#24 理由

「とりあえずできるだけのことはやった。戻ろう。小学生の坊主も戻っているといいがな……」


 丸馬……丸馬……丸馬……丸守……あ、丸守……丸を守る……もしかして。


「赤間ちゃん、何か勘づいたって顔しているな。そうだよ。おいらたちの一族はここが丸馬と呼ばれだした頃からここで毎年慰霊を繰り返している。この部屋だって昔はそんなに大きくなかったと聞いている。ただ、毎年こうしてお地蔵さんを設置しても、翌年には流されちゃっているんだ」


「お地蔵さんが流されるっていったい……」


 その時、僕はさっきの田上さんの言葉を思い出す。

 オウケツというのは、石がくるくる回って……くるくる……丸馬……どうもつながっているような気がする。


「ほら、考え事はあとだ。早いうちに戻らないと車がまた使えなくなるぞ」


 丸守さんに急かされながら拷問部屋を出て、お地蔵さんの並ぶ地下通路へと戻る。


「帰り道は少し昔話をしてあげよう。丸馬と呼ばれる前はね、ここいらはコヤス沼と呼ばれていたんだ。子どもの安全って書いて子安」


「それ普通は子守の意味で使われる言葉だね」


「さすが先生。最初は本当にそういう場所だったんだよ」


「だから先生はよしとくれって」


 丸守さんは構わずしゃべり続ける。


「昔、昔の話だ。とある木こりが早くに妻を亡くした。まだ幼かった我が子を老いた両親に預けて山へ入る。だけどある日、男が仕事で山に出かけている間に、その子が急に家から居なくなったんだ。老いたじいさんばあさんは可愛い孫が心配で村中の助けを借りて探しまくるわけなんだが……見つからない。日も暮れて途方に暮れかけたその時、男が山から帰ってきた。しかもその子を連れて。子が言うには、父が恋しくて一人で森に探しに行ってしまったらしい。よく迷わずに行けたね、とばあさんが感心していると、森で迷ったと言い出す。迷ったあとどうしたんだい、とじいさんがたずねると、河童が現れて父の所まで連れて行ってくれたのだと明かした。どうして河童がその子を助けてくれたのか……それは、実は男は毎日、昼飯をこの沼の畔の切り株で食べることにしていたんだが、その時、昼飯の一部を切り株に残していたんだな。山の樹を刈ることに対し、山の神様への供物のつもりだったとか。河童は毎日このお供えをもらっていて、男に対し親しみを覚えていたのだという。男が昼飯を食べようとこの沼に来た時、その子はこの切り株のところにちょこんと座っていたという話だ」


 まったくいい話じゃないか。


「それ以来、この沼は子安沼と呼ばれるようになり、村人たちの手によって粗末で小さいながらも社も建てられ、大切にされるようになった……そこで終わっていれば昔話でよくある大団円なんだけどね」


 ふと僕は視線を感じた。

 地下道に並んでいるお地蔵さんではない……全身に寒気が近寄ってきているような。

 なんだ?

 わずかだが目眩もするような……。


「しかしある年だな。夏に雪が降るほどの冷夏があって、ここいらいったいも酷い飢饉にみまわれたんだ。毎日生きる糧すら手に入れるのが難しかった時代、口減らしって言って子どもを捨てる家が出ても誰もそれを責めることなどできなかった。だけど子を捨てるとき、せめて捨てるにしても万が一、河童が助けてくれるかもと、この子安沼に捨てる者が出てね。それからは皆がここに子を捨てるようになってしまった。しかもただ捨てるだけじゃなく、な。子どもが戻ってこないよう、捨てるとき子に縄をつけて近くの樹へと結んだ奴が現れた。親が野良仕事をするとき、子どもをそこいらに縛り付けることはよくあったらしくてな。子どもも特に慣れたもので縛られることに不安なぞ持たなかったんじゃないかな。親の方だって可愛い我が子を、生きるためとはいえ、断腸の想いで捨ててくる。せめてもの償いにと一番好きな玩具を一緒において来る。子どもはその玩具で遊びながら木の周りをぐるぐると周り、地面には丸い渦巻き模様がいくつもできた」


