第40話

 ――ちゃぽん。

 お湯に足を着けた音が鼓膜を振るわせる。

 バトンタッチ。今度は黒石だ。


 できるかぎり接触しないよう前に詰めるものの……当たってしまうよな、やっぱり。

 背中に広がる脂肪が歪む感触。

 嬉しいような堪え難いような複雑な心境だ。


 村間先生――というより初めての混浴は言うまでもなく刺激的だった。

 だが今回はクラスメイトの女子だ。緊張するなという方が無理がある。

 この短い時間で寿命が大きく縮まった気がするのは俺だけだろうか。


 それに何が辛いってさ、この沈黙だよ!

 当たり障りのない会話さえ続かない、あの嫌な空気。

 まだ一言もしゃべっていないのにこれだよ? 先が思いやられるわ!


「「……」」


 いやいや⁉︎ 頼むから話しかけて来てくれよ黒石!

 ドラム缶で混浴中に会話がないってちょっとした拷問だからな? その辺わかってる?

 えっ? だったらお前から話しかければいいだって?


 じゃあ聞くけど何を話せばいいんだよ! こっちは少し前まで話に寄せてもらえなかったぼっちなんだぞ? こんな状況でスラスラ会話ができるなら始めから浮いてないよ! 自分で言ってて悲しくなるけど。


 とにかく気を紛らわせるようと黒石の目を見て話しかけようと思ったのだが、

「……みっ、みっ、みみみっ、見ないで!」


 なんと黒石は俺の頬に手を当て無理やり押し返そうとする。

 えっ、ええー……こっちから切り出すのもダメなのか? じゃあもうどうしろと。

 村間先生の口ぶりだと何か言いたいことがあるようだし、心の準備ができたら話しかけてくれるってことかな?


 そう信じて待つこと五分。

「「……」」

 あの黒石さん? まさか普通に入浴していらっしゃる?


 もしそうならもう一つドラム缶があるので、そっちに移ってもらえません?

 こちとらお風呂で疲れを癒したいわけですよ。

 さっきからその、当たってるんだよ。その……胸が。


 だいたい普通は背中と胸の前に腕を挟んだりするよね? なんで直?

 もしかして気付いていない? いやでも、胸が当たっていることに気付かないとかありえる? 鋼鉄のブラジャーか何かを着用してらっしゃる?


 おっ、落ち着け田村ハジメ。焦るな。黒石には黒石のペースってものがある。

 上手く話せない彼女を催促するのはさすがに配慮が足りないだろう。

 話しやすいタイミングまで待ってあげるのが男だ。


 いま俺に求められているのは傍にいること。きっとそうだ。そうだと信じたい。

「「……」」

 それから体感で三十分が経った。


 おいおいおい⁉︎ もうそろそろ心の準備をしてもらえませんかね⁉︎

 いくらなんでも沈黙が長すぎだろ!

 見てみろよ隣のドラム缶! 誰も入ってないのに湯気がガンガン上がってるじゃねえか! なにこのシュールな光景⁉︎


 それともう一つ衝撃の事実を胸中で叫ばせてもらっていいか?

 のぼせてきたんですけど‼︎ もう限界なんですけど!

 こちとらずーっとお湯に浸かっている上に胸を押し当てられているんだぞ⁉︎なんかの修行かよ!


 さすがにこれ以上待てない俺はできるかぎり優しい声音を心がけ、

「……何か言いたいことがあるんだよな?」

「……はっ!」


 いまお前言われて思い出したみたいな反応しなかった?

 えっ、嘘でしょ? まさか本当に浸かっていただけじゃねえだろうな?

 こっちは切り出してくるのをずっと待っていたんだぞ。なに普通に忘れてんだよ。


 ちなみに黒石が森でおぶられてから背中フェチになっていたことなんて知る由もない。

 背中をじぃっと見つめられながら密着することで安心を得ていたなんて誰が想像できるだろうか。


「言いにくいことなら無理しなくてもいいからな?」

 どっちかって言うと俺がこれ以上風呂にいるのが無理なんですけど。


 背を向けたまま立ち上がろうとする俺に、

「だっ、だっ……ダメッ!」

 両肩に手を置き、体重を乗せて座らせてくる黒石。


 うおっ、すごいチカラ。まさか退場もダメなの?

