十一粒目 わたあめ屋と泣く女

 泣ける話を持っている人を探してこいとは無茶がある。そんな人をどうやって探せというのか。そもそも、たとえそんな人が見つかったとしても、赤の他人に話して貰えると思っているのか。


 そういうわけで、香と別れた馨はコンビニへ向かって道を歩いていた。目的はワサビ、あるいはカラシ、もしくは胡椒……とにかく、物理的に涙を流す一助となるものであればなんだってよかった。彼には最初から香の指針など受け入れるつもりは無かったのである。


 時刻は午後の六時を回っている。夏の空に夜の気配は遠い。当然、道の往来も未だ激しい、というよりも、ここへ来てむしろピークを迎えた感すらある。


 コンビニで薬味や香辛料を一通り買い揃えた馨は、中池袋公園内にある岩のベンチに腰掛け、アポロチョコをかじりつつやけにリアルなふくろう像を眺めていた。園内にあるアニメイトカフェには、人気アニメとのコラボメニューを求めて若い女性が群がっている。さながら燕の子どもみたいな騒ぎ声を背中に聞きつつ、「いつお姉さんへ連絡を入れようか」と思案していると、大きな屋台をリヤカーで引いて歩いてきた人が彼の隣に腰掛けた。見れば、2mはあろうかという大男だ。


 髪型はスキンヘッド。身体つきは逞しく、かつゴツゴツしていて、前世はきっと大岩だろうと確信させるものがある。祭りめいた水色の法被を着て、帯に大きな風神うちわを挿しているのが不思議、というか異様だ。


 大岩男は大きく息を吸い込んで、それから長いため息を吐いた。近くにいると酸欠になるのではないかと危惧するほどの肺活量だ。どうやら何かとんでもなく大きな悩み事を抱えているらしい。


 馨は彼を見て見ぬふりでやり過ごそうとしたが、その時、頭に過ぎったのが香の顔である。


「――泣ける話を持ってる人を探してくること」


 脳内の香は教師の如くキビキビした口調で言ってくる。馨はこれに「いやいやこの人はため息を吐いていますが、なにも泣ける話を持ってると決まったわけでは」と反論したが、「ため息は苦労の証。そして人の苦労話は泣けるもの。とりあえず一回聞いてみなさい」と返されたのを受けて、「やるだけやるしかないか」と彼が諦めたのは、生来の真面目さと、なにより本人すらいやに思うほど他人に気を遣ってしまう性格ゆえであった。


 隣に座る大岩男へ、馨は「あの」と声を掛けた。


「なにかありましたか?」


 男は馨に視線を向ける。ダルマのような大きな目が彼を映した。


「君は、どちら様だったかな?」と訊ねる声は太いが、岩めいた見た目とは裏腹に温和な印象を与える。


「す、すいません。俺、窪塚馨っていいます。ずいぶん大きなため息が聞こえたもので」

「ああ、ごめんごめん。迷惑だったよね」


 そう言って恥ずかしそうに笑い、またため息。見ているだけで気の毒に思えた馨は、「もしよければ話くらい聞きますけど」と本心から切り出した。


「じゃあ、愚痴ってもいいかな」


「ええ、どうぞ」と馨が申し受けると、男はリヤカーからクーラーボックスを下ろし、そこから白いふわふわした塊を取り出した。長い割りばしに刺さったそれは、わたあめのような見た目をしている。


「これなんだ、ため息の原因」

「……わたあめが?」

「どっこい、ただのわたあめじゃない。とりあえず食べてみて」


 言われた通り馨はそれに舌をつけてみる――と、甘い。そして冷たい。普通のわたあめが雲だとすれば、舌の温度でたやすく融ける柔らかい食感を持つこちらは、甘い雪のようでさえある。


「たしかにこれは、ただのわたあめじゃない。美味しいです」

「適温蓄冷材っていう、常温で融ける不思議な氷を使って作ったわたあめでね。口に合うならよかったよ」

「でも、これだけ美味しいのに売れない、と」

「売れないんだよ。今日で三日目だけど、合計三本しか売れてない。そいつの開発には五年かけたんだ。完璧なものを作ったつもりなのに……」


 うなだれる大岩男はなんとも不憫であった。売れない理由がなんとなく察せられるのもそれを加速させた。つまり、彼の岩男めいた見た目が怖いのだ。到底、スイーツを売っていい顔ではないのだ。


 馨はしばし迷った後、おずおずと手を挙げ彼に提案した。


「……あの、もしよければ、少しの間だけでも売り子を手伝いましょうか?」





 一方、香はサンシャイン通りから外れた喫茶店にいた。雑居ビルの二階にある年季の入ったなかなか広い店で、十数名ばかりの客がいる。この時間帯だと夕食代わりの食事を取っている人も多いように見える。


