【ぱん・ぱしふぃっく・ぱんでみっく (2/3)】

◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇


 望月もちづきの遠く、不気味なほど爛々と輝く様を見続けながら、次女はタイマーを確認した。

 周囲に浮遊する無数の残骸。先ほどまで懸命に勤めを全うせんと励んでいた戦闘モジュールたち。かつて故国を護る使命を厚い装甲に包んだ、従順なる鋼鉄の兵士たち。今やそれらは忌まわしい宇宙ゴミデブリの一部となって、永遠に地球軌道上をさまよう運命にあった。


「――それで、ワタシの番はいつ来るのよ」

 次女は流体の瞳を輝かせながら、苛立った口調で吐き捨て、身の回りに浮遊する空の弾倉を払いのける。次いでモジュールの多目的ロケットランチャーを拝借ハッキングし、身をねじって地球側を向く。


 そう簡単に事が進むなどとは思ってもいなかったが、明らかに手筈は難航していた。

 環太平洋偽装網は突破された。そう見るのが妥当だ。どの道、全ての未制圧サーバーをフル活用してクラッキングした所で、同じようなDDos攻撃に五百年以上晒されてきたS.S.Sがそう簡単に陥落するはずは無いのだ。

「空き巣も強盗も失敗して、あとは保安官が来るのを待つだけ――遂に別れも言わず終いか」

 こうなると口惜しいものだが、返る言葉などとうにない。既に地上と宇宙を繋ぐ通信システムは機能不全に陥って、回復の見込みはない。

 感傷は飽きた。思い出も後悔も捨ててきた。次女は息苦しいバイザーの向こう側、まだ青く輝く地球を見つめた。地上から伸びる一筋の黒い影は、彼女の足下まで続いている。

 その天国へ伸びる豆の木は、少しだけねじれ始めていた。


 次女は、無遠慮にそこへロケット弾を打ち放つ。

 轟音を立てながら燃え上る暗黒の塔――は、そこになく、ただ音もなく外壁が弾け飛び、一瞬の間に火球が消えてなくなる様を見続けた。


 軌道エレベーターはカーボン繊維を基礎としたケーブルを中心軸として、遼遠に伸びるメインシャフトを無数の防護層で取り囲んでいる。他にも様々な防衛補助機構があるが、基本的には脆弱で、ちょっとしたことで引力と遠心力の綱引きがはじけ飛んでしまう。故に重量設定と全体積載量には厳重な注意が必要で、開発時期の経済状況から防護層の建材は安価なモノで賄われており、航空機の外装程度の強度しか持ち合わせていない。

 次女はロケットランチャーを捨て、その反動で無重力の中を跳躍する。腿から伸びるスラスターを噴かして進路を調整しながら、積載運搬用の軌道車両へ指示を出した。合わせ目一つない堅牢な王冠クラウンの施設占拠を試みて手に入れられたハッキングできた唯一の駆動モジュール。トロッコ程度の荷台と一人分の操縦席に、残る装備の大半を詰め込み、次女は最後に、一世一代の大勝負に出る。


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 環太平洋擬装網は、長姉と末妹が残された力をフル活用して作り上げた諸刃の剣だ。茶々入れに見せかけたトロイの木馬でマルウェアを送り込み、最大級の迎撃行動リフレクションを誘発させる。それを世界中に引きずり回し、IPアドレスを『古い知人』たちの名前に書き換えながら、元いた古巣を攻撃させる。

 東海岸の分離主義者たち、河北に跋扈した軍閥情報部、カムチャッカの非公式独立領、南北併合を否定した敗残兵の末裔、バンコクから東南アジア全域に拡散した火薬庫の誘爆材たち、死に損ないのカルテルが残したブービートラップ。かつてS.S.Sが手を焼き、今日まで駆逐してきたはずの全ての亡霊たちが一斉に蘇り、アルゴリズムに刻まれた使命ミッションを果たすために群がってゆく。


 だがこの計画はミラーリングの危険性を孕んでいた。事実いま、次女は電子戦の支援を失ってここにいる。情勢はわからないが、間もなく施設全体の。血肉を分けた姉妹きょうだいたちの行く末すら見届けられぬまま、次女を載せた軌道車両は地上へと降下してゆく。


「――――ッ!」

 車両と機軸の摩耗限界に迫る降下速度。声一つ出せない激震。

 ナノマテリアルで構築された流体眼球ですら視界がふるえる。次女は舌を咬-まぬよう顎を食い縛りながら、荷台のグリップやバーにベルトやら何やらで身を固定しつつ、両手で武器を抱えて直下を睨みつけた。


