ときに思考に潜る幸せ。

 自分一人のための時間を持つことは幸せである。

 逆に自分の時間をもてないときは、心のありようが全く違う。

 ふたつはまったく別の時間です。


 結婚は人生の墓場とも言いますが。

 結婚していなくとも、その意味はわかります。

 私の人生は他者に支配される、搾取される側の人生でした。


 だから、支配されるのも搾取されるのも嫌だし、それまでの人生を肯定するならば、今の生き方にたどり着くための演習だったと思いたい。

 結婚や、恋人を持つことに夢はありません。

 友達や愛猫との時間を持つこと、それこそが幸せ。


 静かな時間を楽しむ私です。

 やかましいことはしたくないのです。

 思考をかき乱すことも、一切。


 0か1の人生です。

 命は一つきり。

 同時にいくつもの人生など生きようがない。


 私は一人です。

 死んだらゼロ人です。

 それでいいじゃありませんか。


 目の前にいる生き物も、命は一つ。

 失ったら最後、戻ってきません。

 だからこそ、共にあることが、しあわせ。


 そうですねえ。

 たとえば、私が恋人にそういう幸せを与えられたとして、私もそういう人と一緒にいられるならば、恋人関係も悪くはないと思います。

 結婚もしかり。


 しかし、現状そうはならない。

 恋人はあつかましいし、やかましい。

 なんで付き合っているのかわからなくなるから、別れました。


 それでいいと思います。

 善良であることをただ求められることは時に苦痛でもあります。

 私も生身なので、いろいろとね。


 いろいろな欲をなんとか満たし、解消できたなら、そのときこそ作品を書きたい。

 創作とは、そういうものであるべきです。

 おなかがすいたり、眠らずにいるときにするものではないと思います。


 ですからね、素敵な人生をおくりたいじゃありませんか。

 それが、私にとっては静けさであり、愛猫との時間であり。

 なんだか、枯れてますが。


 そういうことなのです。

 一人でいるときに、人生について考えることも、愛情や混じりけのない透明な時間について思うことも、みんな必要です。

 ただ、家族がいるので、なかなか一人になれない事情もありますが。


 それはそれで修行になるというか、気にしない図太さを学べるというか。

 でんと構えて、肝を据えたいです。

 たとえ、家から一歩も出ない生活でも、家に一回も帰れない忙しさを愛する時期は過ぎました。


 働くことへの望みはもう、すっかりと色あせて。

 きままに暮らしていきたいと思うようになりました。

 自由に。


 なにから? なにが自由? それも考えましたが、他者から支配も搾取もされないことでしょうね、少なくとも。

 私の人生のほとんどが自由とは程遠いものでした。

 他人のためにあくせくあくせく。


 それが本当に幸せだったし、当時はものすごく耐久力がありました。

 若かったんですね。

 それをなぜだか評価されて……そういう時代でした。


 もう、そんな時代ではないと思いますよ。

 ですから、目指すはスローライフ!

 いいですね、カクヨムのランキングにも乗るくらいトレンドです。


 真面目に生きて、評価されるよい子よりも、自由気ままにやりたいことをやる人生のほうが、深みがあります。

 追及するのが楽しくて仕方ありませんね、きっと。

 ですから、このまま、現状維持で暇をつぶして生きていきたいです。

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