 出入口から一番近い四人掛けのボックス席でホットコーヒーをすする香は、何もここでのんびり休憩しているわけではない。〝獲物〟を待っていたのである。喫茶店には様々な客が集まる。客の中には一目でわかるほど落ち込んでいる人もいるはずで、そういう人は得てして涙なくしては聞けない話を所持しているはずだというのが、彼女の持論であった。言うまでもなく、論とは呼べぬほど穴だらけであるが。


 やがて店の扉が開いた。彼女がこの店に来てから、これで四組目。そのいずれも不幸とは無縁そうな顔をしていて、つまるところ彼女のお眼鏡にかなうことはなかった。


 さて、次はどんな人かなと、馨が目を光らせつつ来店客を見れば――泣いていた。ただ泣いていたわけではない。号泣だ。滝のように涙を流しながらだらだらと鼻水を垂れ流す姿は、見ていて水分不足になるのではと不安になるほどだ。


 客の性別は女性。年齢は二十代前半で、香と同年齢ほどだろうか。透き通る黒髪は後ろで束ねられ、ポニーテールのようになっている。藍色のプリーツワンピースは落ち着いた印象を与えるものの、目を背けたくなるほど泣きはらす彼女の表情は落ち着きとは無縁である。


 ――この人だ!


 確信で目を輝かせた香は、ふらふらとした足取りで空席を探す彼女を「こっちこっち」と手招いたが、どうやら涙で視界が悪くなっているらしく、一向に気づいてくれない。仕方がないので席を立ってこちらから近寄り、「ねえ」と言いながらぐいと彼女の腕を引けば、倒れるように抱き着いてきたものだから香は驚いた。


「うわうわ」と慌てふためく香は後ろ向きに歩いて自分の席へと戻る。当然のように泣き女もついてきて、香の座っていたボックス席に相席するような形となった。こうなるともう逃げられない。


「あ、あの、えーっと」と香が言葉に詰まっていると、泣き女は「ごめんなさい」と泣きじゃくりつつ話を切り出した。


「でもでも、悲しくて、悲しくて、どうしようもなくて。だから、心配して声をかけてくれたことが嬉しくて」


 香は彼女を心配して声をかけたわけではない。しかし、ここで本心を語るわけにもいかず、「まあ、泣いてる人を見かけたら放ってはおけないよね」と調子のいいことを言って胸を張った後、彼女はさらに続けた。


「ところで、なんであんなに泣いてたわけ?」

「なんでって、それは、それは……」


 下唇をもごもごと噛んだ彼女は、またわんわんと泣き始めた。まるで赤ん坊だ。しかしそんな彼女の情けない姿を見て、この人なら間違いなく泣ける話を持っているはずだと、香の期待はいよいよ頂点に達した。


 それから数分。一旦落ち着いたらしい泣き女は、鼻をぐずぐずやりながらなんとか話し始める。


「あのね、ヒカルくんがね、家を出て行っちゃったの」


 曰く、泣き女の言うヒカルくんとは彼女の恋人らしい。付き合い始めてもう三年。ふた月前にはじめた同居生活もうまくいっており、大学を卒業したら結婚をしようかと話をしていた折に、彼は忽然と姿を消した。その理由は一切不明。朝起きたら、「ごめんね」と書かれた手紙を残していなくなっていたらしい。理由を訊ねたくとも、携帯すら置いていってしまったため連絡が取れず、仕方ないのでふたりでよく遊んでいた池袋を探し回っているのだという。


 彼女の話を聞いた香は「なるほど」と頷きつつ、「たしかに気の毒な話ではあるけど、まあ泣くほどのものじゃないかな」などと冷静に考え、それからさらりと言い放った。


「それ、浮気だね」


 必然、涙が引いた彼女の顔にはまた洪水が発生した。そんな彼女の背中を香は軽い調子でトントンと叩く。


「まあまあ、男なんて星の数ほどいるんだからさ」

「でもでも、ヒカルくんは世界に一人だけだもん」

「浮気男よりもいい人なんてたくさんいるって。クヨクヨしてたら次も見つかんないよ?」

「だから浮気じゃないの! ひどいよその言い方!」

「でも、事実でしょ? いなくなったのは本当なんだし」


 泣き女の傷心に、さばさばした態度で塩をタップリ塗り込むような台詞を投げ続ける香は、実のところ感受性が豊かな方ではない。映画や小説で、ましてや人の話で泣けないのも無理はない話である。が、自らの能力の乏しさなど知る由もない彼女は、涙が出ないのは話を聞き足りないからだと確信し、「それより、もっと吐き出した方がラクになるよ」と彼女を促す。


「ひどいよ!」と一度は香の肩を打ったものの、泣き女が鼻水をすすりつつまたヒカルくんとやらについて語り出したのは、誰かに話を聞いて貰わないと感情のやり場が無かったゆえ。


 かくして、奇妙な形で需要と供給が一致したふたりは、「厄介な客が来たぞ」と内心うんざりしつつ遠目に見てくる店員を呼びつけて、コーヒーを二杯注文した。

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