第82話 ほうどう

 3時間目の授業時間、生徒達は全員自習として緊急の職員会議が開かれた。『新聞部による壁新聞が生徒個人のプライバシーを毀損している』として複数の教師から問題提起された為だ。

 その複数の教師とはアンドレと不二子な訳だが、更に1年C組担任の佐藤教諭も賛同してくれていた。


「言論の自由」vs「プライバシー保護」という、現代の報道の在り方としてもなかなか答えの出ない命題を前にして会議は紛糾した。


 新聞部顧問の教師を中心に「写真の生徒の学年や学級は言及されておらず、写真にもモザイク修正がされており特定は不可能」だとして壁新聞の撤去に反対する意見も強かった。

 しかし、不二子の提出したつばめの顔写真を見て、新聞部顧問を含む全ての教師が「顔よりも特徴的な部分つばめブーメランが隠せてないね」と納得し、壁新聞の撤去が決定した。


 この決定に納得できないのが新聞部部長の九条常定くじょう つねさだだ。急に校内放送で職員室に呼び出されて、以上の沙汰を自学級の担任、学年主任、そして不二子の3名から告げられた彼は動揺しつつも大きく抵抗した。


「これは『報道の自由』に対する冒涜です! 新聞部われわれは十分にプライバシー保護の検討を進めた末にあの形での発表となったのです。決してこの写真の子の…」


 単語ごとにメガネの位置を指でクイクイ直しながら九条は教師相手に熱弁を振るったが、


「九条くん、『報道の自由』なんて言葉は憲法にも民法にも登場しないわ。事実を追求する姿勢は認めるけど、その為の力は特権でも何でも無いし、その力に溺れる事こそがあなた達の嫌う『社会悪』なのではなくて?」


 不二子にそう説かれ、それ以上答える事が出来なかった。


 不承不承ながらも自らの手で壁新聞を撤去する九条の心にあったのは、今回の記事を寄せてきた野々村千代美への八つ当たりとも言える怒りだった。


『あの女がろくでもない記事を書いてきたから、こんな事になったんだ。もし今回の事が僕の内申に響いたらどうしてくれる?』


 誰が書いたものにせよ新聞部の記事として発行している訳であるから、それらの総責任は部長、いや編集長の九条にあるのだが、今の九条にはそんな事はまるでお構い無しだった。


 腹の虫の治まらない九条は野々村に電話をかけ、先程のモノローグをほぼ全て彼女に対してぶちまけた。


 急に『どうしてくれるんだ?』等と言われても野々村も対応に困る。

 しかし、彼女の書いた記事が原因で壁新聞が問題となり、編集長の九条が職員室に呼び出され、挙句壁新聞を撤去させられる羽目になった。


 元々はと言えば新参の沖田親衛隊隊員である野々村が、親衛隊に一切忖度する事なく勝手に沖田に接近するつばめに対する嫌がらせ目的で『でっち上げた』キャンセル記事である。

 野々村自身『似ているな』とは思いつつも、魔法少女の正体がつばめだとは露ほども思っていない。


 つまり野々村の鬱憤晴らしの為に書かれた記事であり、事実かどうかは野々村には問題では無かった。

 しかし、新聞を読む側からすればそういう訳にはいかない。新聞が堂々と嘘をついては報道の存在意義が揺らいでしまう。報道は個人の恨みを晴らす道具では無いのだ。


 もちろんそこまでの覚悟は野々村には無い。軽い気持ちで『ちょっと嫌な目にあえばいい』位の気持ちで上げた記事だ。編集長の九条も二つ返事でOKを出した。


『何よ、何で私が悪い事になってるのよ? 編集長だって高柳先輩だって喜んでたのにおかしいよ!』


 九条からの言わば八つ当たりに対して野々村が行ったのは『別方向への八つ当たり』だった。


 瓢箪岳高校は私立であり、学校の偏差値も低くはない。生徒の自主性を尊ぶ校風と同時に、治安の良い学校である事がセールスポイントでもあった。


 しかしながら何事も例外はある。いわゆる不良とカテゴライズされる生徒は瓢箪岳高校にはほとんど居ないのだが、ゼロと言う訳でも無い。


 部室長屋から少し外れた『離れ』に「空手部」の看板を下げた物置き部屋がある。そこには真面目に空手の練習をしている生徒はおらず、いわゆる半グレが集まって密かに喫煙や飲酒、博打を行っていると噂される部屋である。


 生活指導の教師ですら立ち寄ろうとしないその場所に野々村は来ていた。

 空手部室の前には制服を着崩した男子生徒が2名、門番の様に座って野々村を睥睨へいげいしていた。


「何だ? 真面目な生徒が来るところじゃねーぞ」

「俺らに処女を捧げに来ちゃったとかなら歓迎だぜ?」


 下品なやり取りに下卑た笑い声。野々村は吐き気を抑えて精一杯の声を出す。


「あの… ちょっと脅かして欲しい生徒が居るんですが、協力してもらえないかなぁ? と思いまして…」


 野々村は一通りの説明をする。つばめにちょっと絡んで脅かして貰えれば十分だと。


「あ…? つまり俺らにお化け屋敷のバイトの真似事をしろって言ってんの?」

「ふざけんな! 俺らもそこまで暇じゃねーんだよ!」


 野々村なりに危険を冒してやって来た場所であったが、どうやら徒労に終わりそうだ。


「そ、そうですか。失礼しました…」


 頭を下げ踵を返そうとする野々村に「待てよ!」と声がかけられる。


 振り向いた野々村が見たのは、元より卑しい顔つきを欲望の為に更に歪めた2人組の恐ろしい表情だった。


「なぁ、『脅かす』とかチャチなこと言わないでさぁ、もっと俺らが楽しんでも良いなら手を貸してやるぜ?」

「そうそう、その子をここまでおびき寄せてくれれば、お望みどおりたっぷりと『脅かして』やるよ?」


 不良達の提案の意図を理解するのに数秒を要したが、野々村は彼らの要望をはっきりと理解し、額に一筋の冷や汗が流れた。


「彼女に性暴行するんですか…?」


 そこまでは求めていない。野々村とて1人の女性だ。例え嫌いな相手であっても女性の尊厳を踏みにじる行為に賛成できるはずが無い。


「それをお前が気にする必要は無い。何ならどんな『脅し』をするか自分で味わってみてもいいんだぜ…?」


 野々村は今、難破した船の板にしがみつくカルネアデスの気分を強く感じていた。

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