第55話 怒れる中級豚鬼将
「うきいぃぃぃーーっ!!」
アンコウの口から、甲高い悲鳴があがる。
うきいいぃぃっと、叫びつづけるアンコウの口から、そのうち白い泡が吹き出し始め、目が白目を剥きはじめた。
「アッ、アアッ…………(ヤバイ…い、意識がとぶぅぅ)」
アンコウが白目の向こうに、そろそろ三途の川の景色を見はじめた頃、まだ交互に見えている
「アンコウをっ離せえぇーーッ!!」
カルミだ。カルミは、オークのぶっとい毛むくじゃらの太ももにとびかかり、その太ももに突き刺さっていた自分のメイスを一気に引き抜いた。
「ブモモオォォッ!」
太ももに強い痛みを感じたオークが悲鳴をあげる。
「うきいぃぃぃーっ!」
そして、もうひとつの悲鳴。
オークは太ももに痛みを感じると同時に、反射的にアンコウを握る手にも力がこもった。
アンコウは悲鳴をあげながら、体をビクつかせている。
(は、離してええぇぇぇ)
メイスを取り戻したカルミは、助走をつけるように走り出した。
そして、
「アンコウをっ
………離せええええっ!こいつめえぇぇっ!」
カルミは叫びながら、メイスを豪快に振りあげ、大きく飛び上る。
「カ、カルミ、この、豚の手をぶったたけぇぇ!」
アンコウは、一刻も早くこの豚の手の中から逃れたい一心だ。
しかし、カルミが飛び上がっている場所では、自分を捕まえているオークの手には届かないことも瞬時に理解するアンコウ。
でも、
(カルミのメイスは、俺を捕まえている豚の手にはとどかない、でも、豚肩にだったらギリギリとどくっ)
アンコウは混濁する意識の中、渾身の力をふりしぼり、もう一度叫ぶ。
「クゥアルミぃぃっ!こいつの肩を叩けぇぇぇッ!」
アンコウの叫び声が、何とかのどの奥から搾り出された。
しかし、少し遅い。カルミの耳に、アンコウのその声はとどいたが、カルミのメイスはすでに振り落とされはじめていた。
「やああぁぁーーっ!!」
カルミのメイスが振り落とされはじめた先、それはオークの豚頭の脳天。
頑丈にできているオークの体の中でも、オークの頭が特に硬いことは広く知られている。
(頭はだめだっ、カルミっ)
ガゴォォォオオオオンンッ!
カルミのメイスが、オークの頭に振り落とされた瞬間、凄まじい音が響いた。
カルミの全力の一撃だ。効かないわけはない。
「グゥモモオォォーッ!」
オークの苦痛の叫びが響く。
ただ、オークの頭はあまりに硬い。その脳天の痛みに、オークはさらに怒りを燃やした。
「ブブブモモオオォォォッ!」
オークは怒りの叫びを上げながら、カルミにむかって
「ヒイィィィッ、や、やめえぇぇーー」
叫ぶアンコウの顔は、信じられないぐらい引き攣っている。
カルミは、そのオークのアンコウ入り拳を軽やかに避けた。オークの動きは、先ほどよりあきらかに鈍くなってきている。
カルミに、あっさりと攻撃をかわされたことに腹が立ったのか、オークは鼻息荒く再び叫んだ。
「!ブホモオオォォッ!」
「あっ!」 と、声を漏らすカルミ。
オークは地に伏したまま、右手を大きく横に振りかぶり、地を這うようなアンダースローで、カルミめがけてアンコウを投げつけたのだ。
ビイィィィユウゥンッ!
剛速球。ボールはアンコウ。
(!ひいぃぃぃぃっ!)
凄まじい風圧で、アンコウは叫び声も出せない。
カルミはとっさに飛んできたアンコウボールをギリギリ避ける。
とてもじゃないが、アンコウを受け止める余裕はなかった。
「アンコウッ!」
カルミにかわされた後も、アンコウの速度は落ちない。アンコウはこんなザマになっても、まだその右手に例の呪いの魔剣をしっかりと握っていた。
アンコウもあきらめてはいない。アンコウはとっさに魔剣との共鳴度合いを再度引き上げる。
「がああぁぁぁーっ!」
アンコウの眼前に岩壁が迫る。
ドゴオオォォォンッ!
