第53話 由奈の決意

 江の島を後にした琢磨たちは、江の島駅から江ノ島電鉄に乗りこんで鎌倉駅へと向かう。


 江ノ電で海沿いを走っている時、手前側にある片側一車線の道路は大渋滞していた。

 もし、休日に由奈と車で江の島に来ていたら、あの渋滞に巻き込まれていたと思うと、少し気が重くなってしまう。


 鎌倉駅まで向かった後、横須賀線に乗り変えて一駅先の逗子駅へと向かう。

 逗子駅で下車した後、駅前のバスターミナルからバスに乗りこみ、ようやく目的地へと到着した。

 既に太陽は傾き、空はオレンジ色に輝いていた。


 到着したのは、静かな砂浜だった。

 葉山でも有名な観光スポットである森戸海岸。

 すでに夕方のため、人はまばらで、太陽が沈んでいくのをじっと見つめている。

 夕焼けに照らされた富士山も綺麗に映えていて、海風も心地よい。


「……綺麗」


 うっとりとした顔で由奈がつぶやく。


「あぁ……きれいだな」


 夜のドライブだったなら。これほどの絶景は拝めなかっただろう。

 由奈となら、こうして休日に出かけるのも悪くないと思えてしまう。


 二人で沈んでいく夕陽を眺めていると、ふと右手が握られる。

 隣を見れば、由奈が水平線を眺めたまま、琢磨の手を取っていた。

 そして、ゆっくりと琢磨の方を見上げると、真剣な眼差しで話しかけてくる。


「琢磨さん……話があるの」


 遂に来たか。

 琢磨は緊張をほぐすため、生唾を飲みこむ。


「あぁ……」


 固唾を呑んで由奈を見つける。

 由奈は琢磨の方へ体を向けると、手を握りしめたままふっと表情を和らげた。


「私ね、やりたいこと出来たんだ」


 その言葉を聞いて、琢磨は唖然とした表情を浮かべる。

 しかし、それも一瞬のことで、ふつふつと胸の内から嬉しさが込み上げてきた。


「そうか……そっか」


 自分に言い聞かせるように二度同じ言葉をつぶやく琢磨。

 そして、出来るだけ目一杯の笑顔で由奈に向き合う。


「よかったな、由奈。おめでとう」

「……ありがとう」


 しかし、由奈の表情は浮かないものだった。

 自分のやりたいことが見つかり、祝福されるべきはずなのに、由奈の表情は素直に喜べないと言ったような顔をしている。


「由奈?」


 由奈の様子が可笑しいことを変に思い、様子を窺う。

 顔を逸らしつつも、由奈は視線だけ琢磨に向ける。


「琢磨さんは、本当にうれしい?」

「えっ……?」


 唐突な由奈の問いに、琢磨はきょとんとした声を上げてしまう。


「そ、そりゃ由奈に自分のやりたいことが見つかったんだ。嬉しいに決まってるだろ」

「でも、琢磨さんはまだ……」

「そんなの気にすることないよ。俺だってすぐに見つけるし、由奈はまだ学生でいろんな可能性があるんだから、見つかったならすぐに出も挑戦すべきだと思う」


 琢磨は学生時代、夢を追って挑戦した。

 挫折したけれど、後悔したことは一度もない。

 だからそこ、無限大の可能性がある学生のうちに、由奈には夢を追ってほしいと琢磨は切に思う。


「でも、私は……」


 ぐっと上を向いて、必死に何かを訴えようとする由奈。

 けれど、その先の言葉が出てこないのか、唇を噛むようにして口を噤んでしまう。

 由奈のいいたかったことを、琢磨はなんとなく察した。


『どちらかの夢が見つかったら、私たちのドライブ関係は終わり』


 湘南平の夜景を見ながら、二人で約束したこと。

 つまり、由奈の夢が見つかった今、琢磨が由奈と会う機会は、今日が最後となる。

 それが分かっていても、琢磨はぐっと胸に引っかかるものを抑えてでも由奈を送ろうとしているのだ。

 けれど、由奈がそれを許してくれようとしない。


「琢磨さんは、今日私とデートして、何も思わなかったの?」


 由奈の鋭い視線が突き刺さり、胸がチクリと痛む。

 本当は別れを望んでいないことも、琢磨だって重々承知している。

 でも、今のままでは、琢磨は夢を見つけることが出来ないまま由奈に依存してしまう。


 それだけは、何としても避けければならない。

 由奈に迷惑をかけるようなことだけは、絶対にしたくなかったから。

 僅かな望みを信じて縋るような視線を向けてくる由奈の目元は、夕日に照らされて、光り輝いている。


 そんな顔するなよ……。

 こっちだって、本当はつらいんだ。

 自分だけ夢が見つかっていない。でも由奈はやりたいことを見つけて置いて行かれたような気分になっているのだから。


 琢磨は喉に突っかかるようなものを覚えながらも、出来るだけ平静を装って由奈へ視線を向ける。


「うん、だって俺達は、ドライブ彼女と、ただの夢をなくした流浪者だから」


 卑屈に言って見せると、由奈は驚いたように目を見開いた。


「そっか……そうだよね。私たちはそれ以上でもそれ以下のなんでもないよね……。勝手に思い上がってた自分がバカみたい」


 そう言い残して、由奈は琢磨を置き去りにして砂浜を一人後にしてしまう。


 琢磨は、由奈を追うことはしない。

 これでよかったんだ。

 琢磨は必死に自分に言い聞かせて、由奈を追うことをあえてしない。


 もう琢磨の中では、本当は答えは出ているのだ。

 けれど、今由奈に本当のことを伝えても、琢磨はまた依存して、今度は由奈を困らせてしまう。


 本当は由奈と一緒にいたいなんて、言えない自分が憎らしい。

 彼女の好意を無駄にして利己的に彼女を突き放したなんて身の程知らずでおこがましい。


 でも、由奈の夢を壊さないためにも、これが一番いい選択肢なのだ。

 そのはずなのに、琢磨の心の中には、今まで感じたことのない罪悪感と後悔が残った。

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