第1話「時光、蝦夷ヶ島に降り立つ」
「うーむ。寒い、本当に秋なのか?」
そして、愚痴をこぼしても仕方のない位の寒さであるのは事実だ。若者は薄い麻布の着物しか着用していない。かなりの薄着であり防寒性には欠けている。若者の考えではこの様な薄着でもまだ耐えきれると考えていたし、実際途中通過して来た
「若。この地ではこの位の寒さは当たり前ですし、これから冬を迎えねばならないのですぞ。さようなことでお勤めを果たせるとお思いか?」
「トキミツ。これから向かうのはもっと北だ。そんなのでホントにダイジョブか?」
若者の独り言に対して、すぐさま厳しい言葉が投げかけられる。
先に発言したのは中年の男性で、名を
また、次に発言したのは、年齢不詳の髭面の男で、名をオピポーと言う。獣の毛皮を荒々しく身に纏っており、その外見から奥州に古くから住まう
そして、若者の名前は、
「若。先ずは輸送してきた品を積み卸しましょう。人足を集めてきますので、しばしお待ちを」
「うん。頼んだぞ丑松」
撓気氏は武士でありながら交易にも手を付けている。アイヌとの交易で手に入れた品々を、幕府の要人である有力御家人に売却、または上納したり、京の都まで売りさばくことはかなりの利益を生んでいる。
交易で得られる利益こそが、撓気氏が代々弱小御家人に落ちぶれながらも、不死鳥のごとく復活する原動力の一つである。
アイヌとの交易をはじめたきっかけは、数十年前の奥州藤原氏征伐に
この際、蝦夷と血縁的にも文化的にも近く、古くから交流を持っていた蝦夷ヶ島の民――アイヌの事を紹介され、それから交易を続けているのだ。
「ふむ。こんなものかな。刀、弓、農具それに米が主な物だな。これだけあれば、かなりの羽が手に入るだろう」
アイヌは自らで鉄製品を作ることが出来ない。そのため和人から鉄製品を買い、劣化してくると鍛冶屋が打ち直して使い続けるような生活をしている。このため、鉄製品はアイヌへの有力な商品だ。
また、蝦夷ヶ島は寒すぎるためか稲作が出来ない。アイヌは
そして、逆にアイヌから得られる交易品は、鮭や獣皮、昆布、そして鷲や鷹の羽である。これは武士にとって命ともいえる弓矢の材料として最高品質の物として珍重されている。
「おかしい……」
荷運びの作業の様子を見ていた時光の耳に、オピポーの怪訝そうな声が聞こえてきた。
「どうした? オピポー。何が可笑しい」
「普通なら人足にアイヌの民が混じっているものだ。しかし、この地に着いてからまだアイヌを見ていない。普通ではない」
オピポーに言われて時光も辺りを観察する。確かに周辺にはアイヌらしき姿は見ることが出来ない。辺りにいるのは、和人が主であり、宋人が混じっている位だ。
対岸の奥州最北端の港である
そして、珍しい事に赤い髪と青い目をした者まで三人ほど見ることが出来た。時光は彼らの事を書物に見える
もっとも時光はアイヌを見たことがないので、オピポーに似た風体の者だろうくらいにしかおもっていないのだが。
「理由は二つばかし思い浮かぶ」
「ほう?」
即座に予測を案出した時光に、オピポーは興味深そうな声を上げる。
「一つ目は、この箱館の地の和人と何らかの問題が起きてしまい、ここに近寄ってこないこと」
蝦夷ヶ島には、罪人が島流しとして送られてくることも多い。つまり気性が荒く、問題を起こしやすい和人が多いのだ。彼らがアイヌと衝突したとしても何ら不思議ではない。
「二つ目は、北からの蒙古の影響だ。俺は、蝦夷ヶ島の北から蒙古の手が伸びていると聞いて調査しに来た。もしもその影響が大きければ交易どころではないだろう」
「言われてみればそうかもしれん。それにしてもトキミツ。よくそんなことを即座に考えたな。俺にはそこまで考えが及ばん。武士とはそういうものなのか?」
「まあ、それに近い。俺は
時光は十四男という立場から、自分に譲られる土地が十分残っているなどと甘いことは、全く持って思っていなかった。そのため、幼いころから大陸の兵法書である「孫子」や「呉子」、日本の兵法書である「
今、こうして偵察なり戦いなりの任務が与えられている状況は、時光にとって願ったりかなったりなのである。
「若。人足衆に聞いてみましたが、箱館とアイヌの間で小競り合いなど無いらしいですぞ」
丑松が時光とオピポーの会話を聞いていたらしく、人足に聞き取った結果を報告した。これを聞いた時光はうっすらと笑みを浮かべた。
やはり北の大地に夷敵の手が迫っているらしい。これは、この地に平穏に住まう民からしてみれば不幸なことだが、時光の様な武士にとって見れば立身出世の好機である。危機が大きければ大きいほどそれに比例して功績が大なるものになる。
土地を相続出来るか危ぶまれていた時光が、
そして、機会を逃さず必ず勝利するというのは、撓気氏に先祖から伝わる家訓のようなものなのだ。
「それでは皆の者。これよりイシカリに向けて出発する。各々決して荷を落とさぬように気を付けよ」
時光の指示の元、人足達は交易品を背負い、列を組んで歩き始めた。蝦夷ヶ島は箱館など都市部周辺しか道路が整備されていないので、アイヌの集落まで荷物を運ぶとすればやはり人力が一番である。
一行は道に詳しいオピポーを先頭に、ゆっくりと町の外に向かって歩いていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます