第43話
上村の登場は不安を抱かせるのに十分なものだった。
まず目を疑ったのが左腕。
何度も確認するものの、やはり見間違いではないらしい。
この島にあるはずのない包帯を巻いていた。
さらに不可解なのは、なぜ上村が一週間も生きていられたのか。
はっきり言って謎だった。
黒石から聞いた話によれば、俺たちと別行動をしていた当初ろくな食事や水分を取れなかったとのこと。ろ過もしていない雨水を飲んでいたようだ。
正直に言えばのたれ死にしている線も頭によぎっていた。
しかし、目の前の上村は衰弱している様子もない。
……どういうことだ。
聞かずにはいられなかった俺に上村の回答は、
「そんなの決まってんだろ気合いと根性だよ」
「冗談は性格だけにしたらどうだ?」
「アッハ。言うねえ。面白いじゃねえか。楽しみにさせてもらった礼だ。答える義理はねえが教えてやるよ――頭のネジがぶっ飛んだ人間に色々恵ってもらったのさ。肉とか魚、それに水なんかもな」
最悪。最悪だった。聞きたくなかった回答ワーストワンだ。
額に手を当てながら頭を全稼働させる。
もちろん上村が嘘を吐いている可能性もある。つまり決闘はもう始まっているということだろう。
包帯の存在はどれだけ都合のいいように解釈しようと思っても目を背けることはできない。
これは今後の生活方針に大きく関わってくる問題だ。
なにより目の前の男に手を差し伸べる存在がこの島にいる。
その現実に頭がくらくらする。
こうしてはいられない。
一秒でも早くこの決闘に終止符をうち、村間先生と黒石の元に帰らないと。
二人には家に隠れておくように言い含めていた。
最初のうちは一緒に行きたいと何度も懇願されていた。
気持ちはありがたい。だが、こればかりは多数決でも承諾することはできない。
上村の性格だ。彼女たちを人質にすることも十分にありえる。
そうなれば俺たちに明るい未来はない。バッドエンドだ。
だからこそ家で待機してもらうことにした。
彼女たちが必ず戻って来なさいといった発言があったのはそういうことだ。
本当なら上村の肩を掴み、なんとしてでも協力者を吐かせたいところだ。
だがここで俺が必死な姿を見せれば相手の思う壺かもしれない。
俺はあくまで冷静を装いながら詰問する。
「その協力者ってのは誰なんだ。これからお前の悪趣味に付き合ってやるんだ。それぐらい教えてくれてもいいんじゃないか? もしかして俺やお前、香川たちの他にも漂流したやつらがいるのか?」
「くくっ……! そうかそうか、まあそうだろうな普通は。そりゃそうだ。だがまあなんだ、とりあえず安心しろ。俺との決闘中に村間先生と司に危害が及ぶことはねえよ」
上村は意味深に笑うだけ。
これはマズいな。完全に動揺させられている。
もしも上村のこの言動の裏に参謀がいたとしたら――たぶんそいつは目の前の男以上に面倒な相手だ。
今日で全てが終わると思って挑んだってのに、この絶望感。しかもまだ決闘前ときた。
「笑ってないで答えたらどうだ? いるのかこの島に?」
「おいおい、動揺してんのがバレバレだぞ田村。そんなんでまともに殺り合えんのか。俺はなそっちなんてどーうでもいいんだ。目の前の相手に集中しろ」
揺らすだけ揺らしておいてよく言えたな。
だがたしかにここで舌戦に引っ張られる余裕は今の俺にはない。
ここでへまをすれば、これまでやってきた準備が全て水の泡だ。
切り替えよう。いや切り替えるしかない。
瞼を閉じ、息を大きく吸う。
ゆっくりと吐きながら目を開けて、
「最初に断言しておく」
「なんだよ今さら。まさか怖気――」
「お前はかすり傷を付けるどころか俺に触れることさえ出来ない」
「……はぁ?」
上村は一瞬、呆けた表情を見せてから額に手をおき、
「ぷっ……くっ、くくっ……あははははっ! おいおい高校生にもなって中二病かよ。痛い、痛過ぎるっての! ぼっちの陰キャが『かすり傷を付けるどころか触れることさえ出来ない』だぁ? ははっ、超腹痛てえ。くそっ、涙が出てきたじゃねえか。笑い殺す気かよ」
腹をかかえて笑う。言うまでもなく馬鹿にしていた。
「ひぃ……ひぃ……ははっ。お前、漫画やアニメの見過ぎだろ。いじめられっ子が俺TUEEEEを見て勘違いしちまったか?」
「それともう一つ。伝えておくことがある」
「あアん?」
「俺は上村を殺さない」
「それは約束が違うな田村ァ」
