第46話 カルミ VS 一つ目の大猿

 アンコウは人と接するのを避けるため、わざと問題ない程度の薄い魔素が漂う地域を選び移動していた。

 時々、魔獣が飛び出してくるような鬱蒼うっそうとした木々に囲まれた森の道を追っ手の目を避けるために歩きつづけていれば、気持ちが暗く重くならないわけがない。


 人目を避けるためにこんなところを歩いているにもかかわらず、アンコウは先ほどから大声で歌いながら森の道を歩いている。アンコウは気が滅入り過ぎてどうしようもなく、やけくそ気味に歌い続けていた。

 そうしていれば、わずかながらだが気持ちが軽くなる気がした。


 しかし、やけっぱっちに歌いながらも、アンコウは、イサラス山脈の峰々も徐々に大きく見えてきた今、あの山脈を越えるための情報を集める必要があると考えていた。


(とりあえず、一時的にでも魔素の森を出て、人の集落を探す必要があるな)


 さてどうするかと、アンコウは歌うのをやめ、再びあれこれ考えながら歩く。

 しかし、如何いかんせんアンコウも初めて来る土地である。

 情報が少なすぎる現状、選択肢が増えるわけでもなく、とりあえずはこのまま歩き続けるしかない。


 アンコウは苛立たしげに息を吐き出し、軽く眉をしかめる。


「くそっ。やっぱり無駄に考えたところで、ここまできたら歩くだけだ」


 そう吐き捨てるとアンコウは、今度は大きく息を吸い、再び大きな声で歌いはじめた。


♪ヨーデル ヨーデル ヨーレホッホッホー! ♪


 しかし、しばらくするとその歌いながら歩き続けるアンコウの歩みと歌声が、突然にピタリと止まる。

 なぜなら、歌う自分の声に別の者の歌声が重なったからだ。


「「♪ヨーデル ヨーデル ヨーレホッホッホー!! ♪」」

「!!なっ!!」


 その陽気で楽しげな歌に反して、物憂げで、やけっぱっちの表情だったアンコウの顔が、一瞬で冒険者の顔に変わる。


 ここに来るまでにアンコウは何度も低度の魔獣に襲われている。魔素の漂う森を歩いているのだから当然のことだ。

 だからアンコウは、馬鹿みたいに歌いながらも周囲への警戒は決して解いてはいなかった。


 それにアンコウは、気配を察知することに関しては、そこそこの自信がある。だからこそ、やけくそとはいえ馬鹿でかい声で歌っていられた。

 にもかかわらず、自分に近づいてくる者の気配をまったく感じることができなかった。突然、自分以外の者の歌声が、耳に響いたのだ。


 アンコウは、驚きにとらわれながらも、体はすばやく反応する。


 声はアンコウの背後から聞こえた。アンコウは前方に大きく飛び、腰の剣の柄を握り、声がしたほうを振り返る。振り返ったアンコウの目は鋭い。


「誰だっ!」

 アンコウは振り返ると同時に誰何すいかする。


 そして、アンコウの視界に映ったもの。アンコウは、別の驚きで目を大きく見開くことになる。


「なにっ!?」

 アンコウの目に小さな女の子が1人、映っていた。

(何だ!?あのアフロのガキは!?)


 アンコウの目に映っているのは、身長が120,30cmぐらいの人型の子供だった。しかしアンコウは最大限の警戒心を持って、その子供らしきものに対峙する。


 アンコウにしてみれば、突然現れたその子供はあまりに怪しすぎた。

 アンコウの常識で言っても、魔素が漂う森の中で、普通の子供がひとりでいるわけがない。たとえ、抗魔の力があっても、子をひとりで魔素の森でうろつかせる親はいないだろう。


 それに、自分がこの距離に近づかれるまで、その接近にまったく気がつかなかったこと自体が異常で、人型をした何らかの魔獣の類かもしれないと、とっさに考えていた。


(いずれにしても普通じゃない)


 アンコウの背中にわずかに汗が伝う。

 アンコウは、その子供らしきものをにらみつけ、腰を落とし、剣をいつでも抜けるように強く握って、戦闘体勢をとる。



 カルミは、表情にはまったく見せることはしなかったが、内心かなり焦っていた。

 寂しさのあまり警戒心も忘れ、考えなしに知らない人間の男の後ろをついて行ってしまった。


 そして、その人間が歌っている歌があまりに楽しそうで、思わず自分も歌ってしまった。

 そうすると、当然ながらその人間の男は、カルミが男の後ろについて行っていることに気づいてしまう。カルミは子供なのだ。


(……怒ってる?……怖い)


 自分の存在に気づいたその人間の男は、足を止め、歌うのも止め、こちらをにらみつけている。

 カルミも男をじっと見つめているが、どうしたらよいのかわからない。


 そしてカルミは、人間の男が剣の柄を今にも抜かんと握り、自分に向かって構えているのを見て、慌てて自分もメイスを握り、男の顔をにらむように見た。

 魔獣に襲われたときと同じように、カルミも戦闘体勢をとった。


 戦闘体勢をとったカルミを見るアンコウの顔が、先ほどとは違う驚愕の色に染まる。


(なんだっ!!!)


