第682話 あの時の記憶
「なる程、ワイバーンが4体ね…」
マチルダ達の話を聞いたウルリーカは、実は内心喜んでいた。
まだ領都リーカが発展途上であった事、近隣の山にワイバーンの群れが棲みついた事があった。
その時は、冒険者ギルドと夫であるヴァルナルと息子であるトールヴァルドが、村の為にワイバーンの群れと対峙した事があった。
ワイバーンと言えば、普通は人の身ではそうそう対応できる様な相手では無い。
実際、ワイバーン1体に対して、腕利きの冒険者であっても10人前後で対応して、何とか撃退出来るかどうかである。
それが群れで近隣の山に棲みつき繁殖をしているらしく、対応に愛する夫と息子が先頭を切って出て行くと言う。
心の中では、ウルリーカも一緒に行きたかった。
だが、ワイバーンと聞き恐れ震える村人達を放っておく事も出来ず、夫と息子からも後を任されたウルリーカは、心を殺して残ったという出来事があった。
当然ではあるが、自分には戦うための力も技も無いのだから、それも仕方がないと当時は考え納得していた。
先の戦で英雄として名を馳せた夫ヴァルナル。
新たに大きな蜂と配下の多数の蜂を眷属をした息子トールヴァルド。
2人の無事を祈りながら死地へと送り出してしまった、辛い過去を思い出し、ウルリーカは実は陰で涙を流しても居たのだった。
あの時戦う事が出来なかった敵が、もう目と鼻の先に居ると言う。
「うふっ…」
ただ死地へと向かう夫と息子を見送る事しか出来なかったあの時とは違う。
「うふっふっふっふふ…」
ここには、心強い息子の嫁達もいるし、何よりも女神ネス様より賜った、この神具がある。
今なら殺れる…あの時、見送る事しか出来無かった自分が、村の安全を脅かし恐怖のどん底に陥れたあいつを確実に。
無論、あの時のワイバーンと違う事は重々承知している。
「おーっほっほっほっほ!」
だが、この高揚感は止める事は出来ない。
いきなり笑い出した義理の母であるウルリーカに、ヘルムで表情は見えないがギョッとする嫁ーず。
「敵はワイバーンで間違いないですね?」
ウルリーカの質問に、マチルダはただ頷いた。
「よろしい。では、今よりワイバーンを殲滅します。各自、全力全開で叩き潰してやりなさい。さあ、行きますわよ!」
嫁ーずは、何故いきなり義母がこんなにもやる気になったのかは分からなかったが、言っている事に異論など無かった。
『はいっ!』
全員、気合の入った声で返事をすると、すぐにフォーメーションを整え、先陣切って歩き始めたウルリーカの後を追った。
ワイバーン…それは亜竜とも飛竜とも呼ばれている、肉食性の大型の魔物である。
別称に竜と付いてはいるが、実際には竜とは大きくかけ離れており、生態も身体の構造も全く違う。
竜とは、全身を鱗で覆われた爬虫類に似ていて、独立した四足の動物であり、背中には2対以上の翼を持っている。
最も翼の多い竜では、現在5対10枚の翼を持つ竜まで確認されている。
最も大きな1対の翼は主に浮力を得る為の翼であり、残る翼は補助翼や推進翼などに使用されているという。
また、竜の多くは様々な強力な魔法を使う事が出来るとされている。
実際、モフリーナのダンジョン塔の最上階に居る黒竜の翼は4対有り、その巨体もさることながら多様な魔法を使用する。
対してワイバーンは、後足の付け根から前足の間にかけて、皮膚が膜状に存在しており、これが翼となっている。
皮膚は頑強で、胴体には鱗も確認されている。
魔法も使う事が確認されてはいるが、火に関する魔法しか使えず、その威力も弱い。
しかし、繁殖力は旺盛で強く、番のワイバーンは1回の産卵で2~3個の卵を産み育てると言う。
人語まで操る事の出来る竜とは違い、ワイバーの知能は野生動物とほぼ変わらぬ程度である事も、また大きな差と言える。
しかし、やはり人々にとっては身近に生息する魔物としては十分に恐ろしい相手であるし、遭遇した時は間違いなく群れであるため、出合ったら死を覚悟せねばならない相手である事は間違いが無い。
「さあ、あの時の鬱憤を晴らさせて貰いましょうか…」
ウルリーカの装備では、頭部の殆どが隠れているとはいえ、顔の下半分…つまり口元は見えている。
それがニヤリと口をゆがめ、凄みのある笑顔である事は十分に見て取れる。
ウルリーカの心の内など知らぬ嫁ーずもナディアも、何がそんなに嬉しいのか理解できなかった。
もふりんもボーディも、何でそんなにやる気なのかさっぱり理解できなかった。
ボーディにしてみれば、強大な敵を前にした女性陣が、それに恐れをなして尻込みして退却でもしてくれれば、あわよくば泣き言でも言ってここで訓練を終了でもしてくれればいいかな…っと思って、取って置きのワイバーンを4体も出したのだが、何故か一番戦闘から縁遠そうな人が、やる気になってしまった事に首を傾げた。
「滾ってきたーーーーーーー!」
目の前に迷路の分岐が迫ると、ウルリーカは手にした青龍偃月刀を肩に担ぎ直し、装甲が付いたスカートをはためかせながら、一気に通路へと駆けだしていった。
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