三粒目 ふたりのカオル

「――なるほど。つまり、その人はかなりの美人だったわけだ」


 築十一年を迎える五階建てマンションの一室、窪塚家自宅にて。今日やって来た珍客についての話を馨から聞いた父・栄一は、納得したようにそう言ってウーロン茶を飲んだ。


 時刻は七時半、夕食時。馨と父のふたりは、馨手製の唐揚げ、サラダ、味噌汁、ご飯でシンプルに彩られた食卓を互いに向き合う形で囲んでいる。


 おどけた父の物言いにわざとらしく肩を落としてみせた馨は、口元に薄い笑みを浮かべた。


「父さん、俺の話聞いてた?」

「おう。聞いてた聞いてた」

「だったら、どうしてバイト中に来たおかしな客についての愚痴が、美人の話にすり替わってるんだよ」

「だって、お前がそんな風に客について愚痴るのなんて珍しいからな。つまり、その人の行動がおかしかったってこと以上に、気になる何かがあったってことだ。で、そのおかしな客とやらが女の人ときたら――」

「父さんがミステリーを好きなのはわかったよ。だからもう黙って飯食ってて」


 へらへらと笑って「悪い悪い」とまったく悪びれることなく言った父が、今度は一転して詰問する刑事の如く表情を引き締めたのはもちろん、未だふざけているから以外の何者でもない。


「しかし、なんだってその客はお前に熱視線を送ってたんだ? なんかしたんだろ?」

「そりゃこっちが聞きたいよ。身に覚えがないのにあんなことされたら、なんかいやな感じだ」

「聞いてみりゃよかったろ、理由を」

「聞いたって答えなかったよ。本当に生きてるってことを確かめたかったとかなんとか、訳わかんないこと言うばっかりで」

「聞けば聞くほど電波だな。いくら美人だからって、そういうのは相手しない方がいいぞ」


 そう言って父はまたへらへらと笑う。酒も飲んでいないのにこの陽気さを発揮出来る父を、馨はやかましくも好ましく思い、そして同時に尊敬している。


 馨は「わかってるよ」と笑いながら返し、唐揚げをかじった。揚げたての衣がぱりりと小気味良い音を立てて砕けた。





 同時刻。ふにゃふにゃになった衣がまとわりついた半額唐揚げをかじりながら、暗いリビングでひとり寂しく繰り返しため息を吐く女性がいる。『しまうま』に現れた例の珍客である。彼女の名前は長瀬香。文字こそ違うが、読み方は馨と同じくカオル。


 彼女が絶えず眉間にしわを寄せている原因は、から揚げの肉がボソボソしているからではなく、付け合わせのキャベツがシナシナだからでもなく、他ならぬ馨との出会いである。彼女は、窪塚馨という存在に困惑と興味がブレンドされた複雑な感情を抱いていた。


 ――うーん。あの子、どうして〝見え〟なかったんだろう。あの子は雨宿りさせてもらった喫茶店の店員のわけだから、あのヒゲの人みたいにあらかじめ見えてないといけないはず。それに、今日だけで二回も会って、二回も話しかけられたんだし、見えてないとおかしいくらい……というか、今になって考えるとわたしの態度ヤバくない? なに? 「あなたって幽霊とかじゃないよね?」って。電波じゃん。電波人間じゃん。きちんと事情を説明しなきゃダメかも。人として。


 決意を新たに香は不味いから揚げをかじり、冷えた麦茶でそれを胃の奥へと流し込んだ。

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