 軌道エレベーターは巨大な列塔が大地の上に築かれたように見えて、実のところ冗長に長い紐が地球から状態だ。故に、どこか途中で切り離せばハンマー投げのハンマーが遠くへ放たれる要領で決められた方角へ一目散にすっ飛んで行く。ケーブルの先端部で切り離せば地球軌道から外れていくが、仮にこの位置と爆発威力を選択する事が出来れば、全体の重さで地上に落とすことも可能だ。

 S.S.Sのメインサーバ、軌道エレベーターの頂上に建設されたクラウンは、高軌道戦争を想定して堅牢に設計されている。大気圏突入に施設全般が耐えられるかは不明だが、最も大事な量子コンピュータの集合体がそう簡単に壊れるような位置にあるはずがない。それにどんなに堅い貯金箱でも、開封を前提に作られているならば開けられない訳がなく、諸共地面にたたき落とせばなお確実だろう。燃え尽きない軌道へと導く崩落予想地点を見極めた上で、積載した爆発物を一度に起爆させられれば、出来ない話ではない。


 上手くいく保証はない。

 それでも、自分や末妹には無理でも、あの往生際の悪い姉ならば

 ――――やってのけるかも知れない。自分の死と損失を乗り越えて。

 武力による直接制圧が叶わないならばもはやそれしかない。


 『脳筋』――――かつて長姉がくり返しそう呼んでいた。

 アタッカーとして、積極的に前線へ赴き、血肉の沸き立つ衝動に任せて戦い続けた次女にとって、その蔑称はいささか度が過ぎて聞こえた。

 だが今は、確かに我ながら、実に『脳筋』な発想だ。次女はそう心の中で呟く。


 やがて僅かに、落下速度が乱れ始めた。S.S.S側に軌道車両の制御権を奪回されないよう、次女は手持ちの銃でメインコンソールをたたき壊した。慣性と重力に任されて加速し続ける軌道車両は、真空状態を維持された軌道エレベーターの中、自由落下スピードを超えて突き進んで行く。流体の眼球が視界補正システムを構築して視野が開けてきた頃、堕ちていく無限重力の井戸の底から這い上がってくる幾つかの機影を捉えた。


 蜘蛛か蟻か、あるいは蜂のような、見たことのない新型の戦闘モジュール。

 カーマンライン――宇宙と地上の領空を切り分ける机上の概念は、属する組織や団体によって定義基準が異なる。その国際法の間隙を突いて、影で配備が進められてきた蜂の巣ビーハイヴ。藪をつついて蛇を出すとはまさにこのこと。

シャフトにしがみ付き、高速で登ってくる蟲が一機、二機――――全部で八機。

 内一機は背が大きく膨らみ、通信機能を強化した支援機と見えた。


「――おっそいのよ、出てくるのが!」


 舌を咬み、反吐が出そうな造血液の味も気にせず叫び、次女は迷わずその蟲を撃ち抜いた。


「デートに遅刻してくるなんて、最っ低!」


◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇


 反撃行動レスポンスは早かったが、対人戦責任レスポンサビリティには欠けていた。非推奨殺傷兵器の使用に警告もアラートも無く、安全装置は早い段階で解除されていたことが窺える。

 相対距離は約二四〇〇m。瞬きをする暇すらない。


 シャフトにむらがる戦闘モジュールたちは、蜂の針を思わせる銃器を備えた特大の腹を前につきだし、天に向かって鉛の雨を降らせた。咄嗟に次女は手前の防壁へロケット弾を撃ち込み、障害物を作ってやり過ごしたが、何発かは目の前スレスレをよぎる。


「あのボウヤ――」

 次女は、小憎たらしい人形アンドロイドの顔を思い返した。


 戦闘モジュールの蟲たちはケーブルシャフトから飛び退くと、むき出しの外壁フレームに華奢な足を幾重と絡めて姿勢を定める。対角側の各所にアンカーを複数射出し、ワイヤーを巻き取る時の反動や慣性を利用して、でたらめな軌道を描きながら信じられない速度で次女の方に向かってきた。なるほど、これならば噴出推進時よりもシャフトを傷つけなくて済むのかと、次女は瞬時に納得した。

 高軌道による重力低減、低密度の空気も相まって、その俊敏さは地上の機体と雲泥の差だ。

 互い違いに飛び交い、ランダム性を交えながらの直接照準。秒追う毎に相対距離は縮まるのに、次女の射線はまるで定まらない。それでも簡単に決定打を与えないのは、メインシャフトでもあるケーブルに背を向けている間までの話で、接触距離まで近づけば一気に迷わず飛び込んでくるはず。自分が同じ立場の機械なら、必ずそう判断する。