 目の前にいるアフロの子供のようなものが、アンコウに相対して武器に手を伸ばし身構えた。その瞬間、目の前にいるアフロのガキの雰囲気が一変した。


 その子供から発せられる覇気のようなものが、まっすぐにアンコウにぶつかってくる。

 その覇気の質から魔の者ではないようだとアンコウは感じたが、如何いかんせん、その子供のような者から発せられている覇気の強さが半端ではない。


(やばい!やっぱりコイツやばいもんだっ!)


 アンコウの顔や背中に流れる汗の量が急増した。


 一合も剣を打ち合わないうちに、たとえ魔剣との共鳴をなしても、この者とまともに戦えば、自分のほうが分が悪いことをアンコウは認めざるをえなかった。


「……何だ、お前」

 アンコウは汗をアゴからしたたらせながら問うが、カルミは答えない。


 そして、アンコウは気づく。この子供のような者が身につけている装備は実に実戦的な物で、おそらくコイツは戦いに慣れている。

 それにこのアフロの子供が握るメイスの柄のようなもの。見えているのは柄の部分だけで、それ以外の部分は剣でいう鞘のような役割をしているものにしまわれている。


(魔具の鞘か!?)

 それはいうなれば、折り畳みができる袋状のものにメイスを突っ込み、柄の部分だけ外に出して腰にぶら下げているのだ。

 それもまた、普通の子供が持てるようなものではない。


 それは、ドワーフの魔工匠であったカルミの死んだ祖父が、カルミにつくってくれたものだったのだが、当然そんなことはアンコウが知るよしもない。


 アンコウは目の前にいる子供に対して、どんどん警戒の度合いを高めていくが、剣を抜けば、自分がやられるかもしれないという恐怖から、身動きがとれなくなっていた。


 アンコウとカルミは、どちらからも動き出すことなく、互いに戦闘体勢を崩さないまま、しばらくのあいだにらみ合いが続いた。

 アンコウは強い緊張をいられながら、一瞬の隙も見せまいと踏ん張っていたが、ある程度の時間が過ぎてもカルミは動かない。


 そして、しばらく相手をにらみつけているうちにアンコウは、ふと気づく。


(………何だ?)


 目の前の子供は、強い警戒心を見せながらも、自分から襲いかかって来る素振りはない。

 そして、何となくではあるが、カルミの感情の動きの読み取りづらいわずかな表情の変化の中に、躊躇ためらいのようなものを感じとった。


 アンコウは何ともいえない違和感を感じはじめる。

(……コイツの覇気の強さは、間違いなくヤバイ。でも……)


 そういえばこのアフロのガキは、最初はただ歌っていただけだったし、自分に対して攻撃姿勢をとったのも、自分が身構えたのを見た後だったと、アンコウは思い至る。


「……とりあえず、魔の物ではないよな……」


 いつまでも、こんなにらみ合いを続けることはできないと思ったアンコウは、警戒心は解くことなく、ゆっくりと剣の柄から手を離す。

 そしてアンコウは、柄から手を離した右手をダラリと下にさげた。アンコウの額から汗が伝う。


 するとカルミは、わずかに首を傾げた後、アンコウの動きをなぞるようにメイスから手を離した。


 カルミがメイスから手を離したのを確認したアンコウは、自分の体からも発せられている覇気を意識的に抑え込んでいく。


 アンコウの体から相手を威圧するように出ていた波動は、カルミのものと違ってあきらかな殺気が混じっていた。

 それを消して見せたのは、あくまで表面上のパフォーマンスに過ぎないが、アンコウはそうすることによって自分には戦う意思がないことを見せ、相手の反応をうかがったのだ。


 一方カルミは、そんなに深く考えて行動しているわけではない。

 アンコウが歌っていたからつられて歌い、アンコウが剣を抜こうとしたから自分もメイスを握り、アンコウが剣から手を離したから自分も離した。


 アンコウがゆっくりとカルミの様子を見ながら、戦闘体勢を解いていったのに対し、カルミはアンコウが覇気を抑えるとあっさり自分も溢れる波動を内側に隠して見せた。


(……怒るの、やめた?)


(……このガキ、戦う気はないのか……)


 それでもアンコウはなかなか警戒を解くことはしない。

 カルミの素性を知らないアンコウにとって、目の前の子供が怪しすぎる存在であることに変わりはない。


 アンコウは剣から手を離し、外に発する覇気を抑え、ゆっくりと体を起こし、じっとカルミを見つめる。

 カルミも少し離れたところで、アンコウと同じように直立して立ち、じっとアンコウを見つめている。

 その状態がまたしばらく続く。


 そんな2人が立つ道の周りは、鬱蒼うっそうと茂った森の木々に囲まれている。森の木々が風に揺られて、サワサワザワザワと微かに奏でる音がアンコウの耳に流れ込んでくる。


(!?……何か来る)


 アンコウは森の中から、何か、いや複数の魔獣が自分たちのほうに向かって近づいてくる気配を察知した。

 しかし、アンコウは直立したまま動かず、表情も変えずにカルミのほうを見ている。カルミも同じく……。


「……チッ、こんな時に」

 アンコウが視線を上にむけてつぶやく。

「来たな」


バサッ!!

