第二章 ~『ラブコメとトラウマ』~
『視点変更:杉田サイド』
本屋から自宅へと戻り、自室の机の上に購入した本を並べる。ラブコメやファンタジー、それに異世界転生と、ネットから書籍化した作品がずらりと並ぶ。
「桜木と正面から戦うならやはり恋愛ものを選ぶべきだな」
相手の土俵に立って戦うことが賢明でないことは理解していた。しかし他ジャンルではジャンルの人気差で勝てたのではと、疑念が残る。言い逃れの余地がない勝利を得るためにはラブコメで戦うしかない。
「ネットでは復讐ものが流行っているのか……」
ラブコメで復讐ものは数がほとんどないが、ファンタジー作品や異世界転生作品では追放された主人公が仕返しをするストーリーが人気を得ていた。
「酷い仕打ちを受けた主人公が復讐する話をラブコメにすると人気が出るかもな」
パソコンを立ち上げ、文章編集ソフトを開くと、浮かんだアイデアを書き込んでいく。
「ラブコメだからラブの要素は欠かせない。そこに復讐のギミックを追加するなら……待てよ。俺の実体験をモデルにすれば一本の小説になるんじゃないか」
ストーリーはこうだ。仮の恋人に裏切られた傷心の主人公を世話焼きお姉さんが慰める。時間を重ねる内に二人は恋愛感情を持ち始めるが、親戚同士であるが故に、次の一歩を踏み出せずにいた。しかし仮の恋人に復讐するため二人で小説を執筆していく中で、愛を深め、最後には恋愛関係へと発展する物語だ。
「悪くない……よな。ネット受けする要素は取り入れられているし、ツキちゃんとの関係性の部分は嘘だけど、それ以外は現実の出来事だからリアリティもある」
これなら傑作ができるはずだと、頭に浮かんだ物語をキーボードに打ち込んでいく。淀みなく物語は紡がれていった。
「入るわよ」
「どうぞ」
ノックの音と共に梅月が部屋を訪れる。手にはいつものようにカップスープが握られていた。
「執筆頑張っているみたいね。これお夜食」
「ありがとな。そこに置いといてくれ」
梅月は机の上にカップスープを置くと、ベッドの上に腰掛ける。真剣な表情でキーボードを叩く彼の横顔をジッと見つめていた。
「俺の顔に何か付いているのか?」
「ううん。ただ真剣な表情の稔はカッコいいなぁと見惚れていたのよ」
「……褒めても何もでないからな」
「期待してないし、御世辞のつもりもないわよ。私はただ思ったことを口にしただけだもの。気にせず執筆に集中して」
「お、おう」
気を取り直して執筆を再開する。感じる視線に意識が削がれることもなく、キーボードを叩く手は止まらなかった。
「文章を書くのが得意だと知っていたけど、こんなにスラスラと書けるのね」
「過去にも一度、ラノベ作家を目指していたことがあるからな」
「懐かしいわね……急にヤンキーをやめて、ラノベ作家を目指し始めたのよね。あの時は頭がどうかしたのかと心配したんだから」
「ラノベ作家を目指すくらいで、俺の正気を疑わないでくれよ……」
「でもどうしてラノベ作家になりたかったの?」
「それは……言わないと駄目か?」
「ここまで口にして言わないのはなしよ」
恥ずかしいが仕方ないと、頬を掻いて意を決する。
「……ツキちゃんを助けたかったからだ」
「私を?」
「ほら、俺ってさ、ツキちゃんに養ってもらっているだろ。今でこそ売れっ子イラストレーターだから金に困ってないけど、当時は夜遅くまでアルバイトをして生活費を稼いでくれていたよな」
「…………」
「だから少しでも恩返しがしたくてさ。ラノベ作家になれば、ツキちゃんを助けられると思ったんだ。ただ俺の力がなくても、ツキちゃんは一人で売れっ子イラストレーターになることができた。目指す理由を失って、ラノベ作家を途中で諦めたのさ」
梅月のために寝る間も惜しんで文章の練習をした努力が、まさかこんな形で活かされるとは思わなかったと皮肉を続けると、それが照れ隠しだと見抜いたのか、梅月はクスクスと笑う。
「稔、あなたは本当に優しい子に育ったわね♪」
「からかうのはやめてくれよ」
「からかってないわ。ただの本心を伝えただけよ」
