白銀の雨

福田ゾフィー

第1話 パチンコは自分が生まれる前からあったのだ ~CR黄門ちゃま2~

 梅雨明けに過敏になっている気象庁を余所に、昼休みの教室に差しこむ日差しはもう白い。

「八兵衛が跳ぶと熱いよな。」

「弥七はマジで期待できない。」

机に伏して周囲を遮断する振りをしていた私は、喧騒の中の会話を聞きながら不思議に思っていた。

「弥七は黄門様が最も期待している家来のはずでは?

 八兵衛が跳ぶって、黄門様一行に置いて行かれそうになった時のあれか?」

くそみたいな高校生活もついに三年目を迎えていた。


 ついこの間のようでまあまあ昔、携帯電話を持っている高校生がいなかった頃。少なくともそんなものが必要な高校生は自分の周りに一人もいなかった。中にはポケベルという通信手段(信じられないだろうが数字を受けるだけというもの)を持っている奴もいたが、それだって渋谷で遊ぶことが正義であると信仰していた遊び人のステータスの一つに過ぎなかった。世紀末だが火炎放射器を持ったモヒカンがいたわけでなない。しかし、1999年に世界が滅びるという予言を本気で信じている人もいた。そういう時代の話である。

 それでも高校生の学生生活は今とたいして変わらない。三年の初夏、一つまた一つと引退する部活が出始める。全国大会に出られるような部はない。どんな競技だって一番になるのにはそれ相応の才能と努力がいる。そこそこの進学校であるうちの学校では、そこそこ熱心に打ち込んでいた部活動が終わると、受験に向けてそこそこ真面目に勉強する。そこそこの勉強で受験したのでは部活と結果は変わらない。

 この頃の大学入試には、推薦入試というものがほとんどなかった。だから、高校生活で力を入れて取り組んだものは何ですが、などという質問の答えを考えたことはない。現代の高校生はこの質問の答えを用意しなくてはならない。勉強、部活、バイト、はたまたサッカークラブやダンススクールでの活動など、言う価値も聞く価値もない答えばかりが繰り返される。十年後のアイデンティティに微塵も残ってないことばかり。面接なんかでは答えられないようなものがその後のアイデンティティに強く影響する。しかし、周りから見ればそれは大抵くだらない。


 引退まであと数か月、サッカー部の引退はもう少し先だ。

「昨日、『黄門ちゃま』で一万勝ったぜ。」

「俺は一昨日、六千やられたわ。」

「マジで?俺『黄門ちゃま』で負けたことないけど。」

「当たったんだけど、全部呑まれちゃったんだよね。」

「それ分かる。『黄門ちゃま』面白いから、打っちゃうんだよな。」

部室で着替えていると、歌代と星川が話をしていた。二人とも気持ち悪い話し方をするものだ。『黄門ちゃま』とは一体。

 星川が部室を出て行った後、歌代に聞いた。

「『黄門ちゃま』って誰だ。」

「ああ、パチンコの話だよ。そういう台があるんだ。」

「パチンコ?台?ふーん。」

 小さい頃、パチンコを打つ親父を隣のイスから見ていたことがある。板張りの床が古めかしい店だった。途中、手持無沙汰で店の中を歩き回り、落ちている玉を拾ってきて親父の打っている台の皿にぱらぱらと入れた記憶がある。銀色の小さな玉、パチンコのイメージはそんな程度のものだった。

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 ちょうどその頃、パチンコに大きな変革が起きていた。以前のパチンコは、祭りの杏子飴屋のコリントゲームのような、スマートボールのような物理的な構造で成り立っていた。玉もレバーを弾いて一発ずつ打ち出す仕組みだった。(だからこそ、そこには技術とアイディアがあり、プロフェッショナルがあったとも言えるが。)そこに、液晶や電動ハンドルという画期的なシステムが導入されたのだ。パチンコ台にテレビが付いているという衝撃、ある程度狙ったところに連続で玉を打ち出せるという快感、これによりパチンコが暗い、アンダーグラウンドなものから、初心者でも打ち易いものになっていったことは地動説くらい革新であった。(本当はこの変化はもっと前に起こった変化だったのだが、それが浸透してきたのがこの時期だった。)

 その象徴的な台が平和から登場した液晶付きパチンコCR黄門ちゃま2だったのである。カラーの液晶で繰り広げられる、暗さとはかけ離れた華やかな演出は一般の人たちの心を捉えた。さらに、この台が庶民の心を掴んだ決定的な理由がある。タイアップだ。厳密に言うと、TBSの水戸黄門に許可は取っていない。ただ、そのキャラクターは完全に水戸黄門のそれだった。今ではタイアップ台が当たり前すぎて思いもよらないことだが、イメージの悪いパチンコとタイアップするということは当時としては考えられないことだった。しかし、お茶の間で見ている水戸黄門のキャラクターが液晶の中で活躍する様子は、勧善懲悪の精神が色濃く残る昭和の人間には分かり易く、とにかく受けた。冒頭の教室で耳にした会話はこのCR黄門ちゃまにおける演出のことだったのである。

 八兵衛と弥七はスーパーリーチで活躍する。液晶の数字でリーチがかかると、画面の左側から八兵衛がのっそりと登場する。ほとんどの場合はそのまま躓いて転んでしまい、リーチは外れるのだが、八兵衛が急にとんっとジャンプすることがあり、これが最も期待できるリーチ演出となっていた。普段はどんくさいが、ピンチのときには大活躍するという八兵衛の特徴を捉えた秀逸な演出であった。同じく弥七もリーチがかかると左側からシュッと出てきて、最後の数字に狙いをつけて風車を投げる。しかし、まあこれが当たらない。10%くらいの信頼度だったのではないだろうか。それでも、テレビで擦り込まれた弥七に対する信頼感から、登場しただけでなんとなく期待してしまうのだから良くできている。兎にも角にもこの演出にみんな釘付けとなったのである。

 それ以前のパチンコ台にも液晶でがんばるキャラクターはいた。だが、それぞれオリジナルの見たこともないキャラクターが裏悲しくがんばっていた。国民的テレビ番組のキャラクターがパチンコ台に出てくるなんて画期的で、それだけでパチンコが庶民的な身近なものに感じられたのである。CR黄門ちゃまは一躍大ヒットした。

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 そんなに持ち上げると、さも黄門ちゃまを打ち倒したんだろうと思われるかもしれない。しかし、実際はその後も黄門ちゃまを打つことはあまりなかった。人気があって打てなかったということもあるが、自分にとって特別面白い台ではなかったというのが実のところである。相性もあるのだろう。とは言え、これだけ人気があり、パチンコの認知度を引き上げた黄門ちゃまは、現在のパチンコ台の元祖に当たると言えるのではないだろうか。様々な仕様で、これでもか後継機が出たし、偽物まであった。他のメーカーも意識して寄せていたことは明らかだった。ほとんど同じものを焼き直し焼き直しして量産する現在のパチンコはここから来ていると考えると、『黄門ちゃま』のパチンコ業界への貢献度は称賛されるべきものであるが、同時にそれは終わりの始まりであったのかもしれない。まあ、栄枯盛衰、終わりのないものはなく、それらはいつも浮かれているときに進行しているものなのである。

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