「グギアャー!!」

 生い茂る緑の木々の上部から、1匹の魔獣が飛び出してきた。


 人と変わらぬほどの背丈があり、全身茶色の毛で覆われている一つ目の大猿サイラアイモンキー

 1匹だけでは終わらない。木々を飛び移り、次々と猿の魔獣が飛び出してきた。


一つ目の大猿サイラアイモンキーか!」


 アンコウは剣を抜き放つが、その場から動かない。

 なぜなら次々に飛び出してくる一つ目の大猿は、アンコウのほうではなく、カルミのほうに飛びかかっていたからだ。


 アンコウもカルミも覇気は抑えている。ならば弱そうに見えるほうから狩るのが獣の習性だ。

 今にも大猿どもの獰猛な爪と牙が、カルミにとどこうとしている。


 アンコウは、どうやらカルミは自分に襲いかかってくる気はなさそうだが、かといってアンコウにカルミを助ける義理はない。

 逆に、カルミに襲いかかる一つ目の大猿サイラアイモンキーを見て、共にくたばってくれないものかと思った。


ドンッ!ドォンッ!

「「フギイィィー!!」」


 破裂音にも似た大きい音が2度したかと思ったら、2匹の一つ目大猿の頭が吹き飛んでいた。


「なっ!」

 その瞬間を見たアンコウの目が大きく見開く。


 カルミが振るったメイスが、2匹の大猿の頭をほぼ同時に吹き飛ばしていた。

 それを見た今にもカルミに襲いかかろうとしていた他の大猿たちが動きを止めた。


 その後も次々に森の中から飛び出してくる大猿たちだったが、今度はいきなり襲いかかることはせずに、警戒しつつ素早くカルミの周りを取り囲んでいく。


 大猿たちは、カルミの周りを取り囲みはしたが、カルミに再度攻撃を仕掛けるのは躊躇ためらっている。


 一方カルミは変わらず落ち着いたものだ。

 いまのアンコウにとっても、この大猿一匹の魔獣としての強さは、恐れるほどのものではない。

 それでも、まわりを自分よりも大きい何匹もの一つ目の大猿サイラアイモンキーに取り囲まれて、まったく動じる様子を見せない子供は普通ではない。


 そして、サルたちが躊躇ためらっているうちに、今度はカルミのほうが攻撃を仕掛けた。


ドンッ!ドォンッ!ドンッ!

 ギャー!、ギャー!、ギャー!と、大猿たちは大声をあげ、カルミのメイスに叩き潰されていく。


「な、何てガキだ」


 その光景を見ているアンコウの声が、驚愕で震える。

 その驚くアンコウの隙をつくように一匹の大猿がアンコウに襲いかかって来た。


「ちっ!」

 アンコウもうろたえることなく、襲いかかって来た大猿に剣を振るう。

 ザシュッ!

「ウキイィィーッ!」

 一つ目の大猿のアンコウのむかって伸ばした手が宙を舞う。


 アンコウは引き続き、2撃3撃と大猿を斬りつけ、アンコウに襲いかかって来た大猿は血溜まりに沈む。


 アンコウは、自分ひとりで戦っても、この一つ目の大猿サイラアイモンキー相手に命を落とすとは思わない。その程度の強さの魔獣だ。

 しかしそれでも、目の前で繰りひろげられるカルミの戦いぶりを見れば、自分がこのガキから感じていた脅威は、決して間違いではなかったと確信を持った。


 目の前で、まるで動かぬ卵を潰していくように、次々と一つ目の大猿サイラアイモンキーを屠っていくアフロのガキの強さの底は、あきらかに自分より深いとアンコウは認めざるをえなかった。


「ほんとに何なんだあのガキ……」


 アンコウは、カルミが一つ目の大猿サイラアイモンキーの相手をしている隙に逃げようかと、一瞬考えるがやめた。

 この大猿どもをこのガキが皆殺しにするまで、そう多くの時間が必要だとは思えなかったし、このガキが自分を追いかけてくれば間違いなく追いつかれる。


(どういうつもりで俺の後ろをつけてきたのかは知らないが、攻撃を仕掛けてはこなかったしな……話は通じるのか……)

 アンコウは頭の中で、損と得との打算のそろばんをはじき続ける。

(あのアフロのガキは、おそらくこのあたりの地理にも詳しい)


 アンコウは、カルミの中身がただの子供だということをまだ知らず、カルミに対する無駄な警戒と計算を続けている。


 難しい話ではあろうが、カルミを相手にするのなら、

 最初に “こんにちは、お嬢ちゃん。お歌が上手だね” が正解だったのだ。

 しかしこの状況でそのような対応をすることは、アンコウでなくとも無理な話というものだ。


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