龍と出会った日 1
ここは……どこ――?
視線の先には一本の木が見えている。
樹齢数百、いや数千年はあるだろうか。幹の太い、とても大きく立派な木が堂々とそびえ立っている。
この木を遮ることのできるものなど一切ない、それほど圧倒的に巨大でとてつもない存在感。どんなに遠くからでも笠の天辺ぐらいは見えていてもおかしくはない。それこそ家からなら見えて当然くらいのものだ。
しかし、いくら記憶を辿っても、まるで見た覚えがない。
こんなにも立派な木、一度見たら忘れられるわけがない。おかしなことだが、記憶にないということは、やっぱり初めて見たということなのだろう。
本当にものすごい迫力だ。夜の森の中にもかかわらず形の輪郭がハッキリと見えてる。不思議なこともあるものだ。
理由が知りたくなって、何か手がかりはないかと思い、辺りを見渡し空を見上げてみる。
すると理由はすぐに分かってしまった。感慨もへったくれもあったものではない。もう少しこの、分からない、という余韻に浸っていたかったものだ。
簡単なことだった、森の中とは違って、木が無造作に生い茂っていないのだ。
まるで、この木と他の木を仕切る見えない壁でもあるかのように、木の笠の切れ間を境に、それより内側の地面からは他の一切の木が生えていなかったのだ。逆に笠の切れ間より外側は、この大きな木のまわりを取り囲むかのようにして、他の木々が円を描きながら生えてきている。まるで、この大きな木の笠より内側だけが他と隔離され、別空間のように感じる。
だからか、天から降り注ぐ月明りはこの木を照らすために差し込んでいるかとさえ思えてしまう。そんなはずはないのに、それなのに、そう感じてしまうくらいには美しい景色だった。
それに気のせいだろうか、月明りに色がついているようにも見える。この大きな木を包むようにして、水に溶けた薄く青い絵具のような色の膜が天蓋のように張っている。
そういえば本で読んだことがある。
まるで御伽話に出てきそうな景色だ。きっと
それほどに幻想的で神秘的な景色に思えた。
目の前に広がる景色に圧倒され、ぼーっと木を眺めて、しばらくの時間がたった頃、一つ、とても大きなことに気がついた。
ルイスが見当たらない。
まずい、と思い大声でルイスを呼ぼうとした。が、ルイスとの約束の内の一つに“あまり大きな声を上げるべきではない“というのを思い出し、慌てて両手で口を塞いだ。
確かに、すぐ近くに隠れられそうな場所もないのに、大声を出して何かに見つかってしまったら最後、逃げることすらままならず、すぐに捕まってしまってもおかしくない。では、このままここに突っ立ったままで待っているしかないのか。
それもあまりいいとは思えなかった。
こんなひらけた所でただ立って待つなど、それはそれで危ないように思える。なに、ルイスは鼻がいい、多少離れたところですぐに見つけてくれるだろう。とりあえずは目印にもなるだろうしあの巨木の前でルイスを待とう。
目の前の大きな木の麓を目指して歩を進める。
だが、想像していたよりも木は遠かったようで、すぐに辿り着くことはできず、到着する頃には思っていた以上に体力を消耗していた。
全身への疲労感の訪れとともに木の麓に到着し、一旦休憩を取ろうとして木の幹に触れた瞬間、改めてその大きさに圧倒された。
仮に千人の私がいたとして、みんなで手を繋いでこの幹を取り囲もうとしたところで、幹を一周することはできないだろう。それほどまでに大きく太い幹をしていた。
失った体力を回復させるためにも、地面から飛び出した木の根に腰掛けた。
さて、ルイスを待つと決まったはいいが、見つかるまでなにをして時間を潰したらいいか……。
キョロキョロと忙しなく首を左右に動かしあたりを見渡す。
そうだ、これだけいい場所なのだから、ここで見る満天の星空はきっと格別に違いない。
背筋を伸ばし頭上を見上げる。
そんな期待に胸膨らむ私の目に映ったのは、無限にどこまでも大きく広がる星空などではなく、視界全てを覆い尽くさんばかりの無数の葉っぱであった。
期待と予想を裏切ってまで、無理やり視界に入ってきた葉っぱを目にして、私が一番初めに持った感情は落胆、ではなく以外にも感動であった。
それはなぜか。言うまでもない。
月明かりに照らされ、キラキラと薄く青く光る
しかし、星空は星空で、またそれは別で見てみたかった……。そうだ、なら木の笠の切れ間まで体を倒せばいいのか。
さっそく木の笠の切れ目まで、徐々にゆっくりと、体を後ろに倒していく。だが、あともう少しで切れ間に届きそうなところで、バランスを崩してしまいそのまま真っ逆さま、後ろにゴロンと転がってしまった。
不運にも、転がった先の巨木の幹は少しばかり地面から浮いており、ちょうどかがみ込んだ人一人分の隙間ができていた。
私の小さな体はどこにも引っかかることなく、まるで坂道を転がる石ころのように幹の隙間の中へと吸い込まれていった。
ごつん。
だが隙間の先に広がる空洞はそこまで深くはなかったようで、すぐに土の壁にぶつかって止まった。
すぐさま立ち上がろうと壁に手をつく。
土に触れた瞬間、ふと手に違和感を感じた。
冷たくない。
冷えているどころかむしろ、生命の持つ独特の温かさのようなものを感じるくらいだ。
不思議に思い触れている場所に目をやると答えはすぐに分かった。
私が触れていたのは土の壁ではなく卵だったのだ。
それも私の膝ほどの高さはあるであろう、とても大きな卵だ。
いったい何の卵であろうか。気になり頭を働かせ、記憶をたどり、当てはまる生き物を必死で探した。
たった一種だけ、記憶の中の情報に該当する生き物がいた。
瞬間、心臓が跳ねた。
だ、だけど、
約千年ほど前の本である新・龍種解体書が発行された時代ですら、
だがしかし、もしも、万が一にでも、これが本当に
目の前の卵について考えれば考えるほど心臓の鼓動が早くなり体温が上昇する。頬は赤らみ知らず知らずのうちに口角がどんどんつり上がっていく。
これはもう家まで持って帰るしかない!
さっそく卵を抱えようとして、手を伸ばし、卵を抱え込む。
そのまま卵を持ち上げようとして腰に力を加えた瞬間、鼓動のような、あるいは息遣いとでも言うべきだろうか、微かにだか振動を感じた。
もしかしてもうすぐ生まれる!?
慌てて卵から手を離し、卵と少し距離を取ってそっと殻に触れる。卵が持つ熱とともに微かにだが確かな振動を感じた。
しばらくすると、手が触れている部分に向かってコツコツという音とともに内側から何かがぶつかってくるような感覚がした。
慌てて手をどけ、感覚のあった場所を確認する。殻には一筋のひびが入っていた。
コツコツと殻を叩く音の間隔が徐々に狭くなっていく。
殻に入っているひびが徐々に伸びていき、線の先が枝分かれして亀裂の数がだんだんと増えていった。
目に見えて卵が左右に揺れ始め、ポロリと、鱗が剥がれ落ちるかのように一片の殻が地面に落ちて殻に小石ほどの隙間ができた。
中がものすごく気になって、すぐさま隙間に顔を近づけた。
暗くて中は、はっきりとは見えなかったが、しばらく覗き込んでいると目が暗さに慣れたのだろうか、無数の溝のような筋が確認できた。
どこかで見たような……――。そうだ! トカゲ!! トカゲだ!!
鳥肌が立ち、ぞわぞわと体中を何かが駆け巡るような感覚が走る。期待に胸が膨らみ鼓動が激しさを増す。心臓の動きに合わせて体を動かさずにはいられなくなり肩が上下に揺れ始めた。
それからも私は、たいしてよく見えないにもかかわらずずっと、わずかな隙間から卵の中を覗き込み続けた。
もっと奥の方を見れないだろうか――。
思いっきり目を見開き、隙間にぐっと目を近づける。瞬間、卵からひょこっと爪が飛び出してきた。
危ない――!!
