其は紅く燃揺る―――、 -緋色爆ずる-
猫島 肇
序
はじまりのはなし
世界の始まりを、ここに記そう。それがどんなに長く、辛く、儚い物語であっても。王は、安寧な命を求めただけ。時代を流浪し、その確かな眼で見据えてきた。そこに至るまでの道のりは、いったいどこから話せばいいのか。
いや、やはりここは誕生から。それが世界の王の始まりであるから。ふわりとした柔らかな風が通り抜ける、こことは違う、遠い惑星から。彼は誕生したのであった。
眼を開けると、薄い暗闇の中だった。上の方にぽっかりと光の口が開いている。燦々と恒星の爆光が降り注ぎ、眼に痛かった。鼻をひくつかせてみると、渋くて甘い果樹の香りがする。生きている匂いだ。身体の下には痛くないようにか、何かの植物の葉が敷かれてあった。身を起こしてみると、かさりと乾いた音がする。
穴からは暖かく湿った空気が入り込んでいる。少し動けば汗ばむ季節。しかし彼にとってはこれが心地いい。照り付けられた土や草木の香りと、活発に動く蟲の匂いを胸一杯に吸い込む。そうだ、ここは彼の故郷だ。
幼い眼を細めて感慨に浸る。不意に頭上から声が降った。
「お目覚めですか?」
女の声だ。産まれたての彼はその声の主を知らない。空を仰いだが、空洞の終わりが見えるだけだった。そこまで高くない天井。しかし誰も存在しない。
「お初に御眼にかかります。わたくしは杏(きょう)と申します」
再び声が降ってくる。若いが芯があり、悟りの深い尼僧のよう。だがやはり姿はない。思えば声はこの塒(ねぐら)から響いている。
「だぁれ……?」
少しおずおずと訊いてみる。名前は聞いたがそれ以上のことは分からない。敵愾心(てきがいしん)はないことは気付いていたが、それでも得体の知れない者に心は許されない。それは過去から染みついた防衛心からであった。
もちろん彼が産まれたのは、いまこの瞬間。彼に今日以前の記憶はない。記憶ではなく記録として、身体に残っている。彼はこの星の長として産まれたために、自らを守らねばならない。
「わたくしは貴方を見守るようにと、ここに植えられました。貴方の始祖からお力を貰い、種を蒔かれて以来、この星の全てを見ています」
「それは、どういうこと?」
仔は、興味深そうに訊き返す。眼を爛々と輝かせて言葉を促す。誕生したての幼子はこの声から――アンズの木から学ぶのだ。アンズは巨木となり、その体内の空洞に主を宿す。別の生命を作り出すわけではなく、先代の主が灰となり、次代がその灰からまた誕生するのだ。本来であればすぐさま灰の中から赤子が出でて王としての保護を受けるはずであった。しかし現主が身体を作るのに二十節気(せっき)ほどの時を費やしてしまったのだ。
もちろん杏とて、いままで灰をばら撒かないよう必死で守ってきた。幹自体は低いが枝葉は広大に拡がり雨風を凌いできた。その甲斐あって、やっと望んだ今日を手に入れたのだ。しばらく話していないはずなのに、やけに饒舌になる。
――どこから話そうか。この好奇心旺盛な小さな主神(しゅじん)には、まずご自身の役割から知っておいてもらわなければ。
「そうですね。では少し、お話をさせていただきましょう」
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