ハルの異世界出戻り冒険譚 ~ちびっ子エルフ、獣人仲間と逃亡中~
実川えむ
プロローグ
第1話
ザザッ、ザッ、ガサガサ
ハッ、ハッ、ハッ
膝丈くらいの高さのある下草の生い茂る深い森の中を、女が一人、白い布で包まれた物を腕に抱えて、何かに追われているかのように走っている。
白銀の髪を一つに束ねた背の高いその女は、必死な形相で後ろを何度も振り向きながら、森の奥の方へと進んでいく。汗の滲む額に、乱れた髪が貼りついている。深い蒼い瞳には絶望と期待が交互に、何度となく浮かび上がり、尖った耳は、後方からの追跡者の陰を拾おうと極限まで感知能力を上げている。その特徴的な耳の形からも、彼女がエルフ族の女だということはすぐにわかる。
白い頬や腕、短い巻きスカートの下から伸びる長い足のむき出しの部分には、いくつもの擦り傷や切り傷から、青い血が流れていた。本来なら綺麗な模様が描かれていた膝まである革のブーツは、すでに泥だらけになり、模様も泥で潰されている。
「はぁ、はぁ……はっ、も、もう少し……」
女には、この先にあるはずの古の遺跡のことしか考えられなかった。
その遺跡の奥にある場所に駆け込めば、この腕の中の者を救うことができるはず。布の中からのぞくのは、三歳くらいだろうか、まだ幼い子供の幸せそうな寝顔。少し癖のある黒い髪に白い肌。女と同じように尖った耳が黒髪に隠されている。
「絶対、守ってみせる……」
小さく呟きながら、腕の中の幼子に目をやる。こんなに揺らされても起きようともしない度胸の良さに、女は口元を緩める。
不意に彼女の視線が背後に向く。何かを聞き取ったのか、女の顔が青ざめる。
「まだ、まだなの……」
目にうっすらと涙を浮かべながら走る彼女の前を、いくつもの木々や下草が道を塞ぐ。しかし、その道しか、彼女たちが進む道はない。
背後に迫る者への恐怖を抑えながら、女は森の奥へと進んで行くしかなかった。
* * *
幾つかの山を越えた先に、小さな盆地がある。広くもないその土地にギュウギュウに詰め込んだ様に田んぼが広がる。民家はポツポツとあるだけだ。当然、電車など走ってもいない。この土地に来るためには、最寄りの駅から二時間近く路線バスに揺られるか、それ以上の時間をかけて車でやってくるしかない。
そんな土地であっても、そこは何十人かの住民が生活をする小さな村があった。昔から、平家の落人伝説などが囁かれるその村は、それよりももっと昔から人々が暮らしていた。
ある日、その村に父親と小さな男の子が都会からやってきた。父親は、もともとこの村の出身で、その日は実家の田植えの手伝いにやってきたのだ。
その時、男の子を連れてきたのは、田植えを見せるためと同時に、子育てよりも仕事を優先する妻から、預かることを拒否されたからだった。
もともと、夫婦が逆転しているような家庭だっただけに、父親のほうは、仕方がないと諦めて村へと連れて来た。
父親は実家の家族たちとともに田んぼへと向かう。男の子にとっての祖父母に、伯父や伯母、年の離れた従兄もいた。しかし、家族全員での田植えに、男の子の面倒を見る余裕はない。父親は男の子も一緒に連れて行ったが、幼い子供にその場でジッとしているのは無理な話。田植えが一段落した時、父親はようやく男の子がいなくなっていることに気が付いた。
そこからは村総出で男の子を探すことになる。そう多い人数がいるわけでもない。若者などいないに等しい。
けして広くはない村の中で、男の子の名前を呼ぶ、いくつもの声がこだました。
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