びっくりして思いっきり体を後ろにのけぞらせてしまった。バランスを保てずにゴテンと後ろに倒れてしまう。
倒れた拍子に、腰骨がちょうど土から飛び出た木の根が当たって相当の痛みを感じた、が、卵の観察に忙しい私は、そんな痛みなどすぐに忘れ、観察できずにいた時間を取り戻すべく即座に卵へと視線を戻した。
驚くべきことに、卵の状況はさっきまでとは一変していた。
殻の隙間から飛び出てきた爪が、そのまま隙間に引っかかったままだったのだ。
一刻も早く卵から出たいのか、爪は隙間の中をカリカリと音を立てながら忙しなく動き続けている。しかし殻が思っていたよりも固いのだろうか、爪はわずかな隙間を上下するばかりで一向に殻は破れそうもない。
手伝ってあげた方がいい、かな……。
外から殻を叩いて割るのを手伝おうとして、地面に落ちていた石ころを手に取った。
いや……無理やり割って驚かせるのは良くない、か。それに何より、殻から出てきたところを間違って叩いてしまったら最後、それこそ大ごとだ。
私は、すぐさま掴んだ石から手を離した。
瞬間、カリカリという音に混ざって内側から、再びコツコツと叩くような音がし始めた。
パリッ、ピキッ――。
卵の内側からぶつかる音に合わせて、ひびがどんどん大きくなり枝分かれしていく。
ゴワァッ、グァアッ!
中から鳴き声のような音が聞こえ始めた。
気合の掛け声のようなものだろうか。
カリッ、パリパリバリッ!
隙間からのぞいていた爪が大きく下に振り下ろされ、殻が音を立てて引き裂かれていく。
パリッ、パリ、パリパリ。
ひびが大きくなり脆くなった部分がどんどん崩れていく。
裂け目から手のようなものが見え、ついには腕全体が殻の外に出てきた。
よく見ると手首に当たるであろう部分より先には薄いヒレのような膜が張っている。
もしかしてこれは翼膜! ということは翼があるということに……。ということはやっぱり、この卵は……!
証拠を得て、期待がどんどんと膨らんでいく。
殻の裂け目から這い出るかのようにもう片方の手が殻の外に出てきた。よく見ると、出てきた両手首の外側にはもう一本、指のようなものが生えていた。
これは解体書に書かれていた翼を広げるための
だんだんと希望が確信へと変わっていく。
コツコツパリッ、コツ。
ぶつかる音に合わせて、ますますひびの数が増え、殻の一部分が細かく上下に動く。
コツ、バリパリパリッ!
大きく割れた殻の一部が上へと持ち上がった。
さっそく中を確認しようと、下から覗き込むようにして頭の位置を下げる。
まず最初に肩が見えた、その先には首が伸びている。顔を確認すべく、より下へと頭を下げる、が、殻が覆いかぶさっているせいで影ができ、あまりちゃんと視認できない。
待ったほうがいい……でも、もう我慢できない!
私は、雛の頭に覆いかぶさっている殻をどけようとして思わず手を伸ばす。
私が手を伸ばすと同時に、目の前の長い首が直角にグニュんと曲がった。
帽子のように頭の上に乗っていた殻の一部がズルりと落ちた。
下から覗き込んでいたこともあり、私と雛の目線がちょうど合わさる。
その瞳は燃えるような真っ赤な色をしており、瞳を切り裂くようにして入っている細長い、新雪のような真っ白な楕円形をした瞳孔がまっすぐこちらをのぞいていた。
雛と視線を合わせたまま顔を上げる。私が顔を上げるのと同時に、雛も首をまっすぐに伸ばす。角度が変わり下から覗き込んでいた時には見えていなかったものが目に写る。
雛の額の先には二本の角が生えていた。それは目の前の雛が、紛れもなく本物の
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