 目眩がだんだん強くなってきた。

 しかもそれだけじゃない。

 これは、何か、深い悲しみのようなものが、伝わってきている、ような。


「そういう歴史を経て、いつの間にか、馬が来ただけでくるくる回って死んでしまうような、そんな場所になっちまったんだよ。捨てられた子どもたちにとっては、玩具の馬も、生きた馬も、あまり変わらないんだろうな。メリーゴーラウンドは特に気に入ったみたいでな、開園当時は毎晩回っていたんだ。今でもちょいちょい回っているようだけれど、廃墟化して電気が来なくなってからは灯りがついたのなんて初めてだよ」


「なんで、点いたんですかね」


「西洋のいわくつきのお城……あそこが魔女狩りでたくさんの命の失われた場所だってのをわかった上で選んだらしいんだ。やったのは本家の方でね、おいらたちはやめとけって言ったんだけどね。霊に霊で蓋をするっていう作戦だったんだろうな。だけど結果としては打ち消し合うどころか、単純に悪化しただけ。マイナス1とマイナス1を掛けたつもりでマイナス2になっちまったってわけ。そうやって上にかぶさってた蓋が一気に大量に浄化されて軽くなったから、27年分のうっぷんをドカーンと発散しちゃってるんじゃないかな……ってあたりが、おいらの予想だけどね。おっと出口だ。バスに戻るぞ」


 バスの所まで戻ると、さっきと位置が変わっている。


「見てみ。地面に丸くブレーキ痕があるだろ。車だと、まっすぐ走っているつもりなのに、丸く走っちゃうんだよ。さっき鎮めたから、今なら脱出できるとは思うんだけれど……」


 三人でバスの中へ戻ると、すかさず情けない声が出迎える。


「前に進めないんだよぉ」


 ちょいワル風の小沼さんだ。


「いま鎮めてきたからそろそろ大丈夫じゃないかな。奈良家の少年も戻ってきているみたいだし、とりあえず出してみよう」


「待って」


 ネイデさんがそれを制した。


「瑛祐君達が戻って来る直前、やっぱり探しに行くって明日香ちゃんが……トワさんも一緒に着いて行ったから心配ないと思うけれど」


「なんだって?」


 丸守さんがおでこをぺちんと叩く。


「丸守さん、僕、探してきます。僕はここまで車で来ているので、なんだったら先に出ちゃっても構わないです」


「すまない。もしもの場合にはそうさせてもらう。とりあえず駐車場の門の鎖は外しておく……無理すんなよ!」


「ハイ」


 僕がバスを降りようとしたその時だった。

 僕の手をつかんだ人が居た。


「トリー?」


 そう声に出してからすぐ、しまったと思った。


「治恵よ? わたしも行く」


 そうなんだ。

 この子はもう、治恵なんだ。

 僕はエナガの顔を見る。

 どうしたらいいか困っているようだ。


「おねえちゃんがここに来たのは14歳の時。それからずっと眠っていたようなものだから……さっきから友達を助けに行くってきかないんですよ」


「赤間ちゃん、いいんじゃないか。君が一緒なら」


 丸守さんから謎のOKが出る。

 僕が一緒なら平気って……僕にそんな力、あるんだろうか。


「もってかれかけている時は、下手に行動を否定すると暴れて、びっくりするような力を発揮して逃げ出す時がある。それならば、その人が安心できる人がそばにいつつ、ある程度は好きにさせてあげる方がいい場合もある。もちろん、完全に閉じ込めておけるのならば、それに越したことはないんだけどな……とにかくしっかり手を握って、離すんじゃないよ」


 治恵ちゃんは僕の手を離そうとしない。


「早く行こー」


 エナガも心配そうな顔で、さっきまでとは別人かってくらいオロオロしている。


「……赤間さん……おねえちゃんを……姉を、よろしくお願いします」


 かくして僕と治恵ちゃんは手をつなぎながら正面ゲートへと歩き始めた。

 風が強くなっていて、流れの早い雲が月を幾度となく隠す。


「あのね」


 治恵ちゃんが僕に顔を近づけてくる。


「トリーネちゃんがね、フーゴのことよろしくって言ってた」


 誰から聞いたの?