アンコウは速度が落ちることなく、岩壁に激突。爆ぜた岩壁が周囲に散らばった。
「…アガ……あが…アガガ……」
崩れた岩の塊と共に、アンコウは地面に倒れている。
「ア、アンコーゥっ!」
カルミが、それを見て叫んだ。
「このおぉっ!よくもアンコウを!」
カルミは
カルミはメイスを握る手に力を籠め、激しく地を蹴り、オークにむかって突撃した。
オークは進行する魔素濃度の薄さに対する不適応症状とカルミのメイスによる攻撃により、完全に足がおぼつかなくなってきている。
それでも自分に迫るカルミに対して、攻撃せんと手を伸ばす。
「ブホオォッ!」
しかし、そのカルミを大きな手で叩き潰さんという攻撃はカルミに当たることなく、虚しく地面をたたく。
ドオォンッ!
オークの手によるハエタタキのような攻撃をかわし、カルミは再び飛び上がった。
「やああぁぁーっ!」
飛びあがりながら、メイスを握るカルミの狙うは、オークの肩だ。
(アンコウが肩をねらえって、さっき言った)
さっきはタイミング遅く間に合わなかったが、アンコウが肩を叩けといった言葉はカルミに耳にとどいていた。
この三日間のアンコウとの共闘を通じて、カルミはアンコウの指示にかなりの信頼を持つようになってる。
実際には、アンコウは自分に都合のよい指示を出していただけなのだが、カルミの実力により、結果的に敵をうまい具合に倒し続けることができ、子どもなカルミは、それはアンコウの指示どおりに闘ったからだと理解してしまっていた。
アンコウが、カルミにオークの肩をたたけと言ったのは、オークの手に捕らえられていた自分が解放されたかったからでしかなく、すでにオークにブン投げられて、岩壁にぶつかり済みのアンコウとしては、いまさらカルミがオークのどこを攻撃しようがどうでもよい。
しかし、そんなことは知らないカルミは、アンコウの指示に従ってオークの肩を狙い続ける。
ドォガァッン!
カルミのメイスが、オークの右肩を強打する。
「ブモオォォーッ!」
効いた。怒りに狂うカルミの一撃は、あきらかに先ほどよりも威力が増している。
オークは苦痛に悶えながらも、今度は左腕を大きく上にあげ、地面に着地したカルミを狙う。
オークの左腕が唸りをあげながら、高所から小さなカルミめがけて振り下ろされる。
「肩っ!!」
カルミは逃げることなく、オークにむかって再び飛びあがる。
「かたカタかたぁ、かぁたあぁぁっ!」
紙一重で、オークの手の平をすり抜け、完全にカウンターの形でカルミの一撃が、今度はオークの左肩にきれいに入った。
ドォガアアァッ!
「ブゥフモオォォーッ!!」
さっきより大きいオークの苦痛の声があがる。
完全にカウンターで入ったカルミのオークの左肩への一撃は、オークの左肩の肉を裂き、筋肉を断裂させ、間違いなく骨にまでダメージを与えた。
痛みと怒りに狂うオークは、必死に立ち上がろうとする。
しかし、上半身は何とか持ち上がるものの、生まれたての子鹿のようにひざが笑っている。足に思うように力が入らないようだ。
「かぁたあぁぁっ!」
オークの体を駆けあがるようにカルミは突進し、今度はオークの右肩を狙う。
ドォンッ! バゴオォッ! ドオォガァッ!・・・・・・・・・・・・・!
カルミはアンコウの指示に従い、抵抗する力を失いつつあるオークの右肩をブッ叩きつづけた。
そして、
ドザァンッ!
……オークの右腕が地に落ちた。
ブモモォォ~~!!! と、オークの絶叫が響き、大量の血が吹き出る。
上半身が揺れ、ゆっくりと地に倒れそうになるオークに、再び飛びあがったカルミが、容赦なく全力でメイスを振り下ろす。
メエェギイィィィッ!
カルミの強烈なメイスによる一撃が、
オークの体が、ゆらあぁりと、なぎ倒された大木のように崩れゆく。
そして、崩れゆくオークの目から命の光が消えていく。
オークの豚鼻からは噴水のごとく鼻血が噴き出し、その大量な鼻血は放物線を描き、宙を舞う。
とっさに魔剣との共鳴を高め、肉体の強化を図ったことが功を奏し、まだ体は思うように動かないものの、アンコウはそれほどのダメージは受けていないようだ。
クルクル回り過ぎて、バカになっていた三半規管も元に戻っている。
「く、くそぉぉ、どうなった、オークとカルミはっ」
アンコウは戦況を確認しようと顔をあげる。しかし、顔をあげたアンコウの視界前方は、押し寄せる真っ赤な何かでいっぱいになり、何も見えない。
その赤がなんなのか、アンコウにはとっさに判断できなかった。
そのアンコウにむかって迫ってきていた赤いものは、カルミに豚鼻をブッ叩かれて噴き出したオークの鼻血だ。
「!へっ!」
ジャバアアァァアアーー!
