第10話 忘れ物

何が楽しいのか、有希はほほを引っ張ってもニコニコしている。

「亜希は、お父さんと仲が悪いのか?」

割とデリケートなことを訊いているのだが、有希が笑顔でいるものだから日常会話でもしている気分だ。

「お姉ちゃんツンデレだから」

それは何となく判る。

でも父親に対しても?

「あんまり会話しないけど、普段からお父さんのこと心配してるー」

なるほど、ツンデレというか、年頃の女の子に有りがちな対応という気もする。

「で、どうして言い争いを?」

「亜希、あのくだらん男は誰だ! ハルヒラのこと悪く言わないで! 俺は認めん! お父さんに認められなくても私達は別れない!」

……コイツは、随分とテレビドラマか何かをたしなんでいるようだ。

「で、どうして言い争いを?」

俺は真面目に心配しているのだ。

あまりおふざけが過ぎるなら、おしおきをしなければならない。

「優しくしてー」

「やかましいわっ!」

なぜ叱られてキャッキャッと喜ぶのか……。

「なんかねー、中学卒業したら働くとか言ってるからー」

「亜希が?」

「うん」

……それで争うってことは、当然、お父さんとしては娘を高校に行かせたいのだろう。

で、有希を家から追い出すってことは、単に争いを見せたくないのか、それとも……。

「有希」

「なーに?」

「お姉ちゃん、どうして働きたいか知ってるか?」

「知らなーい」

中学を卒業して直ぐにでも働きたい夢があるのなら、恐らく有希にも話すだろう。

有希が知らないってことは、そんないいものじゃ無いんだろうな。

「少しでも早く働いて、父親に楽をさせたいのかな……」

「父親を楽にさせる?」

「を、と、に、を逆にすると飛んでもなく不吉な気配がするから注意しような」

「しゅんぺー、いま楽にしてあげる」

「殺すな」

「しゅんぺー、これなに?」

「ん? それは──それは!?」

有希が布団の中からまみ出した物。

それは、清楚で可憐でつつましやかな、いや、ある意味、慎ましさを誤魔化すまやかしの道具でもあり……つーかパッド分厚いな。

葉菜のやつ、最初から泊まるつもりで来てたのか、替えの下着も用意していたらしい。

で、脱いだ方を忘れたと。

まさかパンツまでその辺に落ちてるんじゃないだろうな?

「誰の?」

有希の視線が冷たい。

ここは何と答えるべきか。

正直に元カノの物だと言ったとして、どうして元カノのブラがこの部屋にあるのか。

ブラが落ちているということは脱いだということだ。

脱いだということは、ヤッたと思われても仕方ないのではあるまいか。

果たして小六の少女に、そっち方面の知識がどれくらいあるのか判断が難しいところではあるが、あらぬ誤解は避けておきたい。

「俺のだ」

何故か俺は胸を張って言った。

有希は目を丸くして、手元のブラと俺の間で視線を往復させた。

あれ? あらぬ誤解を避けるために、俺はあらぬ誤解を生んでしまったのではないか?

そもそも、元カノだろうが他の女性だろうが、俺が関係を持っていたところで有希に隠す必要も無いし、俺がブラを所持している方が遥かに問題なのでは?

