013 差し込まれる不穏な空気



 あまりにも突然の申し出に、マキトはポカンと呆けてしまう。ラティや周囲にいる魔物たち、そしてアリシアも同じくであった。

 数秒が経過したが、未だ意味が分からず返答の口が開くことはない。

 ダリルもそれを感じ取り、苦笑しながら演技するかのように肩をすくめる。


「仕方ねぇな。特別にもう一度だけ、分かりやすく言ってやるよ」


 そしてダリルの人差し指が、ビシッとラティに向けて勢いよく突き出された。


「その妖精はお前みたいな【色無し】よりも、先輩として活躍しているこの俺様こそに相応しいって言ってるんだ。その妖精だって優秀な俺のほうが――」

「お断りなのですっ!!」


 ラティの叫びが、気持ち良さそうに語るダリルの表情をピシッと固めさせる。


「わたしはマスター以外の誰にもついていくつもりはないのです! さっさとお引き取り願うのですよっ!」


 そう言いながらラティは、マキトの肩の後ろに隠れるようにしてしがみつく。その小さな手はしっかりと服を掴んでおり、絶対に離してやらないのですと言わんばかりであった。

 そんな小さな力強さを感じ取ったマキトは、片手でラティの頭を撫でながら笑みを浮かべる。そしてダリルに向けて、キッと強く睨みつけた。


「俺もお断りだ。ラティは俺がテイムしたんだ。お前なんかには渡さない。ラティが嫌がっているなら尚更だ!」


 マキトが声を荒げる。それだけ本気で言っており、なおかつ臆していないことを示していた。


「マキト……」


 アリシアは軽く驚いていた。大人しいと思っていた男の子が、ここまで大きな声を出すのかと。

 一方、ダリルはマキトの態度に怒りを燃やし、表情を歪めていく。


「テメェ……【色無し】のくせに粋がってんじゃねぇぞ。攻撃の【色】を持つこの俺様が従える魔物が目に入らねぇか?」


 そう言いながらダリルは、従えているレッドリザードを前に出す。


「コイツはかなり気性が荒くてな。暴れ出したら手が付けられなくなるんだ。そうなる前に、さっさと『先輩』であるこの俺様の言うことを聞いたほうが、お前たちの身のためだと思うぜ?」