アンコウは、放物線を描いて飛んできたオークの鼻血にのまれた。
「!!っっっ~~~!!」
ドオォザアァンッ!!!
オークは地に倒れ、仰向けのまま動かなくなる。
鼻と腕から流れ出つづける血で、オークのまわりに、あっという間に血の池ができた。
「………うそ……あの
まだ地面に尻もちをつきながら、動かなくなったオークを呆然と凝視しているのはナナーシュだ。
そして、そのナナーシュが見つめる倒れたオークの近くには、
ゼェゼェゼェと、肩で激しく息をしながら立っている童女がいた。
(ハッ!)
「 カ、カルミっ!!」
ナナーシュに大きな怪我はない。ナナーシュは大きな声でカルミの名を呼び、急いで立ち上がろうとした。
その時、
------ ナナーシュさまっ
ナナーシュは、遠くから自分の名を呼ぶ声を聞いた。
ナナーシュが、声が聞こえたほうを見ると、ものすごいスピードでこちらのほうに駆け寄る人の姿がみえた。
(!あれは………!)
「ボルファスっ!!」
ナナーシュは、少し安堵したような表情を浮かべて、駆け寄る者の名を呼んだ。
□
「では、ナナーシュ様はこの者達にお命を助けられたと」
ボルファスの言葉に、「ええ」と、ナナーシュは
ボルファスは、ナナーシュに付き従う者らしい。
身長は160センチに満たないだろう。分厚い肉に覆われたダルマのような体。頬からあごを覆うような立派なヒゲ。
実践向きではあるが細かな彫刻も施された鎧を身につけ、腰には太い剣を差している。魔力を纏うその剣は、おそらく相当な力を秘めた魔法剣。
その所作態度からも察するに、間違いなく高い地位にある者だろう。その男がナナーシュを目上の者として扱っている。
それにボルファス以外にも、ナナーシュを取り囲むように、五人の武装した者たちの姿があった。そして、その全員がドワーフだ。
「……ナナーシュ様、本当にお三人だけで、この
ドワーフの中年戦士ボルファスは、鋭い目をオークの死体に向けながらナナーシュに聞く。
「え、ええ。私も闘いに参加したけど、そのオークに直接ダメージを与えたのは、そこにいる二人よ。その二人がいなかったら、私は死んでいたわ」
ボルファスはちらりとナナーシュに目をむけた後、また直ぐ、オークの死体に目を戻す。
(
ボルファスは、ナナーシュから簡単な状況説明はすでにうけており、どうやらこのオークは、この階層の魔素濃度に対し、不適応症状を起こしていたと認識していた。
しかし、目の前で死んでいるオークは、自身の血の海の中に沈んでおり、魔素濃度不適応症状によって息絶えたのではないことはあきらかだ。
(しかも、この傷は………)
「精霊法術による攻撃ではないな」
ボルファスが、誰に言うでもなく呟いた言葉に、ナナーシュが反応する。
「ええ、カルミもアンコウも精霊法術は使っていないわ」
「………なるほど、それなりの
ボルファスは顔には出さないものの、内心本当にあの二人だけでと驚いていた。
ボルファスは、また少し考え込む。目の前にこのオークの死体がなければ、たとえナナーシュの言葉であっても、ボルファスはにわかには信じられなかっただろう。
「カルミっ、ほんとに大丈夫?」
ナナーシュがカルミに近づき、カルミの身を案じて、声をかける。
背の高さはナナーシュとさほど変わらないカルミが、だいじょうぶと
その二人のやり取りを、ボルファスは口を挟むことなく聞いている。
(……子供だ。ドワーフの血は混じっているようだが、ナナーシュ様よりも、かなり幼いのではないか)
ボルファスの目にカルミの外見は、完全に子供にしか見えない。
しかし、
(本当に見た目どおりの年の子供だとしたら、このカルミという娘、末恐ろしいの)
ドワーフの中年戦士ボルファスは、カルミを見て、少し背中に冷たいものを感じた。
(………それにもう一人か)
「お、お~いっ!お、俺にも、癒しの精霊法術をかけてくれっ!体中が痛いんだよ」
少し離れたところにいたアンコウが、そう言いながら近づいてくる。
「ちょっ、近づかないでよっ!アンコウ!」
ナナーシュがアンコウに言い放つ。
「なっ、なんだとっ!俺も助けてやっただろうがっ!」
カルミはすでに癒しの精霊法術を受けており、かなり高級そうな回復ポーションも貰い、今、アンコウの目の前で、それをゴクゴク飲んでいる。
「おいっ、カルミっ。俺にも、その高級なやつ飲ませてくれっ」
アンコウがカルミに近づこうとすると、カルミがその分逃げていく。
