よりも速いそんな時間でルシードの息の根を止める事が俺様にはできる。
ルシードが子供の首に添えている今の段階でそれをやらないのは、ただでさえ面倒なこの状況が更に面倒になるのが面倒なだけであって、やろうと思えば子供に傷一つつけられる前に俺様はルシードを殺せる。
「聞きましたか!? 父上! 今この者は私を殺すと言いました! これに勝る反逆行為がありますか?」
なにを思ったのかルシードはそんなことを言って俺様を睨みつけた後、父であるユーディーンに同意を求めるように喚き出し、それを見たユーディーンは頭を抱えているように見える。
どうやらこの馬鹿の相手は父であり王であるユーディーンにも荷が重すぎるようである。
正直何もかも面倒になってきた。
もうここでルシードを殺してしまって他の大国に行くべきかもしれない。
通っていたと思っていた話も通っていなかったどころかリティスリティアは邪神扱いされているし、正直ドレアスには大国だということ以外にメリットなど一つもない。
リティスリティアが言うには人間同士が戦争をしていると言っていたのでこのドレアスも例外ではないだろう。
ならばドレアスと戦争状態または敵対関係にある大国はあるはずだ。
俺様が本気でどうしようか考えていると不意に不可視化しているエメルから声をかけられた。
「ダメよ、指名手配なんて御免だわ」
「いや、何も言ってないが。それに初めてってわけでもない」
「やっぱやる気なんじゃない。ていうかされたことあるのね、びっくりだわ」
「じゃあどうしろと? あのままだとあのキチガイ王子はマジで殺るぞ?」
「別に殺す必要ないでしょ。無力化して逃げれば。アンタなら簡単でしょ」
まぁ確かに簡単だが、偉大な勇者である俺様にあんな態度を取っておいてそのままというのもなんか癪だ。
とはいえ、エメルの言う事も一理ある。
「おい! 貴様! 何ボソボソと喋っている!? 今の状況が理解できていないのか!?」
理解できているからエメルとこうして相談しているというのにルシードはそんなことを叫び出す。
マジでうるさい事この上ない。
ここで殺っておいた方がこの世界の為だと思うのは恐らく俺様だけではないだろう。
「……ここはお前の言う通りにしておくか。あの馬鹿王子は戦争のどさくさに紛れて始末することにしよう」
小さな声でそうエメルに告げると俺はルシードを無視してユーディーンへと視線を向ける。
「おいっ、ドレアス国王」
そう俺様が言った瞬間、この部屋のほぼ全ての者から睨みつけるような厳しい視線が飛んできたがそんなことなど俺様は気にしない。
「この国は完全に偉大なる勇者である俺様の不興を買った。俺様がまたこの地へとやってきたその時、今日の決断をしたことをお前らは永遠に後悔することになる」
後ろからエメルが「アンタは普通に撤退もできないの?」と言ってきたが、これが俺様の偉大なる勇者の美学なのである。
黙って逃げ帰るなど2流のやることなのだ。
「何を言っている? これが見えないのか? 人質が……って……え゛?」
俺の言葉に反応したルシードがそんなことを言って子供の髪を掴んでいたはずの自身の右手を確認するがその手には子供の姿はなく——。
「ぎゃぁぁぁ! 私の手がぁぁぁ!」
俺様が行使した氷の魔法『アイスランス』によって作り出したランスというには小さな全長10cmほどの小槍がルシードの手の甲を打ち抜かれていた。
手の甲を撃ち抜かれたぐらいで隙だらけとなったルシードの足元から俺様は悠々とガキを回収し、元居た位置に戻ってそれどころではなさそうなルシードに見る。
「さて、ガキを回収した事だし俺様は帰る」
俺様が何をしたのかも分からない者達は一瞬ポカンとその場に立ち尽くしていたが、少ししてルシードの元にユーディーンの周りを固めていた騎士の内の数人が駆け寄るが、ルシードは「死ぬぅ、おのれおのれ」と呻き声を上げるばかりだった。
「待て!」
俺様がルシードの事を無視してこの場を去ろうとするのをユーディーンがそう呼び止めるが、そんなものは無視だ。どうせ、この馬鹿どもに話など通じないのだ。
ユーディーンはその後も俺に何か言おうとこちらにやってこようとしていたようだが、数人の騎士に羽交い絞めにされて俺を追う者はこの玉座の間には誰一人としていなかった。
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