第三章 訣別

3-1 氷の瞳

【第三章 訣別】


  ◇


 翌朝のことだった。

「ネフィル様に会わせてあげるよ。きっときっと、リノを歓迎する」

 嬉しそうな顔で、イヴュージオが言った。

 その青い瞳は、何かに憑かれているかのようで。その口調は、熱に浮かされているかのようで。

 感じた違和感。

 差し出された手をリノヴェルカは振り払った。

「……嫌だ」

「何故?」

 振り払われたことに驚いて、イヴュージオは驚いた顔をする。

 リノヴェルカは慎重に答えた。

「イヴは、変わってしまったんだな。今のイヴからは、前のイヴみたいな温かさを感じられない。前のイヴなら人を殺すことなんてしなかったはずだ。そんなイヴとは……一緒に、いたくないよ」

 せっかく会えたのに。死んだと思っていた、何よりも大切な存在に。

 リノヴェルカだってこんなこと言いたくはないのだ。けれど、感じた違和感はやがて恐怖になる。

 今の兄は、怖かったのだ。

 怯えるリノヴェルカを安心させるように、イヴュージオが声を掛ける。

「ネフィル様は悪い人じゃないよ。ネフィル様は弱かった僕に力と理想をくれた。ネフィル様のお陰で僕は強くなれたんだ。確かに僕は変わったさ? でも、それとこれとは話が別だろう。いいじゃないか、会うだけならば」

「……弱かった兄さんの方が、もっとずっと優しかったし、温かかったよ」

「そうかい」

 イヴュージオの青の瞳に、ちらり、影が差す。どこまでも冷酷な輝きがちらり、宿る。


「ならばおまえは、僕の敵だ」


 瞬間。

 勢いよく飛んできた水が、したたかにリノヴェルカを打ちすえた。水に打たれたリノヴェルカはそのまま、部屋の壁に背中をぶつける。

 兄の瞳に見たのは、歪んだ理想と狂信。氷のような瞳がリノヴェルカを冷たく見降ろす。

「ネフィル様の理想を邪魔する可能性が僅かでもあるのなら、僕はお前を消すことも厭わない」

 身につけた双の剣に手が伸ばされる。その切っ先がリノヴェルカを向く。

 あんなに優しかった兄が、リノヴェルカを守るために死を覚悟した兄が、今はリノヴェルカに剣を向けている。その事実が信じられなくて、固まった。

「さようなら、リノ。そうさ、僕はもう以前の僕じゃない。今の僕を見ろよ、強くなった僕をなァ!」

 振りあげられた剣。瞬間、心に閃光のように走った記憶は、

『生きろ』

 変わる前の兄の遺した言葉。

 思い出し、反射的に魔法を使う。父である神から受け継いだ風の力。巻き起こし、剣の切っ先を逸らし、兄を吹き飛ばした。

「私は死なない! 死んでなんか、やるものか!」

 兄が変わってしまったのなら、元に戻すのが自分の使命。

 けれど今は、生きなければならないから。

 そう心得て、窓を破って宿の二階から飛び出した。風の魔法を微調整、衝撃をやわらげて逃げる。

 アルクメネに利用され、信じていた兄には殺されかけた。もう何を信じればいいのかわからない。でも、この想いは変わらない。

「死んでなんか――やるものかッ!」

 変わる前の兄との約束を胸に、リノヴェルカは必死で走る。

 その様子を、冷たい瞳でイヴュージオがじっと見つめていた。


  ◇

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