第81話 臣下としての通過儀礼

だせぇ、だっせぇ と言いながら、大声で笑い続けるアンコウ。


 ダッジもホルガも、まわりで様子をうかがっていた者たちも呆気にとられる。ひとしきり笑い続けたアンコウが、ようやく口を開く。


「大の男が泣くか、ふつう?ボクちゃん騎士になりたいのぉってか?」


「!テメェっ!アンコウオオオッ!」


 ひどく侮辱されたと感じたダッジは、飲んだ酒のせいではなく、顔を真っ赤に染めあげた。


「ブチ殺してやるっ!」

 ダッジが腰の剣に手を伸ばした。

 しかし、


ヒイュンッ!

「!ウグッ!」


 ダッジの剣は剣身の半分ほどまで引き抜いた時点で停止した。

 気がつけば、アンコウを睨みつけていたダッジの眼前に、アンコウの魔戦斧の穂先に取りつけられたスピアーヘッドの鋭く尖った先端がつきつけられていた。


「……やめとけ、ダッジ。もうあんたじゃ俺を殺せねぇよ」


 アンコウの顔から笑いは完全に消え、殺気のこもった目でダッジを見据えている。


「く、くそやろうがぁ」

「剣を鞘に戻せよ、ダッジ」


 その時、ダッジの横にいた奴隷のホルガも動きを見せる。アンコウを見、剣を引き抜こうとする。

 アンコウはそれを視界に入れているが、動じる気配はない。


「ホルガっ!やめろっ!」


 ダッジが鋭い口調でそのホルガの動きを制止する。主人の命令にホルガは従い、その動きを停止させた。


 シーン と静まりかえる空間。次に口を開いたのはアンコウだ。


「見損なったぜ、ダッジ。あんたはもうちょっとまともな判断ができる人間だと思ってたんだけどなぁ。騎士になろうが、王様になろうが、そいつの勝手だ。

 だけど、そんなもん力あってこそだろうが。いい年かました夢見るオッサンのその手の涙なんざぁ、気持ちが悪いだけだぜ。メシも酒もまずくなった」


「くっ」


 ダッジはおとなしく、引き抜きかけた剣をゆっくりと鞘に戻していき、両手をダランと垂れさげた。

 戦う意志はないということだろう。それを見て、アンコウもゆっくりと魔戦斧を引いていく。


 そしてアンコウは、テーブルの上においていたゴロツキどもから巻き上げた銭が入っている袋を取り上げ、自分のポケットの中に押し込む。

 次に、残っていた豚足をほお張り、それを酒で流し込むと、

「ごちそうさん」と言った。


 そしてアンコウは、そのまま御宿兼酒食処おやどけんしゅしょくどころ縞栗鼠亭しまりすていから、一人出て行ってしまった。



 縞栗鼠亭しまりすていを後にしたアンコウは、一人ひとり屋敷に向かって、帰りの道を歩いている。その足どりは重い。


「はぁーっ」

 と、何度もため息をついている。


「………ダッジのやつ、あんな弱い人間じゃなかったのに……いや、俺がもっと弱かったから、わからなかっただけなのか………」


 現実は厳しいとは知りながら、なんとも言えない嫌なものを見た思いで、アンコウの気持ちは晴れず、

 また 「はぁーっ」 と、ため息をついた。





 アンコウがグローソン公ハウルより、登城謁見の命令を受けたのは、イェルベンの街中で偶然ダッジと出会ってから、さらに一週間も過ぎてからだった。

 しかも、登城したアンコウが案内されたのは、城の奥部にあるハウルの私室。


 アンコウが案内を務めた侍従に、武器は預けなくていいのか と尋ねると、

「公爵様はその必要はないと仰せです」と言い、

「公爵様はごく一部の者しか私室に招かない アンコウ殿はその公爵様のご配慮に心より感謝し、その信頼に全力をもって応えねばなりません 」と、

 実に押しつけがましいことを堂々と言ってきた。


 それでも力なきアンコウには、ただ言われるがままに従い、ついて行くしかない。

 命にかかわる事でもない限り言われるがままに従う その覚悟はして、ここに来ていた。



 そして今、アンコウは案内されたハウルの私室にいた。

 その部屋は薄暗い照明で照らされており、その照明の中、御香の煙がくぐもっていた。実に、なんとも言えない甘い香りが部屋中に充満している。


(………なんなんだよ、これは)


