6 嘆きの泉

 ——翌日、朝、気温十九度。

 昨夜はルカとキッツが交代でソイユの休憩室の見張りをした。安穏あんのんな夜だった。たった一日何事もなく過ぎただけで、クフタ商会内には平和そのものといった空気が広がりつつあった。

「キッツ。ナバルを見なかったか?」

 食堂で軽食を取った後、休憩室前のキッツにルカが尋ねる。

「今朝早く事務室に入っていくのを見たっすけど……この部屋にもいないし、裏の花に水でもあげてるんじゃないっすかね?」

 キッツは運び屋の仕事以外を頼まれたときにはきちんとこなす。彼が運び屋でありながら運びたがらない理由が何なのか、ルカにはさっぱりわからなかった。

「花に水? ナバルが?」

「そっす。ソイユさんの母ちゃんにもらった花だとか。種から育てて、自分で増やしたらしいっすよ」

 裏庭には赤い八重咲きの花がぎっしりと生えていた。柔らかなハート型の葉っぱが水を受けてしなっている。

「何ていう花なんだ」

 ルカが尋ねると、不機嫌そうな顔でナバルが振り返る。

「興味あんのかよ」

「旅してるといろんな花に出会うからね。花はその土地柄を表すって——受け売りだけど」

「名前はねぇよ」

 ナバルは話しながらも、同じ場所に水を与え過ぎないよう如雨露じょうろを動かす手を止めなかった。

「新種とか?」

「品種改良だ。名前は付けない。それが良いんだよ」

「それはソイユの母さんが決めたことなのかな。名無しの権兵衛が良いって」

 ナバルの顔がわずかに歪んだのを、ルカは見逃さなかった。

「キッツの野郎が言いやがったのか……あいつ、また小屋にぶち込んでやる。名前を付けねぇのは、俺がそうしたかったからだ」

 彼はルカと目を合わせようとしない。

「そっか。で、ナバル、調査のほうはどうなんだい?」

「たいした進展はねぇよ」

「俺は今日、墓地に行ってくるよ。化生石けしょうせきが何か関係あるかもしれない」

「化生石は黒くねぇよ」

「らしいね。でも、当たってみなきゃ何も進まない」

 ナバルが如雨露を上に向けた。

「お前な、あんまり首を突っ込み過ぎるなよ。ありがてぇことだが、この街の問題は、この街のやつに任せてくれや」

「一度突っ込んだ首は、そう簡単に抜けないんだよね」

 去って行くルカの背中を、ナバルは視界から消えるまでずっと目で追っていた。

 監視の視線だ。ルカはヘドロのようなその視線を振り払い、墓地へ向かった。


 一人一人の人間が、一つずつ固有の物語を持つように。

 ひとつひとつの共同体は、異なる物語を持っている。

 物語は曲がりくねる一本の川の流れに乗って進んでいる。

 それは普通意識されることがない。

 あるとき、風域はその川の流れの先が途切れていることに気づく。

 そこは未来の終着点であり、それ以降物語は存在しない。

 つまり、その共同体は滅びてしまう。

 風域はその土地と一蓮托生いちれんたくしょうの関係にある。だからなんとかしてその流れを変えたいと思う。

 そのために存在するのがヤドリだ。

 ヤドリは、物語の中に隠れた〈事象の選択肢〉を見つけ出さなければならない。

 そして正しい選択を行わなければならない。

 陸路で行くか、水路で行くか。

 飢えている犬を助けるか、放置するか。

 王女を愛するか、魔女を愛するか。

 地雷原を進むか、一人で千騎と戦うか。

 人を殺めるか、逃すか。

 もし、ヤドリがその職務を放棄した場合は。

 川は、流れやすい方へ——崖のあるほうへ流れていく。


 ソイユがヤドリの使命に大きく関わっていることは間違いない。しかし、そのことを彼女に伝えても重荷になるだけだ。