明らかにイラ立ちを見せる上村。
やはりこいつは
本当に残念だ。
「言っておくが俺はワザと見逃してやったんだぞ? 殺そうと思えばいつでも殺せたんだ。そんな相手に殺さないだぁ? 失望したぞ田村。お前には興醒めだ」
「お前こそ忘れてるじゃないか。あのとき俺は体調不良で倒れたんだ。本当なら最後の一撃が顔面に入っていた。体調が万全な今、お前に勝ち目はない。それに――」
これでもかと挑発する。全ては作戦を成功させるため。俺たちはもう後には引き返せない。
「お前には殺す価値さえない」
「言ってくれるじゃねえか。俺をイラ立たせる作戦か?ハッ。ずいぶんと古典的だな」
沸々と怒りが込み上げているのが見て取れる。
「違うんだ……上村、お前はもう終わってるんだよ。この場所に約束通り姿を現した時点でな。これから俺はお前を捕獲して監禁する。もちろん二度と殺生はさせない。お前は俺たちに水と食料だけを与えられながら惨めに死んでいくんだ」
「てめえ。マジでいい加減にしろよ。陰キャの分際でよ!」
上村は腰に手を回して、何かを取り出すと同時、それらを投げつけてくる。
それはあのときと同じ、尖った三角状の石だった。
直接上に向かってくるそれを身体を反ることで
ポケットからナイフを取り出し猪突猛進で向かってくる上村。
前談の煽りが効いたのか。大振りだ。
胴体を斬りつけるために振り落とすそれを俺は
かと言って白刃どりをするわけでもなく。
ただ左腕を頭上に上げてそのまま受け止める。
泉のように赤い液体が噴き出す――はずだっただろう。それが生身の肉体だったならば。
「なっ⁉︎」
肉を切り裂く手応えがなかった上村は驚きを隠せず、目を丸くする。
いくらアクロバットが得意といえど腹がガラ空きだ。
俺は内蔵を破裂させるつもりで全力の蹴りをお見舞いしてやる。
「がはっ!」
俺の一撃は無防備な上村にクリーンヒット。
まるでバンジーに引っ張られているかのように吹き飛んでいく。
ナイフで切りつけられておきながら無傷でいられたのにはもちろんカラクリがある。
小手を仕込んでおいたのだ。シャツの下に丈夫な竹を二層に重ねておいた。
もちろん腕だけじゃなく
こうすることで俺は盾を持っていることを視認させず相手の不意を突いてやったわけだ。
この死闘をこちらのペースに引き込むため、小手が一躍買ってくれた。
ここまでは驚くほど作戦通り。そしてそれは終わりまで続くことになる。
畳み掛ける好機。
だが俺は慌てず上村から距離を取る。
離れた先で砂中に隠していた矢筒を背負い、足で蹴り上げた弓をキャッチする。
矢筒から矢を取り出し、糸を引く。
もちろん弓矢は自作だ。
島生活が長引けば魚だけでなく肉も摂取すべきなのは今さらだろう。
つまり野生動物を捕獲するための試作品だ。
作り方もなんてことはない。
弓となる木の両端を細くなるまで削る。持ち手の幅を石ノミで削っておけば握りやすい。
糸を張るための切れ目も作る。弦は樹木の表皮を剥ぎ、繊維をねじりながら巻いて行く。
時計回りにねじった表皮を反時計回りに巻くのがポイントだ。
こうすることでちぎれない弦になる。
弦輪を作り(弓道にハマった時期があって本当に良かった)、弓の切れ目(
続いて矢は苗木の樹皮をそぎ落とし、矢の末端――弓の弦を受ける部分、
島に落ちている鳥の羽を拾い分解し、それの木の樹脂をボンド代わりにして付けて行く。羽が取れないよう糸でくくり、先端を火で鋭くすれば、矢の完成だ。
試し射ちしてみたところ、十メートル離れた先でも丸太に深く食い込むほど。威力は十分だ。
これまで練習してきた俺にとって狙い通りに矢を射ることは簡単だった。
「……っ⁉︎」
ようやく俺の方に視線を上げた上村の顔が一瞬で引きつる。
そりゃそうだ。腹に一発もらって視線を上げた途端、すぐに矢を射ろうとしているんだから。
そもそも弓道部でもない限り、弓矢なんて目にする機会はないはずだ。それが無人島なら衝撃的だろう。
俺は躊躇なく矢を穿つ。
弦をめいいっぱい引き、リリースされた矢は一瞬で標的へ。
上村は矢を左腕で庇ったのだが、
「うん……?」
直撃し、突き刺さっているにも拘らず、反応が薄い――どころか、無かった。
さすがにそれは想定外だったため、脳をフル回転で稼働させる。
包帯の隙間から見えるあの腕……変色しつつある。もしかして壊死が始まってるのか……?