 あからさまに先輩という言葉を強調してくるダリル。もはや完全なる脅しになってはいるが、本人からすれば『お願い』という域を出ていないから質が悪い。


「テイムの印の違いなら心配はいらないぜ? 魔物使い同士が合意すれば、譲り渡すことも可能だからな」

「へぇ……」


 マキトは相槌を打ちつつ、ニッと笑う。


「つまり俺が認めさえしなければ、ラティは渡さなくて済むってことだな」

「なっ!」


 ダリルもマキトの不敵な笑みに驚きを示す。

 予想外だったのだ。ここまで言えば、大概の駆け出したちは恐れをなして、渋々言うことを聞いてきたからだ。

 なのに目の前の少年は、全くと言っていいほど従う様子がない。

 むしろどこまでも歯向かってやろうじゃないかと、そう言わんばかりのニヤッとした笑みを浮かべている。


「こ、このクソガキが……ナマイキ言ってんじゃねぇぞ!」


 怒りが頂点に達したらしく、ダリルは遂に声を激しく荒げ出す。


「テメェみてぇな【色無し】に歯向かう資格なんざねぇんだよ! 大人しく言うことを聞いてりゃ良かったのに……おい、やっちまえ!」


 ダリルは隣に控えているレッドリザードに呼びかける。攻撃しろと指示を出しているのは明確であった。

 もはや勝った気でいるのだろう。ダリルの表情は笑みを増すばかりだった。

 しかし――


「……動いてこないのです」

「動いてこないな」


 ラティに続いて、マキトが率直に呟いた。その表情はポカンとしており、別の意味で恐れをなしている様子はない。


「お、おい! 何をやってる! 奴らに攻撃しろって言ってんだよ!」


 ダリルがどれだけ呼びかけても、レッドリザードは佇んだまま、動こうとすらしていない。完全に指示を無視している状態であった。


「――ギュワッ」


 ようやく一鳴きしたかと思いきや、完全にそっぽを向いてしまう。そんなレッドリザードの態度に、とうとうダリルの苛立ちは頂点に達した。


「くっ……この俺様の言うことをさっさと聞きやがれ、このノロマトカゲが!」


 ダリルがレッドリザードに、ゲシッと蹴りを入れた。

 その瞬間――


「ギュワアァッ!」


 レッドリザードの口から炎が放たれた――ダリルの顔を目掛けて。


「ぐわあっ!」


 熱さと衝撃でのたうち回るダリル。火が消えたその顔は黒コゲと化しており、折角整えられた髪の毛はチリチリ状態となってしまった。


「プッ、何あれ……」

「アハハっ、おかしいのですぅーっ!」


 噴き出すアリシアに続いて、ラティがゲラゲラと大声で笑い出す。それが余計にダリルの神経を逆なでさせていった。

 怒りの矛先は、今しがた勝手な行動を取ったレッドリザードへと向けられる。


「何やってんだこのトカゲが! 俺はお前の主人だぞ! ここまで可愛がってきた恩を仇で返しやがって――」

「ギュワッ!」

「あっぢいぃーーっ!!」


 今度はレッドリザードの炎がダリルのズボンに目掛けて放たれた。下半身の部分が燃えてのたうち回り、ズボンが漕げ落ちて下着が丸見え状態となってしまう。

 ダリルは怒りとともに起き上がる。しかしその恰好からして、どうにも迫力に欠ける状態なのは否めなかった。


「くっ、魔物風情がこの俺様に逆らいやがって。いいから言うこと聞けや! さもないとお前をここで追い出すぞ!」


 勢いに任せた言葉だった。大抵こう言えば大人しくなり、慌てて自分の言うことを聞くようになるだろうと思い込んでいた。

 ダリルは勝ち誇った笑みを浮かべ、腕を組みながら目を閉じる。


「なんなら今すぐ出て行ってもいいんだぞ? 流石にそれも嫌だろう? 分かったらさっさと俺の言うことを……」

「――ギュワッ」


 しかしレッドリザードは落ち込むどころか、間髪入れずに頷き、そのまま明後日の方向へと歩き出してしまう。


「えっ? お、おい! 本当に去っていくヤツがいるか!?」


 ダリルは驚愕と焦りの表情と化し、手を伸ばしながら叫ぶ。しかしレッドリザードは歩みを止めることはない。

 そして――


「ギュワギュワ、ギュワッ」


 マキトに向かって何かを喋り、そのまま去っていくのだった。

 立ち止まることはおろか振り返ることすらしない。本当に主人だった男を見捨ててしまったのだ。

 ダリルはズボンが脱げた状態のまま、呆然として棒立ち状態となる。

 魔物たちやアリシアも、ポカンと口を開けながら見送る中、マキトが小声でラティに話しかける。


「なぁ、ラティ。今アイツ、なんて言ったんだ?」

「迷惑かけてすまない――だそうなのです」

「そっか……別に気にしなくていいのに」

「でも、なんかあのトカゲさんらしい気もするですよ」

「……まぁ、そうかもだけど」


 そう言っている間にも、レッドリザードは森の奥へと姿を消してゆく。

 ここでようやく、ダリルの足も動き出した。


「ま、待てよ――ぶへっ!?」


 しかし駆け出そうとした瞬間、焦げて脱げたズボンに足がもつれてしまい、真正面から派手に転んでしまう。しかしすぐに立ち上がり、ズボンを両手で上げながら必死に追いかけ出す。


「おいコラ、テメェがいなくなったら俺はどうすればいいんだ? 待てよ! 待ちやがれってんだあぁーっ!!」


 下着丸出しで、ズボンが落ちないよう必死に上げながら走り去る姿は、なんとも間抜けとしか言いようがなかった。

 まるで嵐が過ぎ去ったかのような感覚。急に静まり返った森が、どうにも妙な雰囲気を醸し出していた。


「……何だったのかしら、今の?」


 アリシアが呆然としながら呟いた。そしてマキトも腕を組みながら、抱いていた疑問を口に出す。


「さっきのトカゲみたいなヤツ……あれって何ていうんだっけ?」

「レッドリザードなのです」


 ラティが答えると、マキトが腕を組みながら頷く。


「そのレッドリザードとか言う魔物、何で言うことを聞かなかったんだろ? 攻撃しないどころか、主人を見捨てちまってたし」

「えぇ、不思議なのです」


 ラティと一緒に首を傾げるマキト。するとここでアリシアが、顎に手を当てながら浮かべた推測を語り出した。


「もしかしたら……あのダリルっていう魔物使いは、前々から魔物を奴隷のように扱ってきたのかもしれないわね」


 ダリルの態度を見て、なんとなく思っていたことだった。先輩というキーワードを差し引いても、傲慢な態度が目立っていたと。


「前々から見限ろうとしていて、今回がそのタイミングだったのかも」

「なるほどなのです。魔物さんも決して、おバカさんではありませんからねぇ」


 うんうんと頷いたラティは、はたと気づいてマキトのほうを見る。


「ちなみにわたしは、マスターから離れるつもりはないのですよ? 離そうとすれば逆にくっ付いてやるつもりなのです!」

「分かった分かった」


 ズイッと詰め寄ってくるラティに、マキトは苦笑する。


「俺もお前を手放すつもりなんてないから、安心していいよ」

「わーい、やっぱりわたしたちは『そーしそーあい』なのですぅー♪」


 両手を上げて万歳しながら、その場をフワフワと飛び回るラティ。そのご機嫌な姿にアリシアはクスッと笑みを浮かべた。


「魔物使いとしての腕次第じゃ、テイムした魔物が従わなくなることがあるって聞いたことはあるけど……マキトたちの場合は心配なさそうね」

「とーぜんなのですっ!」


 何故かラティが、自信満々にえっへんと胸を張りながら言う。いちいち可愛い動作をする妖精ちゃんだなぁと思いつつ、アリシアは続ける。


「案外あのレッドリザードも、マキトが魔物ちゃんたちを可愛がる姿を見て、正式に見限る決心したんじゃないかしら?」

「――あぁ。その可能性は大いにあるだろうな」

「でしょー……え?」


 アリシアは少し遅れて、割り込んできた第三者の声に気づいた。慌てて振り向いてみると、一人の青年がそこに立っていた。

 頭の左右に小さな角を生やしており、それがその人物の種族を表していた。

 無論、初めて見るマキトは、とても珍しそうな表情を見せている。


「これは失礼、俺は魔人族のディオンという者だ。これでも冒険者を務めている」

「ディ、ディオン、さんですか?」


 何やら酷く慌て出すアリシア。マキトやラティからすると珍しい姿であり、どういうことだろうと数秒ほど顔を見合わせ、そしてマキトから尋ねた。


「アリシアの知ってる人?」

「知ってるも何も……ギルドの高ランク所持者で、有名な腕利き冒険者よ!」

「どーも」


 捲し立てるアリシアに続いて、ディオンは片手を上げて挨拶する。

 その呑気そうな声と、アリシアの反応が微妙に合っていない。故にマキトたちは首を傾げるばかりであった。


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