 自分の存在が街の命運を左右し得る。

 日常的にそれを意識してしまえば、普通の精神状態ではいられない。

 ルカはソイユをキッツに任せ、一人で墓地を訪れた。丘に近づいていくとオルトラの音を聞きつけたのか、番犬がこちらに向かって走ってくる。

 ——名前は、確かタッカスだったかな。

 番犬の吠える声を聞き、小屋から墓守の老人が出てきた。足取りは重く、空模様を気にしている。

 雲は少しあるが、良い天気だった。

「おや……変わりものの旅人かの」

「ははは。否定はしないけど。今日はちょっと話したいことがあってね」

 オルトラを停めて降りようとすると、赤毛の犬はルカには目もくれず丘を登っていく。獲物を見つけた猟犬の激しい吠え方だった。

 墓守とルカがその行く先を目で追う。丘の頂点近いところに、人がいた。ロングコートを着ているその男は、犬の姿を認めると慌てて下っている丘の奥の方へ走って消える。

「あれは——」

 ルカはオルトラのアクセルを全開にし、丘を駆け上がる。

 頂点に達したところで見下ろすと、さっきの男がオルトラに乗って走り出そうとしていた。

「待ってくれ! 話がしたい!」

 男はその緑の瞳で一瞥した後、東へハンドルを切る。ルカも後を追った。

 丘の反対側——墓石のない一帯を二台のオルトラはまっすぐに進む。やがて深い森に入ると男は何度も方向を変え、道なき道を行くが、ルカも必死にそれに食いついた。

 この森は明るい森と違って植生が豊かだ。根元から度々枝分かれしながら伸びている幹もあれば、他の木の樹冠から垂れている簾のような植物もある。日が当たらないために背の低い植物はほとんどなく、地上近くは苔や茸類が反映していた。

 時折羽虫が顔にぶつかり、目を瞑ってしまう。男はそれさえも計算しているかのように、タイミング良く巨木の裏に隠れながら姿を眩まそうとしていた。

 それでもルカはオルトラのヘッドランプを点け、男の背中を追い続けた。

 森の中に突然、横に長く延びた石壁が現れる。とてもじゃないが人が超えられる高さではない。男はその壁に突っ込むように進み、屈めばぎりぎり通れるほどの壁穴を抜けて奥へ走った。

 ルカも迷いなく同じ穴を抜ける。

 男はその行動を予想していなかったらしく、振り返った途端目を剥いていた。

 オルトラの運転は明らかに男のほうが上手い。ルカは男の動きを先読みしながら、わずかでも短い距離を選ぶことでどうにか同じ距離を保っている。

 —―このままじゃ埒があかない。

 何か手はないかと考えていたところ、また景色が少し変わった。正面で森が途切れている。男は目立つ森の外には出たくないはずだ。右手には巨大な倒木——ルカはハンドルを切り、左から男のほうへ回り込んだ。

 これで逃げ場は奪った、とルカは思う。

 だが男は平然と森の外へ出て、自らオルトラを停めた。

 ルカも遅れて森を抜ける。

「まさかここまでついてくるとはな。自警団か?」

 男は余裕の表情で話す。

「俺が何をしたか知って追ってたのなら、これで同罪だ。お互い黙っておくことで手を打とう」

 しかしルカには男の言葉が届いていなかった。

 彼らが今いる場所は森の終点ではなく——むしろ森の中心で、不自然に植生が途切れているだけだ。周囲の巨木に囲まれて、円形に黒い大地が広がっている。その中央では三つの鉱物の幹がねじれて一本の大樹を形作り、空に伸びていく。天辺に至ると細い枝を幾重にも重ねながら外側に広がり、最終的には周囲のより高い巨木と絡まり合いながら森の一部になっていた。全体として噴水のようにも見える。そして、

