第2話 野営

 二人は洞穴ほらあなに入った。

 ショーンはまず低い岩のそばで風を背にして座った。一番太いたきぎを二本手に取り、腕一本が間に入るくらいの隙間を空けて風と平行に並べる。

 そうやって手早くかまどの幅を決めると、その間の土を軽く掘ってかき集め、風を邪魔しないように小さな山をひとつ作る。

 それからその穴に橋をかけるように、二本の薪の間に中太の広葉樹の薪を、あまり隙間のできないように風と平行に敷き詰めた。

 その上に針葉樹や樺などの燃えやすい枯葉や細い枝を置く。そこでおもむろに立ち上がり、だいぶ短くなった松明たいまつを消さないよう慎重に取ってきた。それを竈の中心に置いて枯葉と細い薪を寄せ、炎を移す。


 枯葉や枝のぜる音がパチパチジリジリと響き、松や杉の葉の焼けるいい匂いとともに煙が濛々もうもうと立ち込める。

 そこに少量ながら生の松葉や杉の葉がくべられると、煙はもはやいい匂いと言っていられる量ではなくなった。

 風があるといっても微風なので、それほど急には排気が進まない。すすが混ざって少し黄色味がかった大量の煙が洞穴の中に充満していく。


 メラニーが目を細めて軽くせながら青年に近づいてきた。


「これ、すごいけむりだね」

「虫除けのためだ。少しだけ我慢がまんしてくれ」

「はあい……」


 少女は諦めたような声で返事をすると、青年から離れようとした。青年は振り返りもせず、少女に声をかける。


「まあ待て。俺の隣に座れ。ここへ来て姿勢を低くすれば、少しは呼吸が楽だろう」


 少女は言われた通り、次にくべる薪を準備している青年の隣にやってきて腰かけた。


「あ、ほんとだ!」


 言いながら、少女が涙を拭っている。


「もう充分に煙をかぶっただろう。煙が目に染みるようなら、落ち着くまでここにもぐり込んでいろ」


 青年は作業の手を休め、背中のマントを片手でふわりと広げて、少女をテントのように包み込んだ。


「あ、すごい、痛くない!  おにいちゃんありがとう! すっごく楽になったよ」



 煙はすぐに落ち着いてきた。

 しばらくじっとしていたショーンが動きはじめると、彼の邪魔をしないようにと考えたのか、メラニーがマントの中から抜け出した。


 細い薪に火がしっかりと移ったのを確認すると、ショーンは中細の薪をいくつか手に取った。火の上にその様々な種類の薪を、下の太い薪と平行に載せていく。

 いったんはくすぶった中細の薪も、太めの薪で上から軽く押さえると、すぐに勢いよく燃えはじめた。

 メラニーがそれを見ながら傍ではしゃいでいる。


 竈の火が安定すると、ショーンは徐に手袋を外した。

 背嚢はいのうから小さな鍋と水筒、それから小さな巾着袋をいくつか取り出し、鍋に水を入れる。

 その中に、巾着袋から掴み出した白い粒状のものを一掴み、さらりと放り込む。また別の巾着袋から暗褐色の板状の塊を取り出し、手で適当に裂いて入れていく。

 一段落するとその鍋にふたをして、竈の火にかけ、煮込んでいく。

 鍋の中身が沸騰したところで、今度は山を降りながらんできた木の芽を鍋に放り込み、蓋をする。

 また今度は野草に手を伸ばし、食べやすい大きさにちぎっていく。

 ちぎるたび、セリ科独特の食欲をそそる強く爽やかな香りが辺りに満ちる。


 そんな作業の手を休めずにショーンはぽつりと言った。


「……さっきは、すまなかった」


 後ろから興味津々で作業を見ていたメラニーが、きょとんとしてショーンの背中を見つめた。


「ん? なんのこと? けむり?」

「いや……不用意なことを聞いた」


 メラニーが首をかしげる。


「んー、なにかあったかなあ?」

「覚えていないなら、いい」


 青年は鍋の蓋を取り、塩をひとつまみ入れてさじで軽くかき混ぜた。彼は匙についた雫を一滴 てのひらで受け簡単に味見を済ませると、ちぎった野草を一気に鍋に放り込んで鍋を火から下ろす。


 メラニーはしばらくうーんと唸りながら焚き火の光が届く範囲をうろうろと歩いていたが、吹っ切れたようにポンと手を叩いた。


「うん、だいじょうぶ! あたしはなんにもいやだと思わなかったよ」


 メラニーはくるりと回ってショーンに笑顔を向けた。

 と、そのとき。


 ぐ~きゅるるぅ~。


 メラニーのおなかの虫が鳴いた。少女は両手でおなかを押さえ、真っ赤になって恥ずかしそうにうつむいた。

 まるでそれを見計らったかのように、ショーンは少女に木製の椀とさじを差し出す。


「干し肉とこの山の野草で作ったスープだ。味は保証しないが、腹の足しにはなるだろう」


 メラニーの瞳が輝いた。


「ありがとう。いただきまーす!」


 少量の干し飯に細かく砕いた干し肉と野草、それから塩を少々入れただけの簡単なスープだ。しかし、得も言われぬ香りが食欲をそそる。椀と木の匙を受け取った少女は、一口食べるなり感動の声を上げた。


