第一章4 『文字の力』
焔が治まる頃にはトウフウも落ち着き、膝をついて浅い呼吸を繰り返していた。
「おい、大丈夫かや?」
「はぁ、はぁ……う、うん……。平気」
「体からえらい炎が上がっとったけど……」
「そう、……なの? よくわかんないけど、すごく熱くて……でも」
自身の体を抱きしめ、ぼそっとこんまい声で言った。
「なんか、気持ちよかった……」
「……おまん、もしかして被虐体質っちゅうヤツか?」
半ば引き気味に言うと、トウフウは慌てた様子で手を振りつつ。
「ちょっ、ち、違うわよ! さっきの熱いのがよかっただけで……」
「つまり目覚めたっちゅうわけか?」
「そんなわけないでしょッ! あんたの脳みそ本当に味噌でできてんのッ!?」
二人して――というかトウフウを騒がせとると、突として雷鳴が轟き。
「おい、いつまで待たせる気だ? いい加減、俺様の寛容な心も我慢の限界だぜ」
大太刀を片手に、スサノオがのっしのっしとこちらへ歩いてくる。
あしは片膝をつき、トウフウの顔を覗き込んで訊いた。
「戦えるかや?」
「うん、今なら……、大丈夫」
トウフウが目に燃ゆる闘志を宿し、拳を握りしめた途端。
彼女の周囲をヒュウンッヒュウンッと音を鳴らして風が吹き始めた。
「絶対、アイツになんか負けやしないわ」
トウフウは扇子を広げ、スサノオに向けて一振りした。
鋭い風切り音が響き、ヤツが刀を身体の前で構えた途端、甲走った金属音が辺り一面に鳴り響いた。
「……面白え一撃だ。それにいい面構えになったな」
かけられた言葉にトウフウは応じず、ただ睨みを利かしている。
スサノオは肩を震わせ、かみ殺したような笑声を零し。
「面白え、面白え、面白ェエエエエエッ!!」
叫び声を上げつつ、巨体をかがめてトウフウへ突進していった。
満月を描くがごとく振るわれた大太刀の一閃は、トウフウの起こした宙切の風で受け止められる。じゃけんど一撃止められたところでスサノオの勢いは止まることなく、さらに二刀目三刀目と首を狙い続ける。
対するトウフウは時には刃を受け、時には風で刀を逸らしと立ち回り続けている。じゃけんど一向に攻勢には出ない。
出られんのだ。スサノオの休みない猛攻を前に攻める糸口を見つけだせんのだ。
確かに今のトウフウは、あしと書契したことによって新たな力を得たのかもしれん。
ほれでもスサノオには及ばんかった。防戦一方で、今にもやられそうな状況や。
これでトウフウがやられたち、あしの責任や。あしが考えなしにスサノオにケンカ吹っかけたせいじゃ。
……けんど、現実でやられても神なら死なんで済む。それが唯一の救いか……。
『死にますよ』
「……え?」
美甘があしの方を見やって、絵魔保を通した無感情な声で続けた。
『神の手による殺傷的な攻撃を受ければ、神も命を落とします』
「嘘、じゃろ……?」
『事実です』
頭が真っ白に染まっていく。
あしのせいで、トウフウが死ぬ。
あしが字を書いたばっかりに、トウフウが……。
手の中の筆が、急に重みを増した気がした。
取り落としそうになった筆を、ぎゅっと握りしめる。
「……死なせん」
心臓がバクバクと高鳴りだし、そこから放出された鮮血が轟々と音を立てて全身を巡っていく。徐々に体が熱を発しだし、やがて真夏の太陽さえ生温かいほどになる。
「あしの字は誰かを殺すためにあるわけがやない。そのさかしまや」
呼応するかのように筆の命毛からさっきとぶっちゅう、紅の焔が立ち上る。
「絶対に救ってみせる……! こん筆とあしの力でッ!!」
宣言と同時にさらに火力を増す焔。あしの思いを燃料に盛(さか)るそれはさらに気持ちを高ぶらせ、循環していくほどに熱量を増していった。
じっと聞いていた美甘はふいにうなずき、「これを」とこっちに何か差し出してきた。
それはいつの間にか投げ捨てていた和装本だった。
開かれた場所には、さっきスサノオに見せつけた文字。
今はトウフウが背負っている一字。
『魂』の字が堂々と書かれてあった。
不可思議なことにその字は、紅い燐光をとめどなく宙に発し続けている。
「こりゃあ……一体?」
『書契した神は、望めば書字者の書いた文字から力を得ることができます。トウフウさまは今まさに、この魂から力を得てスサノオさまと戦っているのです』
「っちゅうことは、新たな字を書けば……」
『トウフウさまは新たな力を得ることができるでしょう』
あしは受け取った和装本の紙をめくって、真っ新な紙を見やった。
ここに字を書けば、トウフウは異なる力を得ることができる。
力か。今トウフウが欲しちょるのはどがな力だ?
