宣旨
「――ッ、親父!」
息堰切って雪崩れ込んできた息子の姿に、嘴(はし)は眼を円くする。額に玉のような汗を流して、食堂へと切り込んできたのだ。全速力で足を動かし、何とか帰る前に父を捕まえることができた。喉は乾いているのに、吐き気が込み上がってくる。
「ど、どうした? やっぱり気が変わったか……?」
「そんな、ッ、呑気なもんじゃない!」
違うとは思いつつも、嘴は哢を少しからかってみる。肩で息をする倅(せがれ)を見ると、何とも不憫に思えてくるが、それを物ともしないくらいの一大事なのだろう。やはり勘は正しかった。もう頭を上げる気力も残っていないらしく、下を向いたまま一生懸命叫ぶ。
「朱雀だ! 誕生したんだ! 俺は、それを伝えないと――」
殺される、と言おうとしたが、もう舌が回らなかった。しかしそのときに喋らなくて良かったと思う。そこで宣言していたら、きっと朱雀はすぐに斃れていた。
膝から崩れ落ち、肩で地を突き、額を冷たい床に擦り付ける。その冷感が、とても涙を誘う。嬉しいのか悲しいのか、そのどちらでもなくきっと、やるせなさからだと直感した。
「哢! よくやった! 聞いたか、みんな!?」
嘴はへたり込む息子とは裏腹に、高揚を隠せなかった。いや、すでに隠すのは不可能と言えるだろう。哢が大声で訴えたせいで、朝食を買いに来たであろう客から鳳凰堂の店員まで、すべてにおいて驚愕の声を上げている。訝しむ声もあるようだが、大半が歓喜だ。それほどまでに朱雀は、皆に愛されている。
星長が忌々しめに一報を受け取ったのは、全ての民が朱雀の誕生を喜んでいる最中のことであった。もう誕生などしないと思っていた。神にも関わらず呪いの言葉を吐いた戒めで、もうきっと、新しい神は誕生しないのだと。そのときは身の毛もよだつ宣旨だったが、人を呪わば穴二つとはこのことだと、胸を撫で下ろしていた頃だったのに。
「信頼できるのか? 宣言を賜ったのは、街外れの少年らしいじゃないか」
「はっ! いま確認へと小官を向かわせております」
元気よく返事をした若い秘書は、鶏頭(けいとう)の意を汲み取るのに失敗したことを知らない。あの惨事を知る者は、たいてい官吏を辞職し密やかに口を噤んで暮らしているらしい。鶏頭ももう、他の者の行く先々は把握していなかった。ある者は気が病んだとか、ある者は自害したとか、風の噂で聞くのみ。それもこれも大して良い話ではない。
――どうせならもっと、儂の息のかかった者を行かせたかった。
鶏頭は口の中で一人言(ひとりご)ち、奥歯を噛み締める。軋んだ歯は柔らかく沈み、否応なく老いを感じさせた。あれから、歳次(さいじ)にして五が過ぎた。天から授かったとされる赤毛は、すっかり名残がない。先帝炎麗(えんり)が統べていた頃はふくよかだったが、いまは恐怖で枯れ枝のようだ。
ついに滅ぼされる。どうやってかは分からない。人々がこの星から、殲滅させられる。
「真偽が明らかになったら一番に儂に伝えろ。誰にも漏らすな、これは星の行く末を担う大事な情報だ」
しわがれた声で秘書――紅葉(もみじ)に吐き棄てる。これは鶏頭と同じ赤毛で、遠い親類に当たっていた。くせ毛のようで、まとめてはいるがあちこちから後れ毛が飛び出している。生きていれば、娘と同じ歳の頃。娘は、何をどう望んでいたのだろうか。
過去のことをいつまでも考えてもしようがない。そもそも鳴き声が聞こえないではないか。朱雀は、娘とともに死んだのだ。悲しい事故だった。鶏頭すら愛しい存在を亡くしたのに、逆恨みもいいところである。
鶏頭は目頭を揉み、これからの事態終息へと向けて脳を動かす。もちろん自分が善しとする報道にするためだ。真偽などどうでもいい。
ならば前言撤回だ。こちらから手を回す必要がある。
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