第154話 くちづけ

 館のマスターキーを油小路から渡される蘭。現代日本人の蘭からすれば、昭和の漫画に出てきそうなかなり古臭い意匠の鍵であったが、逆に考えれば魔族によって滅ぼされたらしいこの世界の住民は、近代相当の技術力を持っていた事が窺えた。


「まずは沖田くんを回復させないと… ベッドのある部屋はどこですか?」


 蘭の問いにアモンと呼ばれた魔族の青年は、無言で蘭に「いて来い」とぞんざいに手招きをする。

 明らかに蘭を矮小な存在とみなして侮蔑した眼差しであった。

 これがこの世界での蘭や沖田の扱いであると痛感し、蘭は落胆とともに小さな怒りも覚える。


 やがて通された部屋には、かつての持ち主が愛用していたと思われるキングサイズのベッドが置かれていた。

 地下室から意識の朦朧としたままの沖田を軽々と肩に担いで移送してきた蘭は、これまでの大雑把な持ち方から一変して、母親が眠る幼子を起こさないように細心の注意を払って沖田をベッドに寝かせる。


 助け出した時点では逆さ吊りだったせいで赤黒く腫れた顔をしていた沖田だったが、通常に寝かせたおかげか暫くすると血が下がってきて、見慣れた愛しい沖田の顔に戻ってきた。

 寝かせた当初には気の毒に思えるほどうなされる様な息遣いの沖田であったが、顔色が引くと同時に次第に静かな寝息となっていった。


 その変化に蘭は大きく安堵すると共に、己の不安定な立場に懊悩していた。


 沖田の世話役として呼ばれた、もとい拉致されてきた蘭であるが、このまま普通に増田蘭として沖田と対峙するわけにはいかないだろう。

 なぜならば、沖田にとって敵地である魔界に人間が居る訳はない。つまり『増田蘭』は魔界ここに居てはいけない人物である。


『沖田くんは魔法少女としての私の顔を知っている… ここで私が彼に顔を見せたら、彼の目には私の行為は裏切りに映るかも知れない。それならいっそウマナミ改のまま魔族の振りをして…』


 蘭の選択肢としては、自分も誘拐されたていであくまで被害者のいち少女『増田蘭』として沖田と接する考えもあったのだが、それにはただならぬ高い演技力が求められる事に思い至り不採用となる。


 静かに寝息を立てる沖田の顔を見詰めるうちに、蘭は己の心が徐々にざわついて行くのを感じ取り戦慄していた。

 それはいつの間にか「ちょっと気になる」から「身悶えするほど恋い焦がれる」へと変わっていた沖田を慕う心の発露であり、蘭は自分の気持ちの落し所が分からずに酷く混乱する。


『沖田くんはつばめちゃんの大好きな人。全身ボロボロに傷ついてまで守りたかった人…』


 蘭は胸を張って『親友』と言えるほどつばめの人柄を友人として好ましく思っているし、沖田に対する愛の深さと思いの一途さを目の前で見てきてよく知っている。

 現に蘭は目の前で沖田を救う為に全身を激痛に襲われる魔法を用い、なおも沖田を気遣うつばめを見ているのだ。


『友達と好きな人が被るなんて漫画の中だけかと思ってた。それで親友同士の友情にヒビが入るなんて、漫画の中だけかと思ってた…』


 蘭はウマナミ改のマスクを外す。その表情は喜びとも悲しみともつかない、それでいて何かに思い詰めたものであった。


『つばめちゃんは沖田くんに振られたって言ってた。だから今沖田くんはフリーなはず… だから… だから私にだって…』


 沖田の眠るベッドの脇に膝を付く蘭。蘭の目にはいつの間にか大粒の涙が溜まっていた。


「つばめちゃん、ごめんなさい…」


 蘭は沖田へと顔を近づけ、抑えきれなくなった己の激情を沖田の唇へと触れさせる。


 ほんの一瞬触れただけの接吻であったが、蘭の心は大願を果たした歓びと、親友を裏切った悔恨との2つの想いで満たされる。

 その2つの想いが混ざり合って爆発し、様々な思いを載せた涙が堰を切ったように溢れ出してくる。


 憧れの沖田とキスできた喜び、つばめを裏切った自責の念、寝ている相手の唇を無断で奪ってしまった己の行動力への驚きと、同時にそんなはしたない行為をしてしまった自戒、また同じ女としてつばめが得られなかった物を手中にしている満足感、その他様々な小さな想いを抱きしめながら蘭は独り声を殺して泣いた。

 無数に派生する己の心がバラけてしまわぬように、両手で体をキツく抱きしめながら……。


「う、うぅん…」


 蘭の口吻くちづけか、はたまた蘭の嗚咽がきっかけとなったのか、眠っていた沖田が目を覚ましたようだ。


 蘭は慌ててウマナミ改のマスクを装着し顔を隠すと、凛とした姿勢で沖田の前に立った。


「…君は、誰…?」


 不十分な覚醒ながら状況を把握しようとする沖田に、複雑な想いを抱えたまま蘭は言い放つ。


「ホーッホッホッホ! 私の名前はウマナミ改。貴方は我々に囚われて人質になっているの。大人しくしていれば程なく家に帰してあげるわ!」


 ☆


 そんな若い2人のやり取りを隣室の覗き窓から楽しそうに観覧していた油小路の後方の空間が渦を巻く様に歪みだした。


油小路ユニテソリ様…」


 虚空から影の様に現れた油小路の従者の1人、イアンが片膝を付きうやうやしく報告する。


「魔王デムス様がユリの勇者に敗れほうされた、との事です」


 イアンの報告に油小路は流し目で答えただけで一言も発する事は無かった。

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