五話

 東鼎会が次に向かうのは西の山腹に置いた白虎の祠だろう——羅盤からあたりを付けた場所に軽功を使って向かうと、案の定、大勢が集まって草木を踏み分ける音が聞こえてきた。風天巧は一度立ち止まり、木々の間でじっと息を潜めた。玉染訛りと麓苑訛りが聞こえてくるところから察するに、どうやら魏凰は玉染から連れてきた部下に加えてこの近辺でも人を集めたらしい。風天巧は思わず苦笑した。せっかく何十年とかけて人払いをしてきたというのに、その苦労があっさり水の泡と化すとは。

「……ハ。とんだ宝剣だ」

 声をこぼして笑った途端、魏凰と話し込んでいた林氷伶がぱっと顔を上げて風天巧のいる方向を睨みつけた。

「何者だ!」

 林氷伶の鋭い声に、全員が弾かれたようにこちらを見る——風天巧は鳥籠を仕舞うと今度こそ大声で笑い、手を叩きながら東鼎会の輪の中に歩み出た。

「いやあ、お見事、お見事! やはり林殿の前では物陰に潜むべきではなかったな。それに——」

 風天巧が視線を巡らせると、男たちがぎくりと後ずさる。

「諸兄の胆力にも感服するよ。このあたりに住んでいながら、よくもまあこの山に挑もうと思ったものだ。豪傑という言葉は、きっと君たちのためにあるのだろうね」

「風天巧! やはりお前か!」

 魏凰が叫ぶように言った。彼女はこの場にいる誰よりも殺気立っていて、今にも両の籠手から仕込み刃が飛び出しそうだ。

「そんな気がしていたのだ。穆哨がお前と共に姿を現したときから、あの晩奴はお前に匿われたのではないかと思っていた。するとここは何だ? お前の要塞か?」

「いかにも……と言いたいところだが、生憎ここはただの屋敷だよ。三界の頂点に君臨する鍛冶師、天玦神巧てんけつしんこうの人界での住まいだ」

 天玦神巧の名を聞いた途端、そこにいる全員に戦慄が走った。しかし風天巧はどこ吹く風で帯から扇子を引き抜き、悠々とあおぎながら皆の反応を眺めている。

 天玦神巧。幼い頃から物づくりの才で名を上げ、成人してからは数々の名器を鋳造し、最後には仙骨を得て天に昇ったという伝説の鍛冶師。まだ人間だったころからその名声はすさまじく、天界の神仙までもが彼の功績をつぶさに知っている有り様だったという。

「知ったことか」

 小声で吐き捨てた魏凰を林氷伶はきっと見据えた。小さく首を横に振り、目の前の男を侮らぬよう目で制止する。

 魏凰は苛立たしげに頷くと、深呼吸をして前に進み出た。

「風天巧……それとも天玦神巧か? 我々がここに出向いた訳は分かっているのだろうな」

「もちろんだとも、魏小主。ほら、お目当ての品ならここに」

 風天巧はそう言うと右手をひねり、扇子の代わりに鳳炎剣を握り込んだ。周囲の男たちがどよめく中、魏凰ははやる心を必死で押さえつけた。

「では、それが我ら東鼎会から盗み出された盗品だということも知っているな?」

 林氷伶は手の中にそっと錘を滑らせた。魏凰の交渉次第ではこの仙人と一戦交えなければならず、そして彼女がことを穏便に済ませるつもりがないことを林氷伶は分かっていた。

「ああ、存じているよ」

 風天巧は涼しい顔で答えると、敵意もあらわに自身を睨みつける東鼎会の面々をぐるりと見回した。



***



 作業場に戻った穆哨はそこらじゅうを漁って手ごろな武器を探していた。もっともらしい蔵を探している時間はなく、かと言って武器もなしに東鼎会、特に林氷伶に挑むことは不可能だ。鳳炎剣を取り上げられた今、せめて代わりになるものがあれば――穆哨は作業小屋の戸を破らんばかりの勢いで開けると、台の下をがばりと覗きこんだ。

 そこには細長い木箱が乱雑に積まれていた。穆哨は一番近くの箱を引き寄せて台の上に乗せると、何の細工もない蓋を引き剥がすように開けた。

「あった……!」

 穆哨は思わず呟いた。箱の中身は真新しい長剣だったのだ。

 穆哨は剣を箱から出すと、鞘から抜いて手ごたえを確かめた。見たところはごくごく普通の剣だというのに、さすが仙人の作と言うべきか、柄を握れば瞬時に手に馴染んでくる。穆哨は剣を片手に作業小屋を出るともう一度門を目指して駆けだした――ところが、母屋の前を通り過ぎた瞬間に西の方から轟音が聞こえ、黒煙が上がるのが見えた。

 ——まさか、風天巧が? 

