第十章 毒蛇女の怒り

一話

 五行神剣を全て手元に戻し、呂啼舟に始末をつける。一見すると無関係の任務を言い渡してきた陳青だが、この二者が切っても切れない関係にあることは風天巧はよく分かっていた。穆哨に取り憑く呂啼舟をどうにかしなければ鳳炎剣が手に入らず、そもそも「底」の邪気を祓うために五行の力に拠った剣を作ったのだから鳳炎剣を除く四本では呂啼舟の方を解決するのが難しい。風天巧は袖の中をまさぐって古い巻物を取り出すと、くるりと広げてため息をついた。

「さて、どうしたものか……」

 長い時を経て砂色に変色した紙には、五行神剣の絵といくつかの陣形を模した図に続いて無数の人名が記されている。風天巧はその名簿の最後尾まで巻物を繰ると、眉間にしわを寄せて独り言ちた。

「まずは『木』の花踊刹かようせつ。これはずっと任木蘭じんもくらんが持っているから、事情を話せば渡してくれるだろう。『火』の鳳炎剣はさておくとして、『土』の皇麟剣こうりんけんは孔麗鱗が持ったままだったか。『金』の蒼天斬は……こうなると知っていれば穆哨に例の夢についてもっと詳しく聞いたのだがな。その点『水』の碧清剣は未だ欧陽梁の手中にあるが……あの爺さんも強情だ。話をしたとて素直に応じてくれるとは思えん」

 風天巧は天を仰いでため息をついた。自分で蒔いた種とはいえ、頭痛を感じずにはいられない。いつの世も、五行神剣を持つ者たち――現在では欧陽梁、魏龍影、孔麗鱗の三人だが――は、自身が神剣の所有者であることに並々ならぬ執念を抱いていた。だからこそ魏・孔の二人は乱暴狼藉の限りを尽くして張り合ってきたわけで、欧陽梁も正道の中枢という立場さえなければその中に嬉々として飛び込んでいたことは想像に難くない。

 やはり一時の衝動で五行神剣を持ち出したのが間違いだったのだ。だが当時、宋靖が呂啼舟を射殺したこと、加えてそれに賛同する声が大きかったことが相まって風天巧はすっかり参っていた。

 宋靖め、あの場の指揮は私が取ると言ったのに、なぜ自分の判断にばかり頼ろうとする?

 邪に触れた者はすべからく誅されるべしとはよく言ったものだ。事故だから啼舟を救うと決めたのではないのか、お前たち天仙は?

 あの場で秩序に逆らったのは宋靖だというのに、なぜ私ばかりが非難されねばならぬのだ? 啼舟を庇うことの何が悪い? 

 それとも、まさか一介の武器職人の言には耳を貸す価値がないというのか。この私に、使い手の言うことに大人しく聞き従っていろというのか。

 だが私も私だ。なぜ仙骨を破壊できる武器など作ってしまったのだろう? 

 そもそも「底」の邪気を祓うのに五行の力に頼る必要があったのか? 

 仙境内の不祥事になぜ神が駆り出されなければならなかったのだ? 少々手間はかかっても、方術の得意な天仙がどうにかすれば良かっただけの話ではないか。

 やはり陳青の相談に乗って武器を作ったのが間違いだったのだ。

 破軍神窮さえなければ。五行神剣さえなければ。自分たちでどうにかしろと断っていれば。

 そもそも私が、仙境を離れていなければ。

 神の一柱に封じられるという、修行者にとって最上級の栄誉を捨てて天仙の地位に甘んじていれば、呂啼舟の心に隙が生まれることも、邪気に侵されることも、仙境を上げて討伐されることもなかったのかもしれない。呂啼舟のことを思い出すたびにそう思わずにはいられなかった。



 母王山の付近は秘境に等しく、旅人の姿はほとんどない。一日中歩き通し、日の暮れるころにようやく入った町も小さなもので、唯一の宿にも他の客の姿はなかった。そればかりか長らく客足が絶えていたらしく、宿の女将は久しぶりの客に飛び上がらんばかりに喜んで風天巧を一番大きい部屋に案内してくれた。彼女は風天巧が断るのも聞かずに茶の用意を整え、すぐにお湯をお持ちしますと上ずった声で告げるとちょっとした嵐のような勢いで階段を降りていった。

 湯浴みをして汚れを落とし、食事をとって床に就く。それだけのことがやけに味気ない上に、灯りを消せば宿の静寂が膨れ上がったような気がして風天巧はなかなか寝付けなかった。部屋を見回しても当然誰の姿もなく、適当に呟いた一言に言い返してくれる相手もいない。風天巧は突然、穆哨と船で旅していたときのことを思い出した——船旅そのものはひどかったが、穆哨と二人でいると久しぶりに満たされたような心地がした。筋金入りの悪党だというのに根は律儀で真面目で、彼の師らが貫き通す悪虐非道とはおおよそ真逆の性格をしているのが面白かった。それにあの純朴さ——経験がないわけでもないだろうに、露骨な話題を振ると初めて春画を見せられた少年ように真っ赤になる穆哨が風天巧は好きだった。

 それにしても、こんなふうに感じるのは呂啼舟と一緒だったとき以来だ。風天巧は暗い天井をじっと見つめたまま、今やがらんどうになってしまった丹田に手を置いた。思えば、力を失ったこともまた、彼の行いへの対価なのかもしれない。全てがあるべき状態に戻れば、胸中に巣食う後悔の念も晴れるのではないかと風天巧は思った。

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