「これは——」

 ルカは指で地面に触れる。

 あの黒い蛇の皮膚そのものだった。

「驚いたか。これは誰もが〈嘆きの泉〉だと思っているものだ。こんなところに湖はない」

 じゃあな、と去ろうとする男をルカは引き留める。

「これは何だ? あんたは知ってるのか」

 面倒臭そうに振り向いてから、男は初めてルカの顔をまともに見た。

「お前……見ない顔だな」

 空は網の目状の鉱物で覆われ、陽光が細い光線になって二人を照らしていた。

「一昨日ソイユのアパートにいた。あんたがこれを操って襲ったのか?」

 男が額に手を当て、笑う。

「俺はたまたまあの辺りをぶらついていただけだ。訳あって普段から目立たないようにしているから、怪しいと言われても弁明は出来ないが」

「これは何だ。化生石なのか?」

「さぁな」

 ルカは男の襟首を掴む。だが男が右腕を振り出す動作をしたのを見て、ばっと後ろに飛び退いた。

 男は間髪入れずに距離を詰め、左拳を突き出す。左、右、左。連続して三発、拳をルカは避けて反撃の蹴りを繰り出す。

 それを待っていた男は軽々と体を屈めて躱し、がら空きの横腹へ右フックを仕掛けた。

 ルカは左前腕で何とかそれを防いだが、体は横に大きく投げ出された。

 相当な筋力だ。

「すぐ足を使いたがるのは素人のやり方だ」

 男は両腕を前に構える。拳には青のグローブ。

「拳闘士か」

 男はルカが体を起こすのを待っていた。

「元拳闘士だ。俺はもう殴り合いには興味がない。帰らせてくれ」

「この泉のことを教えてくれたらね」

 立ち上がったルカは男と同じように両腕を前に構えた。

 興味がないと言いながらも、足を出さないルカとの戦いを男は楽しんでいるように見えた。時に嘲るようなステップを踏みながら、男は軽い拳で少しずつ削っていく。ガードが堅く、中々反撃のチャンスがない。

 ルカは防御に徹しながら、相手の拳の速度に目が慣れるのを待った。呼吸のリズム、瞳の動き、擦れる足——いくつかの特徴から男のくせを読み取る。やがて完全に見切った左ストレートを躱してカウンターを打った。顔面に強烈な一撃を受けるときに、男はそれを避けようともせず反対の右腕を伸ばして来た。ルカはかろうじてその軌道を逸れる。危うく左肩も使い物にならなくなるところだった。

「リトリテか。顔面が潰れても気にしないってわけだ」

「気にはするが、戦術の一つだ。お前、右肩はどうした」

 動きで怪我がわかったのか。ルカは答えなかった。

「ふん。一見すると華奢だが、よく鍛えてある。経験者か?」

「野良拳闘を少し、ね」

「冗談にもならない」

 再び男が仕掛ける。

 今度はあえて隙を作り、思ったタイミング、思った位置にルカが攻撃してくるよう男は仕向けた。そしてその攻撃をためらうことなく受ける。受けたとき、ルカの側にも必ず大きな隙が生まれる。それが男の狙いだった。男は自らお膳立てした相手の急所を的確に打とうとする。

