――2――

一昨年の事件

 一昨年の夏、ここに高校の友人達と来たこの少女は、今年と同じようにこのバンガロー群に泊まり、バーベキューをするつもりだったそうだ。そのお友達グループの一人に瓦木紗綾という少女が居た。この話の主人公は、この瓦木かわらぎ紗綾さやという少女だそうで、私は親しみを込めて彼女のことを紗綾と呼んで行こうと思う。

 紗綾たちがこのバンガローを訪れた時、ここにはもう一組のグループが逗留していた。それは大学生で、男が二人、女が二人いたそうだ。無論この四人はそれぞれカップルになっていて、一組目を赤羽裕と間宮凛、二組目を倉吉泰と大庭翠。念のため断っておくが、これは仮名である。

 さて、紗綾たちが夜、バーベキューをすることになった。バーベキュー場は管理棟にほど近い河原にある。紗綾たちが材料をかかえてやってくると、その大学生グループは先にバーベキューを楽しんでいた。だから紗綾たちの始める頃には炭火も下火、楽しい時間ももうすぐ終わりの頃だったそうだ。

 しかしこの大学生たちのバーベキュー。メンバーが足りない。倉吉泰が欠けていた。後々三人による証言によると、倉吉泰、このバーベキューのくだりになって急に体調を崩してしまったのだ。それでも残りの三人はバーベキューを楽しんだようで、紗綾たちがバーベキューを始めた頃、赤羽裕は今私の座っているあたりでぼうっとしていて、間宮凛はバーベキューの後片付け、大庭翠は彼氏の様子を見に向こう岸、四号バンガローに向かっているところだった。

 一方紗綾達は炭に火をつけ、少しすればもうバーベキューに余念がない。このグループは女数人男一人と不釣り合いなもので、焼くのは男の仕事とし、残りはジュース片手に談笑していた。

 そんな喧騒が丁度途切れたところで、川の向こうのほうから、バシャッと何かが水に叩きつけられる音がした。

「何の音だろう? さーやん聞こえた?」

 紗綾の友人の一人、琴芝舞が言った。

「さあ、なんだろう、石でも落ちたのかな」

 聞き耳を立ててみるも、それ以降は何の音もしない。しかしそこにキラリと、向こう岸が光るのが見えた。

「今なんか、光った?」

 今度は紗綾が訊いた。すると今度は別の友人が言った。

「うん? どのへん?」

「いや、確かに光ったな。向こうの……あれはバンガローか?」

 ただ一人の男、黒崎隼がそう言って頷いた。

「ああ、そういえば向こうにもバンガローがあるんだっけ」

 舞がそう言っているところに、向こう岸から大庭翠が帰ってきた。

「ごめん、凛。あとはやるから」

「ああ、翠、どうだった? 泰くん、ちょっとはよくなったって?」

「ううん、まだ辛そうで。もうちょっと寝てるって」

「ふぅん。もうちょっと傍にいてあげた方が良かったんじゃない? ほら、あのバンガローなんかいわくつきなんでしょ? 泰くんああみえて怖がりじゃん。一緒にいてあげなくていいの?」

「そんないわくなんて嘘よ。田舎の人が迷信深いだけ。そんなことより後片付けしないと。凛に任せっぱなしは悪いし」

「そんなこと言ったらあいつはいったいどうなるよ。おぅい、裕君。ちょっとは手伝えってば」

 裕君、と名前を呼ばれて、一人土手に座っていた赤羽裕はのっそりと腰を上げ、いかにも面倒くさそうにひょこひょこと河原に降りてきた。

「なんだよ、大声出すなよ。そりゃ頼まれりゃやってやるのにさ」

「なにさ、言わなくても手伝ってよ」

 と、間宮凛は不満たらたらである。

「非協力的な彼氏って大変だね」

 大庭翠がからかうと赤羽裕は苦笑した。

「その言い方はないだろ。ま、悪かったな、ほら、やるから」

 そう取ってつけたような詫び文を入れ、しぶしぶ後片づけに加わった。

 そんな寸劇に耳を傾けていたのは紗綾一人だけで、あとの人は水の音や対岸の光のことは忘れて、再びバーベキューに専念していたという。


 バーベキューも終わると、紗綾たちは自分が炭火臭くなっていることに気がついた。それでお風呂に行くことにした。黒崎隼をボディーガードに、管理棟から少し行ったところにある風呂につくと、脱衣所では丁度、大庭翠と間宮凛が風呂をあがってきたところであった。

「ねぇ、凛、いいかな」

「そりゃ仕方ないじゃない。一人は怖いでしょ、おいでよ」

「うん、ありがとう」

「でも泰君どこ行ったんだろうね? こんな可愛い彼女を置いていってさ」

 間宮凛はそう言って大庭翠のわき腹をつついたのだが、それに対する大庭翠の反応はなかった。

 紗綾はもちろんのことだが、舞たちもこの二人がバーベキューをしていたあの二人だということには気が付いていた。でも特に気にすることも無く、さっさと洗い場に入っていった。紗綾だけがちょっと気になる様子で、なかなか中に入ろうとしなかった。しかし大庭翠と間宮凛、あれ以来会話も無く、ただ黙々と髪を乾かしている。それは自分に対する遠慮なのか。紗綾はそう思うとちょっとだけ恥ずかしくなって、そそくさと洗い場の扉を開け、立ち込める湯気の中に足を踏み入れた。


「さっきの人たちどうしたんだろうね?」

 石造りの露天風呂、湯船につかりながら紗綾は舞に聞いた。舞は頭にタオルを乗せながら夜空を眺めている。湯煙が不規則な渦模様を描きながら天に舞い上がってゆく。舞はその渦をつかみたいのか、虚空に手をかざしている。渦をつかみ損ねると、ちぇっ、とつぶやいた。

「ん、さっきの人たち?」

「なんか、彼氏が一人行方不明なのかな? どっか行っちゃったって言ってたけど」

「へぇ」

「へぇってなにさ」

「それしか感想持てないよ。大体そんな聞き耳立てるのはよくないよ、さーやん」

 友人にそう諭されて、紗綾はぶくぶくと湯船に沈んだ。確かにそうかもしれない。それでも、気になるものは仕方がないのだ。息苦しくなって、紗綾は顔をあげた。舞は相変わらずつかめるはずのない渦を追って遊んでいた。


 その晩、紗綾はなかなか寝付けなかったという。深夜も遅く、寝床を抜け出してちょっと外の空気を吸いに行った。紗綾たちの泊まるバンガローは河原に面していて、月明かりもないこの夜にはただ星の明かりしかなかった。そんな荘厳な風景も彼女の心を動かすことはできなかったようで、再び布団に戻っても瞼がなかなか合わなかった。


 翌朝、何やら外が騒がしくて目がさめてしまった。しばらくそのままウトウトとしていたら、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。紗綾はそれが目覚ましであったかのように飛び起きると、ベランダのカーテンを開けた。このバンガローは丁度川を挟んで四号バンガローと対称の作りになっているから、川向こうが良く見えた。

 一台のパトカーが止まった。ちょっと視線を横にずらすと橋が見える。橋のうえからは人が何人か下を覗き込んでいる。と、パトカーから降りたスーツの男が駆けてきて、その人ごみを分けるように入ると、他の人と同じように下を覗きこんだ。

 どうしたものだろう。

 紗綾も橋の下に視線をやった。何かが浮かんでいる。何だろう……?

 それが何か認識すると、紗綾の目はその物体に釘付けになってしまった。

 人だ。人が浮いているのだ。

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