第3話 捜し物は大抵最初に落ちているもの。
魔王城で朝食を
呪いの棍棒を手にしてから、シヅマの脳裏にはある一言が常駐していた。いつもは休眠しているが、かなりの頻度で起き出しては、シヅマに囁くのである。
「どうして、こうなった?」
食卓を挟んで、向かい側に謎の東邦系少女と自称魔王の人魂がいるのを見れば、シヅマでなくても何が何やら分からなかったに違いない。
しかも、朝食として出された食事、米の飯、若布と豆腐の味噌汁、そして、塩鮭が涙が出るほどに懐かしく、うまかったので、こんな文明社会の辺境で故郷の味が食すことができたのも違和を増大させた。
こういうとき、どんな相手でも張り切って疑問をぶつけるエルクはまだ完全に起きてはいないようで、半分目を閉じたまま、それでも出された料理を次から次へと食い尽くしていく。
レッティールも得体の知れない場所で得体の知れぬ人物と食を興ずるというわけにもいかないという表情をしていたが、今はエルクの世話で手一杯で余計なことを考えている余裕はないだろう。
侵入者三人がそれぞれの理由で口を開かないでいると、シヅマと同じものを食べていたアトリが箸を置き、黒々とした大きな瞳をシヅマへとまっすぐ向けてきた。
「それで、お兄さんたちは一体どこの誰で、どうしてこんな何もないところまで忍んだのかな?」
尋問と言うにはあまりにも穏やかで、敵意のかけらもない。むしろ、興味がある風である。
アトリの態度が好意的、ないし、中立的ならばと、シヅマは居住まいを正し、真摯に向き合い、虚妄を交えずに事実だけを話すべきだとシヅマは判断した。
質問の中にあった「何もないところ」と断言するのは違うと思ったが、そこには反論せず、自己紹介をすると、軽く事情を話した。
シヅマの語る言葉に逐一頷きつつ、最後まで話の腰を折ることなく聞き終えると、目を閉じ、真剣な表情で考え込むそぶりを見せた。数秒後、急に何かに気づいたように目を開けた。
「あ、そうそう、自己紹介がまだだったね。わたしは辻野アトリっていうの。あ、こっちじゃ、アトリ・ツジノって言ったほうがいい? まあ、アトリって呼んでくれればいいよ」
「その名前ってことは、やっぱりあんた、ホツマ人なのか?」
「ホツマ……? ああ、そっかそっか。『こっちの世界』にも同じようなのがあるんだねえ。ヤバい。何か漲ってきた」
何やら興奮しているが、迂闊に妨げても、いいことはなさそうなので、シヅマはアトリが沈静するまで待った。シヅマの様子に気づいたアトリは恥じ入ったように頭をかきつつ、放置したことを謝した。
「ああ、ゴメンね。わたしね、実は『こっちの世界』の人じゃないの。別の世界からこの『マオちゃん』に呼ばれてきたんだよ」
与えられた情報は少なかったものの、完全に許容量を超えてしまい、シヅマは手を上げて、言葉を続けようとするアトリを遮った。情報を精査し、整理して、ようやく理解が及んだシヅマの出した結論は本質からはややずれていた。
「いや、それ拉致じゃん!」
「あ、そう言われてみれば、そうだよねえ。シヅマさんに言われるまで、全然気づかなかったよ」
「さんはいらねえよ……てか、これ、本当に魔王かよ?」
「昨日からそう言うておるだろうが! この痴れ者が!」
人魂が色を赤くしながら、宙を跳ねた。色が赤に近づくほどに怒りの度合いが分かるのは便利だ。昨日から赤くなりっぱなしなのは、魔王が激情家なのかもしれない。
おそらくは気色ばんでいるのだろうが、近寄ってきたところをシヅマはつい反射的に棍棒ではたき落としてしまった。虫を踏み潰したような生理的嫌悪をもたらす音とともに吹っ飛ばされた魔王は食卓をすり抜けて、さらに床をも越えて、尖塔の最下層まで落とされた。
やがて戻ってきた魔王はどこか色あせ、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。小刻みに震えているのは恐怖か、怒りか、その判別すら難しいほどに。
「くっ……棍棒で打つなんて……勇者にも打たれたことなかったのに……な、何なのだ、その棍棒は! あらゆる物理干渉を受けない根源体の余に直接触れることができるとは、一体どんな手を使ったというのだ?」
「知らねえよ。だから、この呪いの棍棒のことが知りたくて、わざわざここまで来たんだよ」