 という言葉を言おうとして、言葉が出てこないことに気付く。

 何か一言でも言おうと口を開いたら、ずっと押し留めていた心の堤防が一気に決壊しそうで。

 僕はこぼれそうになるものすべてをこらえて、うん、と、うなずいた。


 僕は黙ったまま治恵ちゃんの手を握りしめて、歩き出す。

 正面ゲートを抜けた途端、ぽつぽつと雨が降り出す。

 このまま雨に打たれてしまえば、泣いてしまってもバレないかな。

 そんなことまで考えてしまう。


「わたしね、ずっと森の中に隠れていたんだ。しゅばるつしるとっていう深い暗い怖いところよ。そこにね、時々来てくれたの。お友達のトリーネが。森から出る道を教えてあげるから一緒に行こうって。でもね、わたし、怖かったんだ。遊園地でね、弟の面倒みてねってパパとママに言われたのに、一人でそんな森の中に行っちゃって。いま戻ったら怒られちゃうから帰りたくないって、トリーネの誘いを断っていたのはわたしなの。こっちでそんなに時間が経っているとかわからねくてね……だから、トリーネは悪くないんだよ」


 僕はまだ言葉をうまく出せないまま、治恵ちゃんの話を聞いている。


「わたしの中に、トリーネの記憶が残っているの。だから、わかっている。フーゴがどれだけわたし……わたし達を見守ってきてくれたか。ちゃんと伝わっているよ」


 そう言われた瞬間、僕の目頭は決壊した。

 言葉はなかなか出てこないってのに、どうして涙だけはこんな簡単にぼたぼた出てしまうのか。


「は……治恵……ちゃん……さっき……は……名前を……」


 間違えてごめん、と、言いたいのに、嗚咽が混じってうまくしゃべれない。


「……あ、ほら、みて! 連れてきてくれたみたい!」


 そう言って治恵ちゃんは僕とつないでいる手を前に出した。

 急に強さを増した雨の中、明日香ちゃんとトワさんが走ってやってきた。

 その向こう、血まみれブランコも、血まみれティーカップも、ナイトメア・ザ・メリーゴーラウンドも、くるくるくるくる回り続けている。


「っえひん!」


「トワさん、今のくしゃみ?」


 明日香ちゃんがツッコミを入れる。

 いつの間にか仲良くなっている。

 トワさんにはそういう才能があるのかもしれない。


「風邪ひいちゃうね。ちょっと車を取って来る。待っ」


 ぐいっと両手を引っ張られる。

 治恵ちゃんと、トワさんがそれぞれ僕の手をつかんでいた。


「みんなで、一緒に行こう」


 治恵ちゃんがにっこりと笑う。

 僕もせいいっぱいの笑顔を浮かべて「そうだね」と言った。


 僕ら四人が揃ったのを確認したのかマイクロバスは先に発車する。

 僕はリュックからポンチョタイプの雨合羽を二つ取り出し、それを二人で一つずつかぶってバスの後を追う。

 丸守さんの話では、乗り物に乗らず徒歩でならここを出ることができるって言っていた。

 ここへ来るときに車をちょっと離れたところに停めたのは、結果的には正しかったんだな。


 手をつないだまま歩きだす。

 雨合羽の中で、僕と治恵ちゃんの顔が近くて、とても緊張する。

 ここへ来た時は、こんな結末を迎えるだなんて予想すらできなかった。

 今はまだ今日起きたことを全てを受け止めきれてはいないのだけれど、ただ一つだけ決めたことがある。

 これから先どんなことがあっても、僕は治恵ちゃんを守って行こうって。


「ね、あれ見て」


 トワさんが立ち止まる。

 僕らは雨合羽から顔を出し、トワさんの言うままに空を見上げた。

 駐車場から見上げた空は、夜のせいなのか黒雲のせいなのか一面真っ暗だったのに、今、月がぽっかりと見えている。

 月ばかりか、その周辺も少し。


「もしかして、台風の目?」


 トワさんの声を聞いて思い出す。

 台風というものが、とてつもない回転をしているものだったということを。

 マイクロバスがホラーランドから脱出できたのは、慰霊の儀式のおかげというよりも、あの空に大きくぐるぐる回る台風のおかげだったのかもしれない。

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