「おいしい! おにいちゃんはなんでもじょうずなんだね。すごーい!」


 脂の少ない味つきの鹿干し肉。そこから出た出汁の旨味を塩が見事に引き立てている。

 若い木の芽の柔らかな青い苦味とホクホクとした食感。爽やかなセリ科の野草の、癖のないほのかな味。そのシャキシャキとした食感が絶妙なアクセントとなっている。その香りが鹿の出汁の香りとからみ合って上品に鼻に抜けるので、後味もすっきりと爽やかだ。

 それだけならばあっさりと食べ終えてしまうだろう。だが、少し柔らかくなった鹿肉と出汁を吸って膨らんだ干し飯の粒が全体の物足りなさを補っている。煮込むことで一部溶けた米がスープに軽いとろみをつけ、しっかりと舌に絡んで旨味を長く留まらせてくれる。

 少女は瞳を輝かせながら一心不乱に食べはじめた。


「焦って食べると火傷する。気をつけろ」


 ショーンは静かにそう言いながら、顔が火照るのを感じていた。その熱は、じんわりと全身に広がっていく。

 青年は戸惑っていた。自分の内側からあふれてくるこの感情を、どう処理すればよいのかがわからない。


(この熱……これは一体……これは、喜びというものなのか? それとも別の感情なのか?)


 昔これと同じ熱を感じた記憶はあるのに、わからない。これがどんなものなのか。


(熱い。けれど心地よい。いつ以来だろう、このなんともいえない柔らかな熱を感じるのは――)


 自分の中にこんな感情があることを、彼はもう何年も忘れていた。それほど彼は孤独だったのだ。

 結局その感情をどうすることもできず、彼は懸命に平静を装いながら、夢中で食べ続ける少女から視線を外した。


「それを食べたら、今夜はしっかり休め。明日は日の出とともにここを発つ。決して短くはない旅になる」

「はあい」


 少女は答えてから、再び一心不乱に食べはじめた。青年は竈の炎を穏やかな瞳で見つめていた。


「はーおいしかった! ごちそうさまでした」


 満足気なメラニーから椀を受け取ると、ショーンは残りのスープを椀に注ぎ、一口飲んだ。

 滋味じみが全身に染み渡る。

 そういえば、彼自身も朝から何も食べていなかった。

 米のとろみのおかげで冷めにくいスープを、彼自身も火傷しないように注意しながら一気に飲み干した。彼にとっては食べ慣れたはずのこのスープだが、いつもとは一味違うように思えた。


 食べ終えるとすぐに、ショーンは昼間摘んでおいたヨモギの葉をみはじめた。その汁を絞って鍋や食器に少量入れて全体に軽く回し、絞りかすぬぐう。すると汚れは見事に落ちた。

 拭った滓は昼間摘んだチガヤのふわふわとした白い穂綿の入った小さな缶に入れ、中心に小さな穴の空いた蓋をして、そのまま竈の火の上に乗せた。チガヤの穂綿の少し甘味のある草の香りとヨモギのいい香りがちょうどよく溶け合って、ふわりと心地よく鼻をくすぐる。

 ショーンがその作業を終えると、メラニーは青年の右隣にちょこんと座り、無邪気にたずねた。


「ねぇショーンおにいちゃん、おにいちゃんはなんで旅をしているの?」


 その瞬間、心持ち穏やかにゆるんでいたショーンの顔から再び表情が消えた。



 しばしの沈黙のあと、彼はぽつりと言った。



「考えたことがなかったな。俺は………答えを探しているんだろうか」

「こたえ?」


 メラニーは首をかしげてショーンを見た。



 ショーンは躊躇ためらっていた。探している『答え』についてを語ろうとすると、どうしても彼自身の過去を話さざるを得ない。失った故郷のことを。


(この子にそんな話を聞かせるのは酷なのではないか)


 炎を見つめ、思索する。話すべきか、話さぬべきか――。


「大丈夫だよおにいちゃん。あたしはそれがどんなお話でも聞きたい。おにいちゃんのこと知りたい。教えてほしいの」


 そんな彼の心を見透かすように、彼を見上げて少女は微笑んだ。

 少女の澄んだ瞳を見たとたん、もやが風に流されるように、彼の迷いが薄れていく。迷いが完全に消えたわけではない。けれども何故なぜか口は言葉を紡ごうとする。彼自身の過去の記憶を……。

 ショーンは観念し、静かに語りはじめた。

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