第15話 休息

 気がつくと、すっかり陽が昇っていた。ようやく落ち着いたメラニーに、ショーンは静かに問いかけた。


「俺はどのくらい眠っていた?」

「三日半くらい。ずっとうなされ続けていたけど……大丈夫?」

「ああ。それならいつものことだ」


 そう言いながらショーンは上半身を起こそうとした。傷口に痛みが走る。


「んっ! うぐ……」

「ああ、まだ寝てなきゃ! お願いだから、無理はしないで」


 メラニーはショーンの身体をやんわりと押さえた。ショーンも素直にベッドに横たわる。


 部屋のドアをノックする音が聞こえたのは、まさにそのときだった。


「どうぞ」


 メラニーが答えると、ひとりの修道女が朝食を持って部屋に入ってきた。


「良かった。ショーンさん、目を覚まされたのですね」


 ショーンより少し年上といったくらいか。メラニーより頭ひとつ分くらい背の低いその女性は、優しく微笑んだ。


「ありがとう。あなたが俺の手当てをしてくれたのか」

「私はこの修道院で修行中のエマと申します。私はただお手伝いをしたまで。お礼なら、あなたをここに運んでくださった便利屋のアレンさんと、付きっきりで看病してくださったメラニーさんに仰ってください。アレンさん、きっと今日はこちらに様子を見にいらっしゃいますので」


 二人分の朝食をテーブルに置くと、エマはショーンに微笑みかけた。ベッドの側までやってきて、ショーンの額に触れる。


「少しだけ熱も下がったようですね。あなたの分のお食事と、替えの包帯を持ってきますね」

「ありがとう」


 それから程なく、エマは戻ってきた。


「庭で採れた白桃を甘露煮にして裏漉うらごししたものです。このようなものしかなくて申し訳ないのですが、久しぶりのお食事で固形物はお身体が受け付けないでしょうから」

「お心遣こころづかい、いたみいる」


 メラニーの助けを借りて上半身を起こしながら、ショーンは礼を言った。サイドテーブルに置かれた小さめのカップを手に取ると、桃の甘い香りが心地よく鼻をくすぐる。


「メラニーさんも、冷めないうちにどうぞ」

「ありがとうございます。いただきます」


 二人が食事を始めたのを確認して、ショーンは桃の甘露煮を少量口に含んだ。口の中で転がすように、ゆっくりと味わってから飲み込む。

 美味い。滑らかな食感に、柔らかな喉ごし。程よい酸味と甘味が身体に染み込んでいく。

 一気に飲んでしまいたいが、空っぽの胃にいきなり大量のこれを流し込む訳にはいかない。少量ずつ慣らさなければ、身体が拒絶反応を起こすだろう。現に彼は今、食道を通って胃に落ち着くまで桃をずっと感じていたのだから。


 二人が食事を終えるのとほぼ同時に、ショーンもカップの桃を飲み終えた。青白かったショーンの顔に、ほんのりと血の気が戻る。


 食器をまとめてお盆に載せると、それを持ってエマとメラニーはいったん部屋を出ていった。そして二人は清潔なタオル数枚とお湯の入ったたらいを持ってきた。


「それでは、包帯と湿布を取り替えますね。メラニーさん、お手伝いをお願いします」

「はい」


 まずは腕、次いで脚、上半身。メラニーはショーンの全身いたるところに巻かれた包帯を解いていく。鍛えられたしなやかな肢体したいと、そこに刻まれたいくつもの傷痕きずあとあらわになる。

 エマが盥のお湯にタオルをひたして軽くしぼる。そのうち少し大きめの一枚を広げて縦長の二つ折りにし、ショーンの首と肩に掛けた。そのあたたかさに、強ばっていた筋肉の緊張がほぐれていく。


「それでは、腕から拝見します。少し痛むかもしれませんが、我慢がまんしてくださいね」


 エマはもう一枚のタオルを軽く絞り、腕の傷口を上から軽く押すように優しくぬぐった。


「治りが早いですね。もうこんなにふさがっているなんて」


 乾いたタオルで余計な水分を拭い、軟膏を傷口にった。マリーゴールドの花を漬け込んだ向日葵ひまわりの油と、蜜蝋みつろうで作った軟膏なんこうだ。その上に今朝 んできたイタドリの若い葉をんで乗せ、慣れた手つきで包帯を巻いていく。小さな傷口には、軟膏だけを塗り込んだ。


「今度は脚を見せてください。ベッドに腰かけて」


 メラニーの手を借りて身体の向きを変え、ショーンはベッドから脚を出して座った。


「脚の傷口も、だいぶ塞がっていますね」


 腕と同様の治療を施しながら、エマは心底驚いていた。ショーンが運ばれてきたときの傷の深さを知っているから。いかに綺麗に斬られた傷口でも、こんなにも治りが早いものだろうか。