 その意図がわかっているからこそどうにか処理できるものの、男は負傷したそばから傷を癒やしてしまうので、じりじりと削られていくルカのほうが圧倒的に不利な状況だった。

 男の動きに油断は見られない。だが、拳は明らかに力を八分ほどに抑えている。

「さっさと諦めてくれ。どうやってもお前は負ける」

 何か他の手を考えなければならない。ルカは相手との距離をそのままに、状況を再確認する。

 男は手ぶらだ。

 リトリテの多くはオーブを持ち歩く。

 だとすれば、彼の荷物はオルトラの中にあるに違いない。

 ルカは追い詰められるふりをして、黒い鉱石の地面と森との境界まで後退する。それからわざと一発打たれて地面に手をついた。

 体を支えた手でこっそり土を掴み、すぐに立ち上がって構える。

 男が踏み込んできたところでその顔に向け土を投げた。

「っつ——」

 目をこする男の脇を抜け、オルトラへ走る。

「糞が。雑魚の頭はこういうことにだけ働くんだ」

 思った通り、オルトラの座席下に設けた収納スペースにオーブが隠されていた。

 短刀は蛇に壊された。オーブを傷つけられる刃物は持っていない。

 はったりでやるしかない。

「オーブと情報の交換。これでどうだい?」

 男はルカの顔と、左手に載ったオーブを交互に見る。

「いいだろう。ただし、一つだけだ。あの石のことだな」

 ルカは頷く。

「あの石は化生石だ」

「黒い化生石はないと聞いてる」

「もう俺は答えた」

「屁理屈はなしだよ。どこまでが質問一なのか、決めるのは俺だ」

「嫌な性格だ」

 男は黒い鉱石に唾を吐く。

「黒い化生石はない。端的に言ってそれは嘘だ。だが、殆どの人間が事実だと信じている。そして、実際に墓地に黒い墓石が生まれることはあり得ない。

「そうじゃないこともあるってことか」

「見ての通りここにあるのは泉じゃない。変化した化生石だ。これは元々、ある人物の墓石だった。その男は昔、生きたまま化生石に包まれ土に埋められた」

 ルカは言葉を失う。

「黒い化生石は生者を埋葬したときにだけ生まれる。そして、その化生石は埋められた生者の声を聞きまるで生きているかのように自由に動き回ることが出来る。ずいぶん古い伝承だが、ここの男は埋められた後、化生石を操って埋めた男に復讐したとされる。そのときの名残が嘆きの泉だ。犯人の男はオーブも肉体も原型がわからないほど悲惨な状態で見つかった」

 男はルカのオルトラに腰を預ける。

「どうしてそんなことを知ってるんだい。ほとんど誰も、その事実を知らないんだろう」

「たまたまだ」

 周囲の木々がざわめきはじめる。夜が近づきはじめていた。

「それで、この中の男はまだ生きてるのか。一昨日の蛇は彼の仕業なのかな」

「まだ聞くのか?」

「質問二。一つだけという言葉に同意した覚えはないよ」

「お前、いつか痛い目に遭うぞ」

「もう何度も遭遇してる」

「ふん。嘆きの泉が再び動くことはあり得ない。この中のオーブと肉体はとっくに処分されているからだ」

 男が唐突に左手を突き出す。小さなボタンに親指を掛けていた。

「これを押せば俺のオルトラは吹き飛ぶ」

 ルカは冷静にその指を見つめた。起爆装置だ。

「自分の愛車に物騒な仕掛けをしたものだね。そんなことしたらオーブも壊れるよ」

「素人だな。オーブはこの程度では壊れない。痛むのはお前の体だけ。俺も色々と訳ありで、自己防衛が必要なんでね。オーブを元の場所に戻して、オルトラを離れろ」

 男が自分のオルトラに向かって歩き出す。ルカは言われた通り収納スペースにオーブを戻し、両手を挙げて少しずつそこを離れた。

「言っておくが、今聞いた話は誰にもするな。この森に入ること自体が禁忌きんきだ。バレたら即お尋ね者だ」

 オルトラに乗って走り出す時、男は何かを森の中に投げ入れた。

 追うためにルカが自分のオルトラに乗ると、鍵が抜き取られていた。

 男の姿は森の一部になって消える。綺麗な放物線を描いた鍵は幸い、羊歯の葉陰に落ちているのを見つけることができた。


 外はすっかり暗くなったが、白銀甲しろがねこうは飽きもせず鳴いている。

 ルカは森を出て墓石を一つ一つ見て回った。端から端まで、どこにも黒い墓石は存在しなかった。クエンは彼のそんな様子を怪訝けげんそうに見ていたものの、特別何か言うわけでもない。