 嫌な予感が胸をよぎる。穆哨は歯を食いしばると、門を出て黒煙の方へと道を急いだ。



***



 空を裂いて飛んできた流星錘を避けた風天巧に、部下の背を蹴って飛び上がった魏凰が狙いを定める。風天巧は振り下ろされた刃を指で弾くと鳳炎剣を扇子に持ち変えた。宙で一回転して着地した魏凰は勢いもそのままに地を蹴って風天巧に刺突を送り、同時に林氷伶が錘を放つ。魏凰に気を取られている風天巧に向かって錘は真っ直ぐ飛んでいき、がら空きの胸にまともに命中した。風天巧は後方に飛ばされ、背中から木に激突して地面に落ちた。喉元にせり上がる鉄錆の味を吐き出すと、同時に脇に激痛が走った——今の一撃で骨が砕けたことは明らかだ。殴打しかできない剣ほど使い道のないものはないと胸の内で独り言つと、風天巧は自ら穴道を封じて痛みをごまかした。戦闘が長引き、より多くの内力を使って点穴が解けると痛みがぶり返すが、今はこれしか方法がない。風天巧は扇子も帯に差して仕舞うと、迫りくる林氷伶を空手で受け止めた。

 とはいえ、劣勢の原因は風天巧自身にあった――鳳炎剣を前にした東鼎会の面々を、かつて蠱洞居で孔麗鱗たちにしてみせたように惑わせようとして失敗したのだ。同じ手順で制限を外し、炎の一撃で敵の半数を再起不能にしたはいいが、これは実際の殺傷をともなう場面で使うには負担の大きすぎるものだった。一気に全身を駆け抜けた熱気で臓腑が傷つき、胸を押さえて血を吐いた風天巧に魏凰と林氷伶が一斉に襲いかかって二対一の戦闘が始まった。風天巧はやむなく鳳炎剣を殴打に使うにとどめ、やがて剣を扇子に持ち変え、果ては何も持たずに二人と対峙したというわけだ。だがそれも限界に近く、適当な間を見繕ってこの場を離れ、穆哨と合流して逃げる以外にもはや手立てがない状態だ。


 一方、魏凰と林氷伶は風天巧を下火に追い込んだと見るや攻撃の手を強めてきた。それでも急所は狙ってこないあたり、風天巧を極限まで消耗させて生け捕りにしようという魂胆が透けて見えている。あるいは、自ら「天玦神巧」を名乗ったこの男の素性を警戒し、あえて致命傷を負わせないよう加減を見ているのか。

 それならばと、風天巧は林氷伶の双流星錘に目を付けた。風天巧は唸りを上げて飛んできた錘を横に退いてかわすと、ぐっと足を踏み込んで鋭く息を吐いた。林氷伶はその錘を素早く戻すと、もう一度風天巧めがけて投げつける。しかし、錘は風天巧がつき出した両手に吸い込まれるように収まった――風天巧は錘に込められた内力を吸い取って凶暴極まりない一撃を無効化し、さらには自身の内功に転換して投げ返してみせた。林氷伶は一瞬ぎょっと目を見開いたもののすぐに片脚をぐっと引き、丹田に力を込めて内力を巡らせる。しかし飛んできた錘を受け止めた途端、ボキッという音とともに林氷伶の叫び声がした。その足元に錘がぽとりと落ちる。

「林氷伶!」

 魏凰が呼びかける間にも林氷伶は数歩よろめき、一瞬にして色を失った額に脂汗を浮かべて膝をつく。その手は力なく垂れており、もう片方の手でぐっと押さえられていた。

「小主、私に構わず風天巧を!」

 林氷伶は浅く早い呼吸の間で唸るように答えた。錘を受けようとして手首が折れたのは明らかだった——いくら暗器の名手といえど、結局は内功の修為がものを言うのだ。

 残された魏凰は風天巧に視線を移し、両腕の刃を構えなおした。目の前の実力ある相手を捕虜として生け捕りたいとき、狙うべきはどこか――かつて父の魏龍影が彼女に問うたとき、気絶させるまで戦うと答えた魏凰に対し、林氷伶は自分なら足の筋を狙って動きを封じると答えた。相手との間に大きな実力差がある場合にはいくらか小賢しい手を取った方がかえって上手くいくというのがそのときから変わらない彼の持論だ。

 そして今、魏凰は仙人を名乗る、自分とはかけ離れた実力の男と一対一の勝負を強いられていた――魏凰は素早く考えをめぐらせた。狙うべきは踵の筋か、あるいは脚の骨だ。魏凰はより隙を突きやすい方に狙いを定め、気合いとともに風天巧に突進した。

 風天巧が魏凰の目を見据え、両者が激突する——かのように見えたそのとき。


 突如として魏凰の行く手を赤っぽい影が遮った。下から振り上げられた殺気を間一髪で避けた魏凰は、闖入者の顔を見るや怒りに顔をゆがめた。

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