 アンコウは用意されていた革張りの背もたれ付きの椅子に座っていた。

 そのアンコウの前方には、レースの天蓋付きの大きな寝台が置かれている。そして、主君となるグローソン公ハウルはそのベッドの上にいた。


 ハウルは、薄手の鮮やかな色使いのガウンを羽織っているが、前は止めておらず、完全にはだけている。赤いブーメラン型のパンツが目障りだ。


 そのハウルにうながされ、アンコウはサミワからローアグリフォンにさらわれた時からの一連の出来事を話した。

 アンコウがその話をしている間中、ハウルはいわおのような肉体を持つパンツ一枚の若者のももの上に頭をのせていた。

 そんなハウルを眼前にしても、アンコウは真面目な顔で話をつづけた。



「まぁ、大体聞いていた通りだな」

 ハウルはあまり興味なさげに言う。


 話を終えたアンコウは無言のまま椅子に座り、ハウルの言葉の続きを待つしかない。


 無駄な肉など一切ついていない筋肉美を誇る若者は、髪の毛を女性のように長く伸ばしており、ハウルは若者の腿の上に頭をのせたままで、その金色の長い髪を指でいじくっている。


「ラヴの髪は綺麗だな。なぁ、ラーニャ」


 大きな寝台の上には、ハウルとハウルに膝枕をしているラヴという若い男、それにもう一人、ラーニャと呼ばれた女性もいた。


 ラーニャという人間族の女の見た目は、どう見ても10代の半ばほど。

 スレンダーな体つき、胸のふくらみも実にささやかだが、天使のごとく美しい。

 その胸を隠している薄手の布は、煌めくような光沢があるものの、あきらかに透けている。


「はい、ハウル様。ラヴの髪の毛は美しゅうございます」


 ラーニャはそう言いながら、ハウルの口にチェリーのような果実を運んだ。


「フフフ、ラーニャ、お前の肌も綺麗だ」


 アンコウの眼前、豪奢で大きな寝台の上で、そんなやり取りがずっと繰り広げられている。


(……なんだよ、これっ……)

 内心ムカムカしながらも、アンコウは神妙な顔で控え続けるしかない。



 ウィンド王国 臣 グローソン公爵 ハウル・ミーハシ。

 貴族・豪族の生まれではなく、その出自は一般的には定かではない。ある地方豪族の娘と結婚し、ウィンド王国の一地域に、はじめてその名があがったのは、今から30年ほど昔。

 その後、約30年の彼の歴史はまさに戦いの歴史であり、戦い続けることで、領地を広げ、名を広め、今ではウィンド王家から正式に王国公爵の地位を認められている男でもある。

 また同時に、このハウルという男は実に享楽主義的なタイプの権力者でもあった。


 アンコウの目の前、ベッドの上で、二人の男女相手に淫卑な雰囲気を醸しだしている男の容貌は、20代前半ぐらいの美しい若者に見えるが、その実年齢はすでに50歳ぐらいになっているはずだ。


(いい年こいて、よくやるぜ)と思いながら、アンコウは心の底から早く帰りたいとも思っていた。



「………アンコウよ。お前、いくらかは強くなったようだな。どうだ、武人としてこのハウルに仕える気にはならないか?」


 ハウルは、小姓こしょうの男のももの上に頭をのせたままだ。

 アンコウはハウルにこうべを垂れ、ひざまづくことを受け入れた。しかし、彼の命令で、戦場いくさばに駆り出されるようなことは、ゼロとはいかなくても、なるべくしたくないと思っている。


(チッ、思い出ばなしのお相手じゃなかったのかよ)

