第35話 ねっせん

 綿子の「ツー!」の後に手が振り下ろされる。


「スリー」の声が上がるまでの1秒間、久子はリングに乱入し、つばめを押さえている智子を蹴り上げた。もちろん反則ではあるが、実際のプロレスでもよく見られる光景である。


 久子に剥がされてリングを転がる智子、久子の蹴りを受けても衝撃の方向に体を預ける事によりダメージを逸らす。戦い慣れたテクニック。


「睦美さま! つばめちゃんをお願いします!」


 半分意識不明のつばめを引きずり、自分のコーナーでトレーナー然と構えている睦美につばめを預ける。

 睦美もつばめの体を受け取ると、リング脇に敷かれたマットにつばめを寝かせ、つばめの状態を『固定』させこれ以上悪化させない様に処置をして、不二子を呼びに保健室に向かう。


「また不二子に借りを作るじゃない。しっかりしなさいよつばめ…」


 廊下を進みながら悪態をつく睦美だが、『しっかりしなさい』がつばめのヤル気に当てたものか、容態に当てたものかは睦美自身にもよく分からなかった。


 さて、つばめのリタイアにより実質2体1となった試合だが、久子に気後れは見受けられない。


「つばめちゃんの仇! 覚悟しなよぉっ!」


 むしろ闘志に火が点いたようで、久子には珍しく『怒りモード』になっているようだった。


「覚悟も無しにリングに上がる方が失礼なのよ。それよりも本気の久子あなたを見定めさせてもらうわ!」


 久子に襲いかかる智子、しかし久子は智子の腕に自分の腕を絡めてそのまま相手の勢いを利用して小さく投げ飛ばすアームホイップで応戦する。


 智子も受け身を取り最小限のダメージに止める。そして投げられた勢いを利用して更に加速させリングロープに体を預ける。


 ロープの反動を利用して戻ってきた智子は、大きくジャンプして久子の胸部にドロップキックを炸裂させた。


 キックの衝撃で後方に倒れるも、すかさず受け身を取りダメージを抑える久子。


 倒れた久子に智子の連撃が襲う。久子の頭の横で飛び上がり、尻もちをつく様な動きで伸ばした右脚を久子の首に叩きつけるギロチンドロップだ。

 丸太で殴られた様な感覚と共に、火で熱された鉄棒を当てられたような『熱さ』を感じる久子。


「ぐぅっ!」


 久子の苦悶の声が上がる。現在久子は自身に『5倍』の強化をかけている。これは変態していないが為に、消費する魔力が倍増しているのが理由である。


 もし今、久子が変態していたならば、同程度の魔力で『10倍』の力を出せる訳であるが、久子はこの後に力を使う案件を予感して、これ以上の魔力消費をセーブしていたのだ。


 第一、本体の久子が非力だったとしても『5倍』の力で対抗すれば、いくら女子レスリング同行会だとしても普通の女性相手に遅れを取るはずが無いのだ。無かったのだ……。


 だがしかし、智子はそんな久子の慢心とも取れる考えを裏切って久子に大きなダメージを与えてきた。


 智子が久子の上に乗り両肩を押さえつけると、先程と同様に綿子がカウントを始める。


「ワン!」の声で智子を跳ね飛ばし、体を転がして距離をとり、そして立ち上がり仕切り直す。


 仮に智子がどれだけ強くても『5倍』に強化された久子相手ではパワー負けするのは道理だ。しかし、智子の膂力も通常の女子高生の物を大きく上回っている事に久子は気づく。


『女の子が鍛錬だけで身に付く筋力じゃ無いと思うけどなぁ…』


 智子が再び体をロープに弾ませて、次は伸ばした右腕を使って久子の首を刈り取ろうとラリアットの構えを取る。


 しかしその攻撃を予想していた久子は智子の腕を掻い潜り、智子の後ろに回り込んで彼女の腹を両手で強く抱き、背を反らし後方に叩きつけた。


 先程つばめの受けたバックドロップの意趣返しとでも言わんばかりの、突き刺さるようなジャーマンスープレックスである。


 だが智子は倒れない。プロレスラーはスタミナが命だ。例え対戦結果が始めから決められていたとしても、観客の前で30分なら30分、投げ合い打ち合いをしながら戦い続けなければならないのだ。


 誰が勝つかの『結果』は問題では無い。どうやって戦い、観客を『魅せる』か? がプロレスの真骨頂である。


 智子もフラフラではあるがその目に闘志は消えていない。パートナーのいのりも心配そうな顔をしてはいるが、智子の救援に乱入する気配はない。智子を信頼して任せている証だ。


「やるじゃん土方久子… やっぱりあたしの見込んだ通り強いね。『能力ちから』も使わずにそこまでやるとは、正直予想外だよ…」


 能力ちから…? 久子は魔法こそ使ってはいるが、それ以外に何か特殊な力を持っている訳ではない。逆に智子の口振りから彼女、あるいは彼女らには何か超常の力が備わっているとでも言うのだろうか?


「へへっ、久々にやろうか、いのり…?」


「なっ?! ダメですよ智子さん! 『能力を使うのは能力者同士で』ってヘイ師匠と約束したじゃないですか!!」


 いのりが何やら警告めいた発言をする。それを無視するかの様に智子は久子に向き直り、着ていた自身のレオタードを引きちぎり始める。


 数秒後、智子はレオタードの下に着ていたのだろう、最小限に体を隠した紐ビキニ姿になっていた。

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