第30話 シンクロ

「しゅんくん」。

それが新しい俺の呼び名だった。

今までそんな風に呼ばれたことは無いから、面映おもはゆいというか何というか……。

『しゅんくん、おはよう』

俺が目覚める時間を考慮して、出勤の一時間くらい前に毎日メッセージが届く。

葉菜とは電話で話すことの方が多かったし、そもそも付き合っていた頃は毎日のように顔を合わせていた。

同棲していたときなんかは、それこそ同じ部屋、同じ大学に通っていたのだから、そんなやり取りは必要無かった。

それに比べてメッセージというのは、もどかしいような物足りないような感覚を連れてくる。

『お仕事がんばってね』

……なるほど、世の恋人達が、無機質なデジタルの文字に一喜一憂する気持ちが判らないでもない。

もどかしければ肉声でのやり取りをほっするし、物足りなければ次のメッセージを催促さいそくしてしまいそうになる。

『しゅんくん大好き定期』

……ヤバい。

仮の彼女であるはずなのに、心がき乱されるのは何故なのか。

どこまでが仮で、どこまでが本心なのか。

『おはよう』だって「定期」なのに、『大好き』だけに「定期」を付けるのは何故なのか。

子供の頃から一緒にいて、当然のように付き合いだした葉菜と違って、何かと戸惑うことが多い。


詩音と付き合いだして五日後、俺は葉菜に電話をかけた。

「珍しいわね、春平が電話してくるなんて」

「まだ実家か?」

「ええ。明後日には帰るつもりだから、また顔を出すわ」

「いや、そのことなんだが……」

どうしても言い淀んでしまう。

「どうしたの?」

「その、俺、詩音と付き合うことになって……」

「あら、そう」

随分とあっさりした返事だ。

「つまり、今までみたいに部屋には顔を出すなってこと?」

「まあ、そういうことになる」

「お父さーん! 春平がお父さんに話がある──」

「わーっ、やめろ! 今はまだその時ではない! もう少し待ってくれ!」

「私からは言わないわよ?」

「判ってる。いずれちゃんと俺から話す」

詩音のことはともかく、葉菜と別れたことはちゃんと話さなければならない。

「小学校二年生のときだったかしら?」

「何の話だ?」

「葉菜の夫に、俺はなる! って言ったの」

「言ってねーよ!」

「海賊王だった?」

「それも言ってない」

「AV男優?」

「どんどん離れていくな、おい!」

「……最初がいちばん近かったの?」

「海賊王やAV男優と比べれば当たり前だろうが!」

電話の向こうで、少し笑う気配がした。

「詩音ちゃんのことは判ったけど、たまには電話していい?」

「ああ。まあ、それくらいは」

「じゃあ一日十回くらい電話するわね」

「嫌がらせか!?」

「じゃあ一日一回」

「一回くらいなら……」

「春平が寝ている時間にかけるわ」

「嫌がらせなのか!?」

「ねえ春平」

「うん?」

「私は色々と至らない彼女だったけど……」

「葉菜……」

「今度はちゃんと、素敵な性生活を営んでね」

「性生活かい!」

「あの子にあなたの特殊性癖の相手がつとまるといいけど……」

「極めてノーマルだよ!」

「たまには交ぜてね」

「さんぴーかよ!」

「男の夢でしょ?」

「詩音に殺されるわ!」

「あら、あの子なら大丈夫よ。何なら私がとしてもいいわ」

冗談に聞こえないから始末が悪い。

「なぁ葉菜」

「なぁに?」

「お前も、誰かいい人を見つけてくれ」

これは本心だ。

でも、本心でありながら心からの言葉とは言えない。

「あら、随分と難しいようで簡単なことを言うのね」

「簡単なのかよ!」

「春平よりいい人は簡単に見つかるでしょうけど、春平みたいな人がいないのよ」

「俺に、そんな強い個性は無いだろ」

「指先まで愛してくれたもの」

「……」

「こっちは雪が積もってるわ」

俺の返事を待たずに、葉菜は話を変えた。

「北向きの縁側、春平も好きだったでしょう?」

葉菜の家は大きく、縁側も二カ所ある。

広く日当たりの良い庭に面した南向きの縁側と、裏山の雑木林へと繋る北向きの縁側だ。

北向きの縁側から見る、そのひっそりと落ち着いたたたずまいの庭と、背後へと続いていく木々の重なりが、どういうわけか子供の頃から好きだった。

そこに描かれる季節の移ろいみたいに、俺の気持ちも変わっていくのだろうか。

「あ、雪の上に、野ウサギの足跡が付いてるわ」

葉菜の声が、はずんで俺の耳をくすぐる。

民家の庭でも見かける足跡は、タヌキと野ウサギくらいだったか。

少し山に入ると、キツネやシカの足跡もよく見かけた。

ありとあらゆる場所に葉菜と出かけ、時間と思いを共有した。

「野ウサギの指は前脚が五本、後ろ脚が四本。犬もそうよね?」

そうだったろうか。

今度、ペロの脚を確認させてもらおう。

「ね、今度、私がペロを散歩に連れて行っていい?」

葉菜と話していると、時々、こんな風に思考や発想がシンクロすることがある。

犬が話題に出たのだから、シンクロと言うほどでも無いかも知れないが。

「ペロは、葉菜が好きだよ」

「あの子は詩音ちゃんが好きでしょう?」

「葉菜のことも、負けないくらい好きだよ」

「……春平は?」

「俺、俺は……」

「ごめん、忘れて? まだ抱いていない女性と比べられないわよね」

「身体の話かよ!」

「あら、身体の相性って大事よ?」

「それは、そうかも知れないけど……」

「あ、また雪が降ってきた」

今度は声が華やいだ。

「おい、風邪ひくなよ」

こっちと違って、田舎は寒い。

「大丈夫よ。私は強いもの」

葉菜の強さも、葉菜の弱さも知っている。

子供の頃から、ずっと──

「春平」

強い口調で、葉菜は俺の名前を呼んだ。

「幸せになるのよ」

その声は、強くて、優しかった。

思いは、シンクロした。

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