 このままだと今日のタコみたいになっちゃうよ?

 もしかしてこのあと頭をひっくり返して内臓を取り出されちゃうの?


 そんな馬鹿なことを考えるぐらいには湯から出たい状態でして。

 俺の悲鳴にようやく気がついてくれたのか、

「……きっ、ききき、聞いて」


「わかった。でも無理はしなくていいからな」

 後ろで呼吸を整える黒石。

「…………ごっ、ごごご、ごめん、ごめっ、なさい、いっ、今まで」


「大丈夫。もう気にしてない」

「でっ、ででも」

「それに司だってたくさん助けてくれただろ?それでおあいこだよ」


「……わっ、わたわたし!」

「うん?」

「やっ、やややくに、たっ、たち、たちたいの」


 ――役に立ちたいの、か。

 まさか黒石からそんな言葉をかけてもらえる日が来るなんてな。

 なんだろう。やっぱり嬉しいのかな。そう言ってもらえることがさ。


「そっか。それじゃ明日からも色々お願いしていいか?」

 無意識に黒石へと振り向く。

 今度は手で押し返されることはなかった。


「……うっ、うん!」

 そこには月の光で照らされ、嬉しそうな笑顔を向ける黒石がいた。


 ☆


 ――三日が経った。

 俺はそろそろ新居作りに本腰を入れることを決意する。

 この間、大原と香川の安否が気にならなかったと言えば嘘になる。


 だが、この問題は多数決で『助けを求められた場合に手を差し伸べる』ことになった。

 俺の「様子を伺って、困っていたら声をかけよう」という意見は却下されている。

 村間先生と黒石に反対されたからだ。


 正直に言えば黒石の判断は意外だった。

 てっきり賛成してくれると読んでいたから。

 だからと言って黒石が友人を捨てた、なんて思うはずもなく。そうじゃないこと――苦渋の選択だったことは彼女の顔を見ればわかる。


 あれば保身から出た決断じゃない。

 の負担がこれ以上増えないよう、心を鬼にしてくれたのだろう。


 そして「手を振り払ったものにこちらから手を差し伸べるべきではない」というのが村間先生の意見。

 優柔不断な俺のために毅然とした言動を取ってくれていた。

 彼女たちの覚悟や決意を目の前にしておいて、男の俺がそれを破るわけにはいかない。


 だから香川と大原を見捨てたと罵ってくれ。だってそれは本当のことだ。

 彼女たちの面倒を見なくてもいい――心の底でそう思った自分がいたことも事実なんだから。


 開き直るわけではないが心の持ち方は良くなったと思う。

 一番効いたのは村間先生の言葉だ。

「ハジメくんが誰かに手を差し伸べるということは別の誰かの手を離すということ。君の手は何本あるの? 誰の手を握るのかは自分で決めなさい」とのことだ。


 俺には手が二本しかない。四人の手を離さずに一度に握ることはできない。

 ならばいま握っている手だけは決して離さないようにしよう。

 そう思った。思わせてくれた。


 村間先生は心のよりどころだ。本当に感謝しかない。

 というわけで新居に集中することにした俺はこの三日間、森の中をひたすら探索することにした。目的は言うまでもないだろう。マッピングだ。


 俺が最も神経を割いたのは熊。

 それなりに歩き回ったものの、この三日間で遭遇することはなかった。

 食事のために朝と夕方は沢に集まるようだが、もしかしたら個体数は相当少ないのかもしれない。


 楽観視はできないが、糞や爪痕が刻まれた木も発見できなかったことを考えると、対処法を共有し、きとんと対策すれば、かもしれない。


 とはいえ俺は二人の命を預かっている身だ。何事も慎重に進めたい。

 方針は以下のとおり。


 家を建てる場所:笹薮と沢が近くにないところ。熊の餌になりそうなものが無いことを入念にチェック。特にキノコと山菜は絶対にあってはならない。


 飲み水の確保:沢を利用する(雨水に頼らず水を確保できるメリットは大きい)さらに貯水できる方法を模索。


 沢に水を調達する際は、

 ・必ず三人で行動