梅月との間に恋愛感情はない。しかしラブコメのような甘い雰囲気が彼のキーボードを叩く速度を加速させる。
執筆の勢いは止まらず、パソコン画面いっぱいに文字が埋まっていく。順調に紡がれていく物語は傑作の誕生を予感させた。
しかしキーボードを叩く指が不意に止まる。いったい何事かと彼女は心配そうに画面を覗き込むが、手は止まったままで動かない。
「どうかしたの?」
「手が……動かないんだ」
「書くのに疲れたの?」
「意欲は十分満ちているさ。けどラブコメシーンに突入してから、桜木の笑顔が脳裏に浮かび始めた……あいつとのトラウマが俺の執筆を邪魔するんだッ」
額には玉の汗が浮かび、心が続きを書くのを拒否する。だが負けるわけにはいかないと、必死にキーボードに文字を打ち込んでいく。
「か、書くのをやめるわけには……」
「あんまり無理すると……」
「でも桜木に勝つためにはこれくらいしないと……うっ……も、もう、駄目だ……」
飛び上がるように椅子から立ち上がると、部屋の扉を開けて、トイレへと駆けこむ。ストレスで胃から湧き上がってきた吐瀉物を便器に吐き出した。
「だ、大丈夫なの!?」
梅月が背中を優しく擦ってくれる。その思いやりが、トラウマで執筆できない自分の無力さをより一層自覚させる。
「お、俺は、桜木に負けない。絶対に倒すんだッ」
「み、稔……あなた……」
「同情はよしてくれ。俺はまだ戦える」
「同情なんてしてないわ。それよりも提案があるの?」
「提案?」
「本屋で桜木さんの様子を見て思ったの。やっぱりあなたのことを――」
「桜木の話はやめてくれ!」
「で、でも……」
「ツキちゃんでもこれ以上その話を続けるなら許さないからな!」
野獣のような眼で睨みつけると、梅月は口を閉ざす。だが笑みは崩さない。首に白い手を回して優しく抱擁する。
「怒らせてごめんなさい。でも忘れないでね。私はいつでもあなたの味方だから♪」
「ツキちゃん……俺の方こそごめん」
頭に血が上っていたと反省して、杉田が謝罪すると、梅月は反応を返すように抱きしめる手に力を込めた。
「トラウマに苦しめられるなんて、俺ってダサいよな」
「そんなことないわ……私も過去のトラウマに苦しんだから気持ちはよくわかるの」
「ツキちゃんがトラウマ!?」
いつでも天真爛漫な梅月らしからぬ言葉だった。だが彼女は杉田よりも年上で、人生経験も豊富なのだ。過去に何か起きていたとしても不思議ではない。
「もしかして俺と同じように想い人に振られたのか?」
「まさか。私が振られるはずないでしょ」
「まぁ、ツキちゃんを振る男がいるとは思えないな」
顔も体形もお金も性格もすべてが完璧なのだ。桜木とは違ったタイプだが、梅月もまた完璧超人と評してもおかしくはない。そんな彼女が男に袖にされる光景が思い浮かばなかった。
「振られてはいないわ。でもね、大切な人から愛されなかったのよ」
「大切な人か……」
杉田は梅月が両親と不仲であることを思い出す。彼女のような愛らしい性格を嫌う両親が理解できなかった。
「でも俺はツキちゃんのこと好きだぜ。それに学校のみんなだって」
「ふふふ、ありがとう。でもね、それは今の私だからよ。昔の私ならきっと嫌われていたわ」
「そうかな?」
「間違いないわ」
杉田の記憶には昔の梅月の記憶がほとんど残っていない。ただ今よりも少し太っていたことだけは朧気ながらに覚えている。そのコンプレックスがトラウマ化しているのだろうと、彼は推察する。
「過去のトラウマを乗り越えてきた私だから言えることがあるわ。それはね、トラウマは逃げても解決できないってことよ。乗り越えるには戦うしかないの」
「戦うか……そうだよな。逃げるなんて、俺らしくないよな」
梅月はきっと太っていたコンプレックスにダイエットという手段で戦ったのだ。自分も負けていられないと、勢いよく立ち上がる。
「トラウマを乗り越えるためには、ラブコメを書くしかないな」
「その意気よ」
杉田は自室に戻り、執筆を再開する。目を血走らせながら、原稿に立ち向かうのだった。
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