 一段落した後で彼に招かれ、ルカは墓守小屋にいた。

 ルカとしても聞きたいことがあったので、ちょうど良い誘いだった。

「ずっとここで暮らしてるのかい」

 クエンの反応が遅く、聞こえていないのかと思った。

 実際は動作がのんびりとしているだけだ。

「生まれたときからずっとここじゃ。墓守は代々、この場所で暮らすことが決まっておる」

「世襲なんだね」

「本来はの。だが儂の息子は放蕩者でな。他のやり方を考えなければならん」

 小屋の中に置かれているオーブは、ソイユのものよりずっと青みがかっていて光が弱い。

「家を出たのかな」

「儂が勘当したんじゃよ。息子はもちろん、当時は儂も若かった。今は廃棄物プラントで働いとると人づてに聞いたの」

「呼び戻すのは——難しそうだね」

「手遅れじゃよ。初めはあいつもいつかは墓守に、とは考えていてくれたかもしれん。ただ、一度勘当されたとなれば別の道を考える。いつの間にか本当に戻って来れんくらいに、気持ちが離れてしもうたんじゃ」

 クエンは膝をさすっている。いつもはそこに犬がのっているのだ。

「赤毛の犬は散歩中かな」

「ここ数年、お気に入りの場所があっての。一人でそこに行っておるんじゃろう」

 クエンは引き出しから燻製にした木の実をいくつか皿に出し、机に置いた。鼻に抜ける香りが優しい。

 さて、どうやって切り出すべきだろう。さっきの男がどこまで信用できるかわからないが、わからないからこそ嘆きの泉の話をここで持ち出すのは得策ではないように思える。禁忌の程度がどれくらいかにもよるものの、街の人たちとの関係が悪化してしまえば、逆に蛇の正体から遠ざかる可能性が高い。

 ルカは森で聞いたことを一旦忘れて尋ねることにした。

「——一昨日の夜、女の子が襲われてるところに出くわしたんだ。その時襲ってきたのが黒い蛇のような生き物だったんだけど、知らないかな」

「黒い蛇、のう。そのような生き物は見たことはないが」

「その蛇は金属みたいに硬かったんだ。ここの墓石に使われてるっていう化生石が、似ているようにも思うんだけど。黒い化生石はある?」

「ない」

 間髪入れずにクエンは言う。

「長年墓守をやってきておるが、化生石が黒く変色するという例は一度もない。そもそも石が人を襲うなんておかしな話じゃ。あるとすれば未知の生き物なんじゃろう——例えば嘆きの泉の周辺なら、儂らの知らん生き物がいてもおかしくはない。あそこは毒に侵されとる」

 彼も泉の秘密は知らないのか。

「東の森には入っちゃいけないらしいね」

「入りたくても入れんよ。八百年前に壁を作って以来、あそこを人が訪れることはなくなった」

 だが今はその壁が壊されている。

 誰が壊したのだろう?

 老人の言う未知の生物か。もしくは、嘆きの泉が本当はまだ自分の力で動くことが出来たということか。しかし、どちらにしても黒い蛇は土の中をある程度自由に動けるはずだ。わざわざ壁を壊して街に出てくる必要はない。

 元拳闘士の男が侵入するために破壊したのだろうか。前にも来たことがあるようだから、正解に一番近そうだ。

 それとも、他に誰か先客がいた?

 何にせよこの老人に尋ねるべきことではない。

「じゃあ、化生石を蛇のように自由に動かす技術があったりしないかな?」

「それもない。今後も、絶対に生まれることはあり得ない」

 クエンの言葉には迷いがなかった。

「どうしてそう言えるんだい」

「化生石の加工は禁止されておる。あれを扱って良いのは儂ら墓守の一族だけなんじゃ」

 秘密の方法で、包む。

 ソイユが言っていたのはこのことなのか。

 クエンが続ける。

「化生石はリトリテが代々墓石を作るためだけに使用してきた、いわば神聖な石。他の凡庸な用途に使うようなものではないのじゃよ。イリ研究所の鉱石課でさえも、化生石の研究は禁じられておる。ここの墓石は儂と、先代と、そのまた先代と——代々の墓守が受け継いだ技によって作られてきた。化生石でオーブと肉体を包む技、それに使う溶剤は、決して外部に漏れてはならんものだと教わっておる。それで儂の後継者選びも苦慮しておるわけじゃが……」