「……申し訳ありませんが、そういうのはできれば……」


「かまわん、言いたいことを申せ。ただし口のききようには気をつけよ」

「はい………」


 アンコウは少し悩むが、いまさら多少言いたいことを言っても殺されるようなことにはならないだろうと、本音で話すことにした。

 また、このハウルという男はそういう態度のほうを好むだろうとも考えた。


「……できれば、領地の争いや権力の奪い合いで、戦場に引っ張り出されるのは勘弁してほしいと思っています」

「なぜだ、いくさで功を挙げれば、それ相応の褒賞は与えるぞ」

「……そういうのは趣味じゃない、としか言えないんですが」


 アンコウが以前と変わらないことを言うと、

 ハウルはおもしろくなさそうに、「フンッ」と鼻を鳴らした。


「まぁいい、では予定通り、お前には時折り私の暇つぶしの遊びに付き合ってもらう役目としよう」

 ハウルはそう言うと、少し何かを考えた後、

「ラヴ、確か今日は例の宴の日だったな」


「はい、ハウル様」


「よし、アンコウ、初仕事だ。今夜の宴に付き合え。我が家臣となった以上、本音はどうあれ、表には忠誠を誓ってもらう。今宵の宴への参加は、その通過儀礼を兼ねるものとする。では下がれ、アンコウ」


「えっ、あの」


 ハウルはそれ以上アンコウの意思を確かめることはせず、アンコウにむかって下がれと手を振った。

 と同時に、ハウルはラヴと口を吸い合いはじめたので、アンコウは 勘弁してくれ とばかりに、急いで部屋を出て行った。


 そして、そのあとアンコウは屋敷に戻ることを許されず、日が暮れるまでこの館にとどまり、そのままハウルが言っていた例の宴とやらに参加することになった。





「ではアンコウ様、こちらにお入り下さい」

「あ、ああ………」


 アンコウは薄闇の中、イェルベン城の敷地内にある 美しい外観の建物に連れて行かれ、侍女の案内を受けている。

 侍女が案内をするのはごく当たり前のことなのだが、アンコウは激しく戸惑っていた。なぜなら、その侍女は何も身にまとっていなかったからだ。


 胸も腹も尻も、全てがアンコウの目に見えている。ただ、頭にメイド帽をつけており、それのみが侍女の証となっている。

 アンコウが侍女たちに、何で裸なんだとたずねても、誰も何も答えてくれなかった。

 

 侍女が大きな扉をノックすると、内側から扉が、ギイギギィィィと、開いた。そしてアンコウは中へ。


「こ、ここは……」

「アンコウ様。宴の間は、さらにこの向こう側のホールになってございます」


 アンコウが今しがた入ってきた扉のほうを振り返ると、その扉を開けてくれたガタイのよい男たちも真っ裸で、真剣な顔つきで立っている。


 アンコウのほかにも先に来ている人たちがいて、男も女も誰も彼もがこの部屋で服を脱いで裸になり、部屋の奥にある ホールへと続く階段に向かって歩いていく。


(え……な、なんだここ)


「さぁ、アンコウ殿も早くお召し物を脱いでください。公爵様はすでに宴の間に来ておられます。今宵の宴はもう始まっておりますので」


「はあっ!?……」


 どうやらここは、そういうところなのだとアンコウは理解した。

 そういうところが、どういうところなのかはイマイチわからないものの、アンコウはおとなしく服を脱いだ。脱ぐしかなかった。

 しかし、

(……嫌な予感しかしねぇ)


 すっぽんぽんになったアンコウは、引き続き裸の侍女に先導され、例の階段を上っていく。階段を上った先には一本道の廊下、その廊下の先には、さらに大きく華美な扉があった。