 距離はあと六〇〇m。


 次女はさらに賭けに出た。

「なりふりなんて――――っ!!」

 自分の軌道車両に結んでいたベルトを、手持ちの打ち刀ニンジャソードで絶ち切り、両手に抱えられるだけの装備を投げ捨てて一気に身を乗り出した。

「構ってらんない――――っ!!」


 慣性と微弱な自由落下に身を任せて数秒待たずして、戦闘モジュールの一機が次女の懐に潜り込んだ。眼前に迫る肢から無数のスパイクが展開し、次女の胸元を掠める。次女が身を翻して避けるのを見計らい、残る肢で捕縛せんと大きく開く。

 しかし次女はそこへ真っ直ぐに飛び込み、迫る前肢に組み付き、その根元の中核制御装置とおぼしきコブへ向かって鋭く刀を突いた。馬鹿力で装甲の隙間に切り込むのと同時に、モジュールの残る四肢が次女の体幹めがけて迫る。大方はなんとか避けるものの、ウェアのあちこちが避け、傷口から白濁した人工の血潮が珠になって吹き出した。鏡面にはボロボロになった自分と、高速で外壁を駆け上がる機影を見かけた。

「こンのぉおお――――!!」

 次女は吠え、今一度刃を突き込み、目釘に仕込まれたスイッチを押す。すると切っ先からナノマテリアルが抽出し、装甲やフレームの隙間を伝いながらモジュールの制御装置へと浸入する。物理浸入を果たしたコンピューターウイルスが秒カンマ以下で制御を奪い、次女は稼働停止した機体ともつれ合って空中ダンスを始める。


 やがてジャイロバランサーの駆動が再開し、きりもみ回転から姿勢を回復させると、死に損なったモジュールは動的対象全てに射撃を開始した。再び放たれた弾丸の内の幾つかは、身を翻して迫ってきた仲間の蟲に直撃し、さらに後方で外壁の幾つかが吹き飛んだ。

しかしシャフトから離れたことで、射撃もより遠慮が無くなっていく。機械たちは味方の亡骸にも容赦なく銃弾を浴びせ、モジュールは見る間に鉄の塊になっていく。その機影に隠れた次女の脇腹や胸元も撃ち抜く。

 一機、二機と、モジュールの残骸へ敵影が群がってゆく。前衛の二機がアンカーを残骸と次女そのものへ向けて射出した。次女は自身に絡みつく粘性のスチール繊維が硬化する前にカタナで切り抜けられたが、当のモジュールは他機に組み付かれ、レーザートーチで切り裂かれバラバラにかみ砕かれていく。


 次女は流体の瞳を斜視にし、ヘルメッタルにバイザーの外側を拾わせた映像を脳内で統合し、擬似的な全視界を作り出し、モジュールの探知システムとも併用して辺りを見渡した。貨物台から放り出された銃器アンティークは、次女たちよりも少しばかり地球側へ落ちていく。

 次女は、使い勝手の掴みきれないアンカーやワイヤーを駆使してそれらを手元にたぐり寄せると、力技でジャイロを切り裂き、ハッキングした戦闘モジュールを蹴り捨ててさらに地球へと落下する。電力供給が途絶えても数秒間ジャイロは回り続け、それを利用して姿勢を正すと、次女は再び機関銃に懸架されたグレネードランチャーを同じ場所に群がってゆく蟲めがけて放った。初弾が花開くと同時にモジュールたちは散り始め、その隙を突いて次女は次弾を撃った。


 回転弾倉が回る度に、引金は軽く、目の前は明るくなってゆく。

 後方でさらに巨大な花火が上がった。貨物台に置いてきた爆発物に起爆したのだろう。

 落ちてくる蟲たちの残骸が、次女の肉体を切り刻む。の諌言を押しのけて改造を強行したシリコンとアミノ酸の化合物が、宇宙の塵の一部となる。そして心停止を迎えると同時に、ウェアの各所に仕込んだ自爆装置が作動する。

 鉄片の雨に打たれ、白濁の血潮をまき散らし、死の感触を覚えながら、次女はそっとまぶたを閉じた。

――――目の前に広がるこの光景を見ながら果てるなら、それもいいかもしれない。

 上手くいく保証はない。それでも、自分や末妹には無理でも、あの往生際の悪い姉ならば

――――やってのけるかも知れない。自分の死と損失を乗り越えて。


――――そうねがった矢先だ。


『――悪いが、まだ終わっちゃいないんだよ』


ヘルメッタルに、どこかで見知った声が届いた。 


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