 ルカは自分の影を見つめ、心を落ち着ける。

 元拳闘士の男は、生きたリトリテを化生石に包むことで黒くなると言った。

 だがそれが出来るのは一人しかいない。

 ここにいる墓守だ。

 この、宝石のような緑色の瞳を持った―—

 待てよ。

「もしかして、勘当した息子は拳闘をやってたんじゃないかな」

「おや、知っておったのか。恥ずかしい話じゃがの。ただひたすら暴力に明け暮れる、ひどい息子じゃった」

「拳闘士としてはどうだったんだい」

「優秀じゃったよ。無敗でリトリテ級のランキングを駆け上がっとった」

 クエンが唾を飲む。

「この話はもうやめにせんか。あまり、あいつのことは考えたくない。儂のオーブも弱っておるから、これ以上負担をかけたくないんじゃ」

「そうだね、ごめん」

「気にしなくとも良い」

 ルカは枕元のオーブの弱々しい光に胸を痛めた。

 息子であれば化生石の加工法も知っているだろう。

 だが、ここで別の問題がある。

 狙われたのがソイユだということだ。

 クエンやその息子が犯人なら、埋められた被害者は復讐のためにどちらかを狙うはずだ。

 今のところ蛇はそうしていない。ソイユが特別狙われる理由があるはずなのだ。

 もしソイユが生きたリトリテを埋めたとしたら?

 馬鹿馬鹿しい妄想だ。

 第一加工法を知らないのだから、できるはずもない。

 誰かが化生石で生きたリトリテを埋めたという考えが間違っているのだろうか。

 それとも、埋めた犯人じゃないにも関わらずソイユを狙うわけがあるのか。

 まだ、情報が足りない。

「どうしたんじゃ、渋い顔をして」

 ルカはゆっくりと首を左右に振った。

「そろそろ行くよ」

 彼が立ち上がると、入れ替わりにタッカスが自分で扉を開け小屋に入ってきた。

 クエンが言う。

「儂の息子——ツルデとまた会うことがあれば伝えてくれ。一度小屋に来い、と」

 もしかしたら。

 さっきの男は、父親に話があって墓地にいたのかもしれない、とルカは思った。

「それは爺さんから言うべき台詞だよ」

 この老人が、生者を地中に埋めるなどという非道を行うだろうか。

 ルカは小屋を離れ、ソイユのアパートに向かう。


 もう帰宅したかと思っていたが、アパート周辺にはまだ数人の調査隊員が残っていた。

「聞きたいんだけど」

 アパートの裏側は深く掘り起こされ、中で大男がシャベルを持ち黒い物体と睨み合っている。あの蛇の胴体だった。

「これは——地下でどこかに繋がっているのか?」

「そうだ。浅いが、水平に長く伸びているみたいだな。まったく先が見えない」

 方角で言えば北だが、途中でやや西に曲がっている。地中で自由に動けるのであれば、ここでの向きにさほど意味はない。

「ナバルは何か言ってたかい?」

「掘れ、掘り続けろ、と。無茶な話だ、みんな頑張ってくれてるが」

「他に何かヒントになりそうなものは見つかってる?」

「特に何も。この石の破片を研究所に渡してるから、その結果待ちってところだ。一週間くれと言われてる」

「長い待ち時間だね。教えてくれてありがとう」

 大男はシャベルを土に突き刺し、その柄を背もたれに腰を下ろした。

「あんた、例の旅の人だよな。女の子を助けてくれたとか。感謝するのはこっちのほうだ」

 アパートからは灯りが漏れている。騒動があった後も、ソイユ以外は普通に暮らしているのだ。

 ルカは穴を離れる。

 ナバルは石を解析させていることも、穴のことも教えてくれなかった。

 ——よそ者扱い、か。

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