004
半年以上振りの、自分の、血の通った体。
隣の作業台には、さっきまで――感覚的にはさっきだが、実際には意識を取り戻すまで半日程かかっている――自分の体だった、「エータ」と呼ばれるオートマータが横たわっている。エータとはつまりギリシャ文字で8番目、試作オートマータとしてそれくらいの順番のものである、という事らしい。
なんか、不思議な感じだ。自分そっくりなそのエータを見て、柾木は思った。細かい事を言えば、エータは背格好や顔かたちは柾木の肉体とそっくりに仕立ててあるが、首から下は体毛が無かったり、妙に細マッチョな筋肉質だったりして、実際の柾木の肉体とは若干の齟齬がある。それは、エータの外見を調整する際に、井ノ頭菊子がミケランジェロその他の彫刻をモデルに首から下を整形した為であって、それはそれで気に入ってはいた。
あれくらいに、少し体鍛えるか。太っているつもりは無いが、かといって鍛えているとも言えない自分の肉体に目を戻して、柾木は思う。少し鍛えておかないと、玲子さん抱えて走るなんて出来そうに無いしな。
「あ、意識が戻りましたか?どうですか、問題ありませんか?」
軽く物思いにふけっていた柾木に、機材の調整が終わって別室から戻ってきた
「麻痺とかありません?記憶、ちゃんと繋がってます?」
眼鏡越しのいおりの瞳が、柾木の目をのぞき込む。
「はい、えっと、大丈夫みたいです……服、着ていいですか?」
両手をにぎにぎしながら柾木が答え、聞く。
「どうぞ……うん、大丈夫そうですね」
さっきまでエータが着ていた服、今日、この井ノ頭邸に来る時に着ていた柾木の私服に、改めて北条柾木の肉体が袖を通す。その一連の仕草を見ていたいおりが、満足そうに頷いて、手元のクリップボードに手挟んだ紙に何かをメモする。
「……なんだろう、なんかこう、もっと感動というか、なんかあると思ってたけど、別に普通ですね……」
長Tの上に濃紺のフリース、下はだぶっとした薄いカーキのカーゴパンツ、何の問題も無く服を着て靴下を履き、コンバースの靴紐を絞めながら、柾木はそう口にする。
「……まあ、そもそもそれが北条さんの本来の体ですから。でもよかった、上手く脳の再生も出来ていたみたい」
何でもない事のように、いおりが言い、思わず柾木も苦笑する。そうだ、この体、半年ちょっと前に頭をライフル銃で撃ち抜かれ、脳みそをあらかた吹っ飛ばされていたんだっけ。
あの時は色々あった、あれからも色々あったけど、今日やっと、体が元に戻った、元の体に戻れた。もうちょっと感動するというか、うれしさがこみ上げてくるかと思ったけど、確かにこんなモノかも知れないな。
もう一度、靴紐を結び終わった両手をにぎにぎして、北条柾木は寝台から飛び降りた。
「……改めて、ボクの不手際で色々ご迷惑をおかけしました」
きちんと自分の足で直立した柾木を見て、いおりが頭を下げた。トンボ眼鏡、トックリのセーターにだぶだぶで裾を折り上げたGパン、サンダル履きに白衣。絵に描いたような見てくれのいおりの、無造作に伸ばして後ろで束ねた髪が、頭の動きにつられてさらりと落ちる。
「あ、いやまあ、そこはお互い様で。体、直して頂いてありがとうございました」
柾木も頭を下げる。この人が無茶言わなければあんな事にはならなかったかもだけれど、でも、その後を考えると、どっちにしても遅かれ早かれ、似たようなやっかいごとには巻き込まれていた気はする。柾木は、視線を自然にエータに移しながらそう思った。
「……エータなんですが、これだけ長く運用したのは初めてで、今ちょっと調べただけでも、ずいぶん北条さんのマナに適応しちゃってますね。そこで、よろしければ、ちょっとお願いがあるんですが……」
同じようにエータを見ながら、性懲りもなく何でもない事のようにお願いを口にするいおりに、柾木は再び嫌な予感を覚えざるを得なかった。
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