「さぁアンコウ様。存分にお楽しみを」

 侍女は満面の笑顔をアンコウに向けた。


 そして、その扉がアンコウの眼前で、ギイギイィィと開かれた。






 アンコウの目に飛び込んでくるまばゆい光。大きなホール中に、魔石を利用した照明器具が設置されている。

 それに、光源は魔具光だけではない。ホールを見下ろすアンコウの目に、ホールのあちらこちらで、祭りのように火が焚きあげられているのが見えた。

 室内のホールで火柱をあげるだけの十分な広さがある空間だ。


ギイイィィ と、アンコウの背後で扉が閉められる。


 今アンコウはホールの踊り場のようなところに立っており、目の前にはそのホールに下りていく階段があった。

 アンコウは、一歩一歩階段に近づいていく。進むにつれて、ホールの全景が見えてくる。


 壁にも柱にも緻密な彫刻が施されており、本来なら荘厳さのある美しいホールであるはずなのだが、アンコウの目に映る光景は異常と言うほかない。


「マジかよ………マジでこんなことやってんのかよ……」


 アンコウの目に映っている光景。

 裸の人たちが踊り狂っていた。男も女も、老いも若きも、音楽にあわせて踊り狂っている。その音楽を奏でている音楽団もまた、全裸である。


 踊る者たちの手には酒の杯、あちちこちらには満タンの酒樽が置かれている。裸で踊り、酒を浴びるように飲んでいる者たちが、何人も何人も何人もいた。


 絶句してその光景を眺めているアンコウの鼻に、強烈に甘美で刺激的な匂いが漂ってくる。

 おそらく大量の香木も焚きあげらており、数え切れないほどの御香の匂いが混じりあって、ホール中に充満していた。


「くそっ、これはただのお香じゃないな」


 アンコウは匂いの中にあきらかに幻惑系の草木の香りが混じっていることに気づいた。アンコウは精神集中を高め、それに飲まれることがないように備える。


 そして、ホールの中央あたり、少し周囲より高くなっている場所から、アンコウのほうを見ている者がいた。

 かなり距離は離れているが、今のアンコウには視認することができた。


「!」

 その存在に気がついたアンコウは、反射的にそちらにむかって頭をさげた。

 その人はグローソン公ハウルであった。


 ハウルはアンコウにむかって手招きをしている。こんなところに下りて行きたくないアンコウであったが、いまさらどうしようもない。

 アンコウはゆっくりと目の前の階段を下りはじめた。


「……ちくしょう……マジかよ」


 ふつうではない光景はまだ続く。ホールのあちこちに、ベッドのような長方形の台座が置かれている。その全てに全裸で絡まり合う人の姿が見えている。

 男と女、男と男、女と女、複数人が団子のごとく固まっているところもある。台座の上だけではなく、床のそこら中で同じような光景が見られた。


 大音量の楽器の音に、騒ぎ喚く声、そして、獣の嬌声、わけがわからない音の嵐だ。


 アンコウは元の世界でも、こちらの世界でも、この手のパーティーに参加したことはない。それがいきなり最大級のこれだ。

 アンコウには、この空間は狂態狂楽狂錯きょうたいきょうらくきょうさく坩堝るつぼにしか見えない。


「……マジかよ、何の邪教徒の集まりだよ」


 アンコウは階段を下り、その『イカれ乱パ』の中をハウルがいる中央付近目指して歩いていく。

 そしてアンコウが、敷かれている毛の長い絨毯の上を歩いていると、

ガッ! と、いきなりアンコウの肩をつかむ者がいた。


「なっ、なんだっ」 思わず、ビクリッ としたアンコウが振り返る。


 するとそこには、全裸で中年太りの金髪バーコード頭の男が立っていた。じっとアンコウを見つめる その男の目は、トロンと濁っている。


「なっ、何だお前っ」


 その男からは抗魔の力は感じられない。ただの中年男だ、いや、ただの中年男とは言えない。

 アンコウはも言われぬ恐ろしさをその男に感じていた。


 その全裸の中年太りの金髪バーコード頭の男は、凄むアンコウにまったく怯えを見せず、アンコウの目を見ながら、右手人差し指をおもむろに天に突き上げるポーズをとった。そして、左手は腰に。


 アンコウは何をする気だと息を飲む。すると男は大声で叫んだのだ。


「イエェェェェーーイッ!」 と。


「!!っ…………………………」

 アンコウは言葉も出ない。すると男は、


「イエェェェェーーイイッ!」

と、また言った。


 そして、そのポーズを決めたまま、トロンとした濁った目でアンコウをじっと見つめる。男は見つめつづけた。

 あきらかにこのポッコリおなかのバーコードは、お前もやれオーラを出している。


「うぐっ」


 アンコウは仕方がなく、男と同じように右人差し指を天に突き出し、左手を腰にポーズを決める。

 そして、アンコウは、

「イ、イエエ~~イ」 と言った。


 すると、全裸の中年太りの金髪バーコード頭の男は、大きく頷きながらポッコリおなかを波打たせ、無言のままアンコウの前から立ち去っていった。


(なっ、なんなんだよっっ!!)


 この空間は、アンコウの理解を超えていた。

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