「呪い? ふっ、そうか、貴様、解呪のことを知りたかったのか? だとしたら、残念だったな。ここにはその方法も文献もない。くっくっくっ、はっはっはっ! ざまあないな!」
口は災いの元を地で行くがごとく、魔王は再びシヅマの棍棒で叩き飛ばされ、今度は壁を越え、一瞬の光芒を残し、彼方へと消えてしまった。さすがにやりすぎたのか、アトリが非難がましい視線を向けてきた。
「ちょっとやりすぎ。まあ、先にマオちゃんが煽ったのが悪いんだけど」
「すまん」
そう詫びつつも、溜飲が下がったことで、すっきりした表情のシヅマに、アトリはやれやれとばかりに苦笑した。
「一応、魔王様なんだから大丈夫だとは思うけどね。で、これが例の棍棒だね?」
アトリは身を乗り出すように興味津々な様子で棍棒を観察したが、すぐに失望の表情に取って代わられる。見たところで楽しいものは何一つないのだから当然だろう。
「うーん、どう見ても、普通の棍棒にしか見えないよねえ」
「だったら、この眼鏡をかけて、もう一度見てごらん」
さりげなく差し出された眼鏡をなんとなく受け取り、さらに疑問を持つことなく装着した瞬間、アトリの喉の奥から壊れた笛の音のような悲鳴が漏れた。
「ひっ……! う、うわぁ、きんも! 何これ、きっしょ!」
何を言われているのかはわからないが、少なくとも褒め言葉でないことだけは分かる。何があっても心が動かぬようにと事前に纏神をしてなければ、シヅマは号泣していたかもしれない。その代わりに、食後に見せられないようなものを見せた犯人であるエルクを睨みつけた。
「おまえ……寝てりゃいいものを。ほんと、起きているときはろくなことしないな」
「ふふん、学問は醜いものを直視しなければならない時もあるのだよ。それが異世界から来た少女でも例外ではないさ」
「何が学問だよ。嫌がらせじゃねえか」
「そうだよお。朝からグロ画像はさすがにひどすぎるよお」
悪質ないたずらを受け、べそをかくアトリも、エルクに眼鏡を返すときは投げ返すのではなく、丁寧に手渡しするところを見ると、育ちはいいほうなのだろう。
アトリに対して、エルクはすぐに地金を晒した。
「ふふふ、キミたちのいちゃつきぶりを見てたら、『正妻』としての立場が危うくなると思ったからね。ここはどちらが上かをはっきりさせておかねばならないのだよ」
「薄汚ねえ本音を吐くな。あ、いや、こいつのことは気にしないでくれ。時々、熱もないのにうわごととほざく癖があってな。そ、それより、朝食ごちそうさま。あと、見逃してくれたことにもありがとうな。いずれ恩を返すとして、今日はこの辺でお暇させてもらうわ」
呪いを解く方法がここにない以上、シヅマは長居をする気はなかった。アトリのことは気にかかるが、正直、自分の手に余ると思っている。ならば、しかるべき機関に保護してもらい、身の処し方を考えてもらうのが最善の方法だろう。
だいたい自分のことすら救えてないのに、他者のことを助けてやろうなどおこがましいにもほどがある。
今後会うかもどうかも分からない相手に、執拗に上下関係を叩き込もうとするエルクの頭を掴み、シヅマは辞そうとしたが、振り返りかけた背中にアトリの声が遠慮がちにぶつかった。
「あ、ちょっと待って。その呪いだけど、何とかできるかもしれない」
「本当か?」
藁をも掴む思いで、シヅマはつい振り返った。心の中では最も期待していた魔王城の当てが外れ、これからどうするべきか、散々希望を煽ったエルクを絞り上げる予定だったのだ。無意味な時間を浪費しなくていいのなら、するべきではないだろう。
シヅマが嫌に食いついてきたので、アトリの頬が怯えで痙攣するも、どうにか立ち止まって、平静を保つ。
「ま、ま、ちょっと落ち着いて。あくまでも『かも』だよ? もしかしたら、期待を裏切ることになっちゃうかもしれないし」
「ああ……それもそうだな。だけど、物は試しさ。やれることはぜんぶやっておきたいんでね」
「うん、わかった。それでは……」
アトリは一旦そこで口を閉ざし、何度か咳払いする都度発声練習を繰り返した。何の儀式だろうかとシヅマが訝しげに見つめる中、アトリはどこからともなく黒い立方体を取り出してきた。
「テテテテッテテー、『呪い絶対ぶっ殺すマッスィーン』!」