 ・朝と夕方を避ける

 ・ホイッスルや鈴、空き缶など音が出るものを持参


 とした。


 ただこれらは遭遇を回避するためのものであって、遭遇後の対策がない。

 実を言えば思い浮かぶものが一つあるわけだが、これには必要なものが二つある。

 一つはこの島に生えているかどうか、そしてもう片方は漂流しているかどうかだ。


 どちらもある。と俺は思っている。

 これが完成すれば遭遇後のリスクをグッと低くしてくれるはずだ。

 なんとか探し出したいところだが、当面は慌てず、騒がず、熊と向き合ったまま後ずさるように立ち去ることになるだろう。


 ちなみに俺がこれから建てようとしている家だが、外敵が俺たちの姿を視認できないよう徹底して作り込むつもりだ。入り口には扉も設置する。

 さらに最初のうちは見張りを当番制にしようと思っている。


 材料だが、石斧で木を何本か切り落とす。

 続いて柱。地面に穴を掘って埋めていく。

 屋根のけた(柱の上に渡ささる部材のことだ)をかけるため、ほぞ穴を石ノミで掘っていく。


 ほぞ穴と柱を硬い棒で打ち付け、しっかりと固定させる。

 つる垂木たるき(屋根の一番高いところで斜めに取り付けられる部材。ここの部分)を作り、棟木むなぎ(桁と並行方法に取り付けた部材)に掛ける。


 骨組みを蔓でしっかり縛って固定。

 これで土台は完成だ。

 ここまでの三日と組み立ている間に村間先生と黒石には大量の瓦とレンガを作ってもらっていた。やはり一番時間を要したのは炉で瓦を熱するところだ。


 これにはさすがの村間先生と黒石も汗をかきながら、必死に作業にあたってくれた。

 おかげで一人では決して不可能なスピードで出来上がっていた。

 母屋もや(垂木を支える部材)にタブ付きの瓦を引っかけながら置いていく。これが雨風を防ぐための屋根になってくれる。


 ただ三人以上が入れるだけの大きさになれば、当然必要になってくる瓦の枚数も多い。

 これらを全て二人がやってくれたのだから、本当に頭が上がらない。

 俺の役に立ちたいと、そう言ってくれた二人の気持ちが嬉しいぐらいに伝わってくる。


 少しでも長く住めるよう蔓で火打ち(桁、土台のコーナー部が固定されるよう斜めにかけ渡された補強材)を固定する。

 ちなみに屋根はこういう形なので頂点の部分は丸みを帯びた瓦が必要になってくる。並行なまっすぐな瓦だとそもそも設置することができないからだ。


 まっすぐな瓦を置いていけば必然的に屋根の縦に隙間ができてしまうため、そこを覆うために丸みを帯びた瓦の出番というわけである。


 これには丸太などの上で粘土入りの泥を敷き、乾燥すればいい。

 これでいよいよ屋根が完成。


 次に丈夫な壁を作るために石集めだ。

 女の子にチカラ仕事をさせるのはずいぶん気が引けたが、持てる範囲のもので協力してくれることになった。


 家を囲むように石を積み上げる。

「この島で冬を迎えることを思えばもう一手間惜しまない方がいいか……」

 出来上がりつつある家を遠目で見ながら誰に言うわけでもなく呟く俺。


 壁を作り完全に外の世界と遮断された家を作るつもりではあるが、やはり冬は堪えるだろう。


「加代先生、司、少しだけいいですか?」

「うん。どうしたの?」

「床暖房を作ろうと思うんですけど、どうでしょう? ただ、一人だと手間なので手伝って欲しいんです。これは必須ではなので、あればいいかなってレベルなんですけど……。これ以上の負担はノーサンキューでしたらやめておきますけどどうします?」


 俺の質問に顔見合わせる二人。なぜか同じタイミングで笑みを浮かべている。

 やがて黒石はお絵かきボードに何かを書き始め、村間先生に目で合図を送ったあと、

「無自覚ハイスペック披露入りました!」『無自覚ハイスペック披露いただいたわ!』


 久々に見たなその無自覚ハイスペック披露強ワード‼︎

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