第55話 でーと

「あれっ? ずいぶん早いね。ひょっとして待たせちゃった?」


 待ち合わせ時間の10分前に現れた沖田。普段着とランニングウェアの中間の様な動きやすそうな服であり、あまりお洒落を意識した服装では無い。

 それでも爽やかさとか清潔感とかは外目からでも十分に感じられる為に、他人が不快感を覚える事は無さそうである。


「ううん。全然待ってないよ。今日は誘ってくれてありがとう。私服姿カッコいいね」


 元から沖田への好感度の高いつばめから見たら、いつもの制服姿以外の服装が見られるだけでご褒美であり、不快の『ふ』の字もあろうはずが無かった。

 たとえ小一時間待たされていても(つばめが早く来すぎただけだが)、つばめには待っている時間さえも幸せなものだった。


「そう? ありがとう。つばめちゃんもその服可愛いね」


 多分に社交辞令ではあるが、沖田の軽い一言はキューピットの矢の如くつばめの心を射抜いていた。


 つばめの服装はライトグリーンとライトブラウンの2色を基調にした春らしいデザインのワンピースで、派手さは無いがシックな中にも軽快さを思わせる若者らしいデザインだ。


『可愛く見せつつあまり気合が入っている様に思わせない』と、つばめなりに熟考の末に出したコーディネートの答えである。


「か、可愛いかな…?」


 思いびとに『可愛い』などと好意的な言葉を言われて思考能力が止まってしまう。

 服装だの髪型だのムダ毛処理だのとああだこうだと考えすぎて、頭がおかしくなってしまう程に悩み抜き、ほとんど眠れずにいた先に沖田の『可愛いね』があったのだ。


『わたし、もう死んでもいい…』


 そこまで考えるほどにつばめは舞い上がっていた。魔法で本当に空でも飛んでしまいそうになる。まぁ飛べないのだが。


「つばめちゃん…?」


 感動と睡眠不足で固まっていたつばめを気遣って沖田が声をかける。幸せいっぱいなつばめの気持ちはともかく、沖田としては早いところ新しい靴を調達したい気持ちが強い。


「あ、うん、ごめんね。ちょっと寝不足で…」


 浮かれた誤魔化しと照れ隠しの混じった答えではあったが、沖田はあまり良いようには受け取らなかった様だ。


「大丈夫? もしかして誘って迷惑だっ…」


「そんなこと無いよ! 平気だから早く行こ!」


 沖田の言葉をさえぎって、目的地である靴屋の入っている商業施設へと向かうつばめ。このままではどんな失態を晒してしまうか分かったものではない。せっかくのデートを台無しにしたくない。


『デート…? これってデートかな? デートだよね…?』


 沖田の方は相も変わらず飄々ひょうひょうとしており、何を考えているのか分からない。しかしそれでもつばめを誘ったのは沖田からなのだから、憎からず思われているのは間違いないはずだ。


 つばめ自身、半ば冗談で下着も普段履きのゴムのくたびれたパンツでは無く、清楚なデザインの白い新品を身に着けてきている。まさか初のデートでそれを披露する機会は無かろうが、万が一、という事も有り得なくもないのだ。


『さすがにそこまではしないにしても、キ、キ、キスくらいなら捧げても良いんじゃないかな…?』


 妄想が膨らんでまたしても足の止まるつばめ。そして怪訝な顔でつばめを案ずる沖田。


「本当に大丈夫? 具合悪いなら無理しないで帰った方が…」


「大丈夫! 大丈夫だよ…」


 まさか『好きな人と一緒に居るから、落ち着かずに挙動不審になっている』とも言えずに靴屋へと突撃するつばめ。


 入った靴屋は靴の大手量販店であるXYZマートである。広い店内に老若男女全てに向けた様々な靴が所狭しと並べられている。


「沖田くんはどんな靴を探しに来たの?」


「とりあえず足に負担の掛からない軽いランニングシューズが欲しいと思ってるんだよね。サッカーのスパイクは学校指定の靴屋があるらしいからそっちはまた別の時に」


 正直つばめにはサッカーとランニングで違う靴を履く意味も分かっていないので、その辺はボロが出ないうちに軽く流す事にした。


「デザインのセンスがどうのって言ってたけど、わたしもセンスある方じゃ無いから参考にならないかもよ…?」


「いやぁ、どんなでも俺よりはセンスあるだろうと思ってるから大丈夫だよ」


 つばめの気弱な発言を笑って返す沖田。『別に誰でも良かった』感は感じられるが、つばめにはその不快感よりも沖田に頼ってもらえた幸福感が上回っていた。


「これなんかどうかな?」


 沖田が選んで持ってきたのは作りは立派なランニングシューズなのだが、どこかで見たようなバトルアニメのキャラクターがプリントされていた。


「え〜…?」


 ちょっと、いやかなり引いたつばめのリアクションに肩を落とす沖田。靴を持ってきた時の笑顔との落差が激しい。


 つばめとしては可もなく不可もない、それこそ白一色とかの靴でも何の問題も無かったのだが、さすがにアニメキャラクターは許容したくなかった。


 余談だが、アメリカのプロバスケット選手の中には、敢えて漫画のキャラクターの入った靴をオーダーメイドして履いている選手も居るには居る。つばめのセンスとして受け入れられないだけで、その事自体は悪い事ではない。


『でも沖田くんは自分の好きな物を選んで持ってきた。それを否定する権利はわたしには無いんじゃないかな…?』


「あ、あのね、こういう事は他人のセンスなんて気にしないで『我が道を行く』で良いと思うよ?」


「じゃあつばめちゃんならどれが俺に似合うと思う?」


 沖田の目が捨てられた子犬の様に心細そうな光を放つ。


「うん、と… これ… かな…?」


 つばめもセンスに自信など無い。それでも懸命に沖田に似合いそうな青色をメインとした運動靴を手に取る。


「…よし! じゃあ、つばめちゃんを信じてそれにするよ!」


 沖田は全く逡巡する事なくつばめから靴を受け取りレジへと向かう。


「え…? でも沖田くんは『こっち』の方が…」


「良いんだ、俺も踏ん切りが付いたし。所でつばめちゃんはどの靴を買うの?」


 もともと沖田がつばめを誘ったのは、つばめが『靴を見たい』と言い出した事に触発されたからだ。


 しかし昨日のつばめは沖田に話を合わせただけで、現在特に新しい靴を欲している訳ではない。


「わたしは… 今回はパスかなぁ…?」


 周りを見回し、如何にも『好みの品が無いんですよ』風を装って買い物を切り上げるつばめ。これ以上沖田に気を遣わせるのも申し訳無い。


 意味の無いショッピングをするよりも、この後に2人で喫茶店でお茶したり、カラオケでデュエットしたり、暗い映画館でこっそり手を握ったりする方が夢が広がる展開ではないか。


 幸いな事に今いる商業施設には上記全ての店舗が揃っているのだ。

 つばめの意識は既に靴屋の中には無い。


「そうか… じゃあ俺は帰って早速ランニング練習する事にするよ! 今日は付き合ってくれてありがとう! また明日ね!」


 言うが早いか沖田は爽やか旋風を残しながら、1人足早に店を後にした。


「え…???」


 独り取り残されたつばめは、状況が理解出来ていないまま雑踏に立ち尽くしていた。

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