「これでどうするの?」

変態という一言で片付けられそうなのに、有希は素朴な疑問を投げかけてくる。

やはりまだ幼く、すれていないのだろう。

いや、俺自身、ブラがあったところで何に使えばいいのか判らないが。

「えっと、こう?」

有希は服の上から、俺の胸にブラをあてがう。

が、背中のホックは届かない。

というか、背中に手を伸ばすものだから、有希は俺に抱きつくような格好になっているのだが。

ポンポンと、俺は有希の頭を叩いた。

「これは元カノの忘れ物だ」

隠す必要は無い。

だが有希は何か勘違いしたようで、小首を傾げるようにして少し寂しげな顔をした。

「ずっと、持ってるの?」

別れる前の忘れ物だと思ったのだろう。

ガキのくせに、どこか慰めるような口調に苦笑してしまう。

「ずっと、待ってるの?」

元カノが取りに来るのを待っているのだと思ったのか、有希は俺の頭に手を伸ばし、優しくナデナデしてくれた。

なんでこんな子供に癒されているのだろう。

だが、こんな純粋な気持ちで勘違いされると、もう本当のことは言えなくなってしまった。

「今でも好きなの?」

そうなのかも知れない。

本当のところは、どうして別れたのか自分でも上手く説明出来ない。

ただ──

「お巡りさん、この部屋です!」

玄関のドアの向こうから、亜希の声が聞こえてきた。

部屋に少女を連れ込んでいるのだから前回よりも言い逃れの出来ない状況だが、今度は狼狽うろたえたりはしない。

「鍵は掛かってないから入ってこい」

第三者から見ると、少女を二人も部屋に連れ込むという更に悪い状況を作り出してしまうわけではあるが。

俺を驚かそうとしたくせに、亜希は遠慮がちに少しだけドアを開け、恐る恐るといったていで顔を覗かせた。

部屋は狭い。

玄関から、台所、寝室まで一目で見渡せる。

俺の横にいる有希の姿にも直ぐに気付いたはずだ。

服の上から、自分のちっこい身体にブラを試着している有希の姿に──って、え?

この絵面えづらはマズイんじゃないか?

「……妹に、何させてるの」

亜希は般若の形相で部屋に駆け込んできた。

対照的に、ブラを装着し終えた有希はご満悦な様子で、生意気にもしなを作ってみせる。

服の上から、しかもずり落ちそうという滑稽こっけいな姿ではあるが。

「妹に、何をさせているの」

「いや、まずは落ち着け」

「有希、外しなさい! そんなハルヒラの体液が染み付いたようなもの」

「染み付いとらんわ!」

「ほら、帰るよ!」

「いや、帰るなら誤解を解いてからにしてくれ」

「何が誤解よ! 変態! ロリコン!」

「だからそれが誤解だろうが! 服の上から胸も無いガキにブラを着けさせるって、どこまで特殊な性癖をこじらせてんだよ!」

「うるさいコジハル! だからそれが変態ってことじゃん!」

拗らせたハルヒラでコジハル?

なかなか斬新で更に誤解を招きそうな呼称だ。

「おい、有希からも説明してやってくれ」

どこまで状況を認識しているのか判らないが、有希はニッコリ笑って言う。

「元カノさんの忘れ形見だって」

「勝手に元カノを殺すな!」

「忘れられない元カノの物だって」

「日本語は難しいな。元カノの忘れ物だからな?」

「元カノさんに追い付くのは、私にはちょーっとだけ早かったみたい」

ブラをカポカポさせながら呑気のんきなことを言う。

「そうだな。ちょっとだけな」

「お姉ちゃんならピッタリかも」

「そうだな。亜希なら──亜希?」

誤解は解けただろうと思ったのに、亜希はワナワナと怒りに震えていた。

「そんなに、執着してるんだ?」

「え、いや、執着とかじゃなくて」

「そんなものを後生大事に保存するくらい未練タラタラなんだ」

「いや、未練とかじゃなくて……亜希?」

亜希は挑発的な、それでいて引きった笑みを浮かべていた。

「おい、何を!?」

自分の服の中に手を入れた亜希に、俺は唖然とする。

背中に腕を回し、もどかしそうに身体をよじると、服の中から取り出したそれを勢いよく俺に向かって投げつけた。

「こんなもの、何がいいのよ! この変態!」

いや、どっちが!?

ビジュアル的には、俺は頭からブラを垂れ下げている状態ではあるが……。

「有希、帰るよ!」

「しゅんぺー、じゃぁ!」

亜希は、いつも通りの有希の手を引き、叩き付けるように玄関のドアを閉めて出ていった。

「これでいったいどうしろと?」

俺は布団の上に並べた二つのブラを見つめ、途方に暮れてしまった。

どっちも、パッドは分厚かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る