気の抜ける旋律のあとに、ダミ声で語り出したアトリに、どう反応してよいのやら、シヅマはつかの間凍りついたように固まった。その上、物騒な言葉がアトリの口から出てきたことも困惑を深くする。どうにか解凍されたあとで絞り出した言葉も気の利いたものではなかった。
「どした?」
「……わ、わたしがいた世界じゃ、物の紹介をするときはこうするのが義務だったんだよ!」
真偽のほどは確かではないと擁護してやりたいところだが、顔を赤く染め、頭頂部から湯気が出ている状態では説得力に欠けるというものだろう。それを自覚しているのか、アトリは慌てた様子で手に持った箱をシヅマの前に突き出した。
「と、とにかく呪いの品物をこの穴に突っ込んでみて!」
「ふむ、これはどういう仕組みで解呪できるのかな?」
エルクが顎に手を置き、神妙な顔を箱へと近づけた。確かにそれも気にかかるが、さらに不思議なのはアトリがこの箱をどこから持ってきたのかだ。つい先刻まで、このような箱は部屋のどこにもなかった。見落としたと言うにはあまりにも目立つし、アトリの上半身が隠れるほど大きい箱がよもや目に入らなかったとは思えない。
しかし、今はそのようなことは些末な問題でしかない。どんなに疑わしいものであったとしても、呪いが解けるというのならば、試す価値はあるし、危険も覚悟の上だ。
とはいえ、最初から「本命」を出す気もない。この箱の性能を試すのにうってつけの呪具があるではないか。
シヅマはこれ以上ない柔和な笑みを浮かべると、エルクへと左手を差し出した。
「エルク、お手を拝借」
「な、なんだい、急に? ああ、そうか、今頃になって、ボクの魅力に気づいたってのかい? 仕方のないやつだな、キミも」
冷静に考えれば、シヅマの意図など即座に分かるだろうに、エルクは乞われるがまま、同じように「左手」をシヅマのそれに重ねた。
彼女の後ろでずっとおとなしく控えていたレッティールがシヅマの悪意を感じ取ったらしく、妨害しようと立ち上がりかけたが、一歩遅かった。シヅマはエルクの左手を掴むやいなや、箱の穴へと突っ込んでいた。
次の瞬間、箱の中で小さな爆発音がして、かすかに揺れた。痛みは感じなかったが、爆発音とともに呪いの結婚指輪が崩れ落ちる感触があり、シヅマの心の中心に居座っていた神を追い出す勢いの狂喜があふれ出る。
片や、まんまと騙されたエルクはことの成り行きが理解出来ず、ただ呆然と事態を見守るしかない。指輪がどうなったのかはもう見なくても分かる。確かに呪いの指輪は跡形もなく消失し、縛りつけていた悪縁の糸も断ち切られてしまったのである。
二人とも同時に左手を箱から抜いてみると、確かにあの忌々しい指輪はどこにもなく、例えようもない開放感にシヅマは大声で叫びたかったが、まだ大本命が残っているので、ぐっと堪えた。
これで、棍棒まで解呪できたのなら、一体どうなってしまうのだろうとの恐怖が、一瞬、シヅマを逡巡させたが、恐る恐る棍棒を箱へと近づけた。
箱に棍棒が飲み込まれたと思った刹那、数千の雷が至近距離に落ちたかのような大音声が轟き、箱が爆発四散した。部屋中が灰色の靄で包まれてしまう。四人それぞれが盛大に煙を吸い込んだのか、部屋の各所でむせ込む声がする。
「テテ……ゲホッ……テッテ……ゲホッゲホッ! あー、もう省略!」
アトリの声がして、すぐに地鳴りのような音とともに急速に煙が晴れていく。ようやく視界が明瞭になったところで、改めて被害状況を確認すると、爆発の衝撃で部屋内の調度が横倒しになっているほかは特に被害らしい物はない。これだけ近くで爆発があったというのに、けが人の一人も出なかったのは幸運だっただろう。
アトリが手にしていたのは丸みを帯びた箱から伸びる筒だった。一体何の物質でできているのやら、金属より弾力があり、木材より軽そうだ。それが部屋中の煙を吸い取り、箱へと収められたものらしい。
こちらもどこにあったのかも分からないが、シヅマの関心は自分にしか向いていない。すでに結果は知れている。右手に残る感触は先刻と何ら変わりはない。見るのは恐ろしかったが、それでも確認せずにいられるものでもない。
シヅマは知る限りの神仏の名を唱えながら、自棄っぱちに右手へと目を向けた。
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