「なっ!逃げるなカルミっ!俺たちは仲間だろう!」
「アンコウ臭いよ」
カルミはアンコウを見ながら鼻をつまむ。
オークの鼻血を浴びたアンコウは、今の頭のテッペンから爪先まで真っ赤に染まっており、ポトポトと、血を滴らせているのだ。
そして、オークの血というのは、かなりの臭気がある。
今、ナナーシュたちやカルミはオークの死体の風上に立っている。それは大量に噴き出したオークの血の臭気を避けるためでもあった。
そのオークの血溜まりから出てきたアンコウは、猛烈に臭い人になっていた。
「し、仕方ないだろうっ!血が空から降ってきたんだよっ!」
「とにかく、それ以上近づかないでっ!」
ナナーシュはそう言うと、手に持った高級そうな色をしたポーション瓶をアンコウにむかって投げ渡した。
「お、おわっ!」
アンコウはその瓶を慌てて受け取る。
「お。おいっ!命の恩人を何だと思ってんだっ!」
ナナーシュは眉をしかめて、臭い血塗れアンコウを見ている。
ナナーシュは、確かにアンコウに命を助けてもらった。だけど同時に、アンコウに対しては、そこそこの不信感も持っていた。
ナナーシュが、自分に不信感を持っていることはアンコウも察しがついている。その理由に、大いに心当たりがあるからだ。
それにアンコウは、突然現れたボルファスたちの装備やナナーシュに対する態度を見て、自分が思っていたよりもナナーシュは大物なんじゃないかと思い始めていた。
(……ちょっとまずかったか)
「お、おいっ、お譲様っ。オークを倒したのは、俺の計算どおりだったんだぞっ」
(ウソつけっっ!!)と、ナナーシュは思うが、カルミが純粋な目をして、
オオーッと、感嘆しているのを見ると、声に出してそれを言うことはできなかった。
□
「ナナーシュ様、三つしかない
「ええ、アレをなくすわけにはいかないもの」
「それに………この件に関して、里に戻った後、ナナーシュ様にお話があります。わしだけでなく、多くの者たちが、ナナーシュ様の心配をして館で待っておりますぞ」
ボルファスのナナーシュを見る目が、威圧的な凄みをおびる。
「え、ええっと、ええっと……み、みんなも仕事があるだろうし、」
ナナーシュの目が泳ぎまくっている。
「お役目をサボり、逃げた挙句に、
「………は、はい………」
どうやらナナーシュは、里とやらに帰れば、複数人によるお説教が待っているらしい。
「あ、あのっ!」
その会話にアンコウが割って入る。
アンコウは、あまり臭わなくなっている。
ここに駆けつけてきた者たちの中にいた水の精霊法術を使える者に、アンコウは頭の上から水の塊を何度か落としてもらって、オークの血をきれいに洗い流してもらっていた。
「俺たちもこの迷宮から出たいんだ。出口が見つからなくてさ、俺たちも連れて行ってくれないか」
「ええ、カルミとあなたには、オークから助けてもらったわ。あなたたちを私の名で里に招待します」
そのナナーシュの言葉を聞いて、アンコウは胸をなでおろした。
(いろいろ大誤算だったけど、とりあえず、この迷宮で死ぬことはなくなった。助かったぁ)
ナナーシュはカルミのほうに近づき、アンコウの時とは違い親しげな笑みを浮かべて、カルミにも里に招待する旨の言葉を告げる。
「カルミ、本当にありがとう。感謝してるわ」
アンコウは、俺に対する態度とはえらい違いだなと思うが、ここから出られるんだったらどうでもいいことだと、そんなナナーシュの態度など気にはしない。
「カルミ、あなたも半分ドワーフ族なのよね。それにあなたは、すでに閉じられている
あれを開けられたのなら、あなたも太祖オゴナルの力の流れを汲む者のひとり。……ふふっ、後で説明してあげるわ。カルミ、あなたをドワーフの古里、母なる都市ワン‐ロンに招待するわ。
ワン‐ロンの統治者ナナーシュ・ド・ワン‐ロンの名においてね」
そう言われても、カルミにはよくわからなかったようで、首をひねりながら、
「ナナーシュの家に遊びに来いってこと?」
と言った。
「ふふっ、そうよ、カルミ。遊びに来てくれる?」
カルミの顔が、パアァと明るくなる。
「うん!いくよ!やったぁぁっ!」
一方、目を剥き、固まっているアンコウ。
(ナ、ナナーシュのやつ、い、今なんて言った)
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