あしはトウフウが戦っていた姿を思い返し、結論を導く。
速さ。スサノオの苛烈な猛攻を易々(やすやす)と退け、そのうえ攻めに転ずることができるほどの速さが必要じゃ。
だったら『速』とか『速さ』とか書けばええのか?
動きかけた筆を、あしは止める。
……違う。ほりゃあ何かが違う。
今のトウフウだって常人のあし等からしたら十分に速い。その速さをもさらに超える何かが必要なんじゃ。
考える、考える、考える。
頭が煮えてちゃかまる程に思考の迷宮を巡り続ける。
その熱を冷ますかのように、一陣の風が吹いた。
多分、トウフウが起こしたものやない。他所から吹いてきた、自然なものじゃ。
最初は緩かった風は少しずつ勢いを増し、草原をかけていく。
こんだけ激しい風は、まさしく――
はっと閃きが舞い降りた。
これならきっと、スサノオの猛攻にも勝る力が得られる……!
あしは筆に矢立の墨を吸わせ、新たな字を書き記す。
その仕上がった字をトウフウに向け。
「トウフウ、この字を見いッ!」
戦っているさなかの彼女はさすがに余裕が無さそうだったが、僅かな間隙にこちらを見やり。
「何よっ、もう……あれ?」
その途端にトウフウの動きが目に見えて――いや見えぬほどに加速した。
同時に和装本に書かれた文字から紅い燐光が吹き上がる。
いきなり速度を増した動きに、スサノオは表情に焦りを滲ませる。
「なっ、なんだお前……ッ、どうなってやがる!?」
「わかんないわよッ! わかんないけど……っ、これならいけるッ!!」
気炎を上げたトウフウは、扇子で風を舞わせ攻戦に転ずる。
宙切の風を次々と繰り出し、スサノオを徐々に追いつめていく。
その激しく目に留まらぬ速き動きは、まさに――
「疾風のごとくッ……!」
そうあしが口にすると同時に、スサノオの肩を持った左腕が後方へ弾かれ、前身ががら空きになる。
「もらったッ――!」
トウフウは扇子を閉じ、スサノオの眉間に向かって突き出したが……。
「舐めるな小娘がァアアッ!!」
真っ白な光が上空から焚かれる。
マズイ、そのあしの思いが伝わったのかどうか。
それは定かじゃないが、とっさにトウフウは後ろへ大きく跳んだ。
直後、トウフウが寸でまでいた場所を幾本もの閃光が瓦解音を伴い貫いた。
無数の石つぶてが爆ぜ飛び、青き火花が散る。地面そのものはごっそり抉られる。本物が落ちてもこうはならんじゃろうというぐらいのえずい惨状に、あしはひさに声が出せんかった。
幸いにもトウフウは無事じゃった。けんどそのすっかり色を失った顔が、今しがたのスサノオによる反撃でなんぼ寿命が縮まったかを物語っていた。
「ふははははははっ! 奥の手ってのは、ギリギリまで取っておくもんだぜ」
「……へ、へえ。あんた、なかなかやるじゃない」
「それはお前もだぜ、小娘ェッ!」
再びスサノオが接近し、刀を振るってくる。
トウフウも応戦するが、今度は断続的に雷撃も襲ってきてさっきのようにはいかない。
空とスサノオ、両方に気を配りながらの戦いは、彼女の体力だけでなく精神面にも疲労が蓄積していく。
徐々に彼女の速度は落ちていき、攻撃にも荒さが出てきて、やがて最初の頃のように追いつめられていく。
なんとかせんといかん。
新たな字を書いて、トウフウに助力せんといかん。
しかしもう何も思いつかんかった。
腕力をいくら増強してもスサノオの前には焼け石に水じゃろうし、疾風のごとき速さも雷雲との挟撃を前には歯が立たん。
げにどうすりゃええんじゃ。
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