「胸は……アザは消えてきましたね。肋骨が固まるまでまだしばらくかかるので、少なくとも一ヶ月は痛むと思います。背中は……美しいですね。奇跡のように」

「奇跡を、メラニーが起こしてくれたからな」

「え?」


 このやりとりを聞いて、メラニーが顔を真っ赤にして慌てふためいた。


「わっ、ショ……ショーン、ダメだってば!」

「何故? 事実だろう?」




 冷めたタオルを肩から外した。乾いたタオルで水分を拭ってから胸に湿布を貼り、包帯を巻いていく。ヤマモモの樹皮を煎じたものを、葛粉でゼリー状に固めて布に塗った湿布だ。炎症で火照ほてった肌にひんやりと心地よい。


「では最後に脇腹を。いったん横になってもらえますか」


 メラニーが彼の身体を支えながら、左半身を下にゆっくりとショーンを寝かせた。わずかにれるうめき。痛みにショーンの顔がゆがむ。


 他の箇所かしょと同じように、お湯で湿らせたタオルで傷口を拭う。他の箇所よりも傷の深かったここは、さすがに治りが遅い。

 軟膏を塗る前に、エマは黄色い粉末を傷口に振りかけた。


「それは?」


 メラニーが興味深々にたずねる。


「ガマという水辺の植物の花粉です。マリーゴールドの軟膏と同じように、血止めや傷の薬として昔から使われているものですよ。火傷にも効果があります」


 エマが答えると、ショーンがぽつりとつぶやいた。


「ちょうど今は収穫時期だな」

「あら、よくご存知で」


 エマが穏やかな笑顔で言う。


「幼い頃、精霊たちに薬草のことをいろいろと教えてもらったんだ。この地域なら今が開花時期だろう。俺もどこかで見つけたら採取しようと思っていた」

「ならば少しお分けしましょう」

「それはありがたい」


 メラニーが小首をかしげてショーンに尋ねる。


「ガマってカエルじゃないの?」

「カエルもいるな。あれの出す分泌物も薬効がある。けれどあれは薬効が強くて、素人が簡単に使えるものではない。どんな薬もそうだが、量を間違えれば毒になるんだ」

「うん、あのとき助けてくれた御者ぎょしゃのアレンさんに聞いたよ。センソっていうものだよね」


 ショーンが静かにうなずく。


「そうだ。で、今使ったのは水辺に生える植物のガマの花粉だ。花といっても地味なもので、花が終わると棒の先に腸詰めの肉を刺したような姿になる。それは種と綿毛がぎっしり寄り集まったものだ。ほぐせば何倍にもふくらんで、ウサギの毛のように肌触りがいいんだ。それを消し炭にすれば、いい火口ほくちになる」

「ホクチ?」


 興味津々な顔のメラニーに、ショーンは変わらず淡々と静かに答える。


「火をおこすとき、最初の火種を作るための炭だ。ガマやチガヤの穂、それから綿わたや、綿めんでできた紐や布でもいい。細い繊維を蒸し焼きにして炭にしたものだ。火打ちがまと呼ぶ鋼の板を、硬くて鋭い石に打ちつけて火花を散らす。その火花を乾いた火口に落とすと火種ができる。その火種を綿や麻の細かい繊維でくるんで風を送れば小さな炎が生まれる。その炎を枯葉や細い枝から順番に太いたきぎに移していけば、炎が育って焚き火になる」

「ふぅん、そうなんだ。ガマの花粉は傷の薬で、穂からは火の赤ちゃんが……とっても役に立つ植物なんだね!」


 メラニーの言葉に、ショーンはふわりと表情をゆるめた。



 エマとメラニーが協力してショーンを起こし、包帯を巻きなおす。


「これでいいでしょう」


 手当てを一通り終えてショーンを再び横たえると、エマはにっこりと微笑んだ。


「まだ熱もあるようですし、またおやすみになられたほうがよろしいかと。メラニーさんもお疲れでしょうし、お隣の部屋のベッドでしっかりおやすみになってはいかがでしょうか」

「でも……」


 心配そうにショーンを見るメラニーに、エマは微笑みかけた。


「この教会には外壁沿いに結界が張られているので、よほどのことがない限り、魔物は入ってこられません。ショーンさんの傷も驚くほど回復していますので、もう大丈夫。メラニーさんが看病疲れで寝込んでしまったら、ショーンさんがご心配なさるでしょうし……」

「メラニー、俺からも頼む。君もやすんでくれ。看病してもらった俺が言うのも申し訳ないが、今の君の顔色は……」


 ショーンの真剣な眼差しがメラニーに注がれる。


「わかった。じゃあ、私も一寝入りさせてもらうね。お隣の部屋のベッド、お借りします」


 少しやつれた笑顔で言うと、メラニーは立ち上がった。


「では、案内しますね」


 エマも笑顔で立ち上がり、メラニーをともなって部屋を出ていった。



 二人が去って静かになった部屋。ショーンはすぐに眠気に包まれた。微睡まどろみながら窓の外、青空と風にそよぐ若葉をぼんやりと眺めているうちに、いつしか彼は眠りに落ちていった。

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