だとすれば痛覚が麻痺して痛みを感じなくなっているのかもしれない。
となると、狙うのは――。
すかさず狙いを変更する。
矢筒から二本目を取り出し、今度は足を狙う。
俺の狙いに気が付いた上村は近距離戦に持ち込むため、低姿勢で疾走。
次々に矢を躱し、
だが俺の心は波の打たない水面のように落ち着いていた。焦りなどあろうはずがない。
歩数にして十歩程度に差し掛かった辺りでそれは発動した。
「うおっ!」
上村の左足が砂の中に吸い込まれていく。バランスを崩し、顔面から盛大にブッ倒れる。
動線を矢で誘導した通り、見事に落とし穴にハマってくれた。
俺たちはこの死闘に挑む前にいくつか落とし穴を仕掛けていた。
全ては勝利を掴むため。
はっきり言おう。今回に限っては闘う前から勝負が決まっている。
唯一、準備に最後まで時間がかかったのは俺の覚悟だ。
砂浜から石斧を取り出し、ゆっくりと上村の元へと歩み寄る。
「――痛ってええええっ!」
上村は顔面と胸を払うようにして、酷く痛がっている様子。
当然だ。なにせ上村が倒れた周辺にガラスの破片を仕込んでいたんだから。
あれだけの勢いで倒れれば、肌に深く突き刺さったに違いない。
落とし穴を避けながら上村の前に立ちはだかる。
「てめえ……調子に乗ってんじゃ――ぐあああああああああああっ!」
――ゴキッと、鈍い音。
躊躇うことなく上村の片足に斧を振り下ろす。
無慈悲に響き渡る骨の砕けた音。
少し前なら考えられない暴行だ。
だが、この場に立った時点で覚悟はしていた。躊躇ってなどいられない。
この決闘で俺の敗北は村間先生と黒石の死に直結する。
それだけは絶対に避けなければならない。今の俺に心は不要だ。協力者がいるとなればなおさらだ。
だからこそ犯罪者の身動きを封じるため、斧を振り下ろさせてもらった。
ここから作戦第二
全てを終わらせるため、俺は感情を押し殺した目で上村を睨みつけ、
「話にならない」
これまでの恨みを晴らすかのように言い捨てる。
「ふっっざけんじゃねえ! 姑息な手ばっか使いやがって!」
「この島にあるものなら何でも使っていいって言ったのはお前の方だろ。こっちは苦労したんだ。落とし穴に弓矢。野生動物を捕獲するためにな」
俺はポケットから縄を取り出して、これでもかと
「そう言えばいつぞやに聞かれたな。守るべきものがある人間と失うものがない人間、どっちが強いかって?」
「……守るべきものがある人間、そう言いたいのか?」
「否定はしない。けど俺が言いたいことはもっと別だよ。あれから考えたんだよ。そもそも前提がおかしいんじゃないかって」
「回りくどいのは好きじゃねえ。言いたいことがあるならさっさと言ったらどうだ」
「お前はもう人間じゃない。だから正しくは守るべきものがある人間と失うものがない獣。どっちが強いのか、だ。そしてその答えは前者。上村、お前はなんで人間が動物の頂点に位置していると思う?」
「……アん?」
「人間は道具と言葉を駆使して文明を築き上げてきたからだ。何もないところから火を起こし、斧を作り、弓や罠を使って動物を狩って生き延びてきた。ただ正面から殺し合いをするために向かってくるお前と、道具を使って確実に仕留めにかかった俺とでは同じ土俵にすら上がれていないんだよ」
「……はぁ、はぁ……これで勝ったつもりかよ」
「ああ。これから上村を厳重に拘束して監禁させてもらう。もちろん悪趣味な殺生は一切させない。お前は俺たちがこの島から出ていくまでなんの生きがいも、楽しみも感じることなく、生き地獄を味わうんだ」
「ふっっざけんじゃねえぞ! 誰がお前の思う壺になんかなるかよ!」
吠える上村を黙らせるため、顔面をおもいっきり蹴り上げる。
「これは船内で俺を蹴り飛ばした分だ」
「くそが……がはっ」
「今のが黒石を酷い目にあわせた分」
「はっ……誰々の恨み、ってやつか? やることまで主人公気取りかよ――うぐっ!」
歯を食いしばり、上村の胸ぐらをつかむ。
いつぞやに浴びせられなかった渾身の拳を上村の顔にぶち込んでやった。
「ぐはっ……!」
「今のは親友の中村を見捨てた分だ」
「っ、ぐっ……はぁー…はぁー…なか、村の分だぁ? 見捨てのはお前も一緒だろ。正義の味方ぶるんじゃねえよ!」
作戦最終段階。そんな言葉が脳裏によぎる。
「協力者は誰だ上村。言え! クラスメイトか? それとも他に教師や乗務員が漂流しているのか?」
「……はっ。ぜったい教えねえ。その方が楽しいからな!」
「吐けって言ってるだろう上村ああぁぁぁぁぁっつ‼︎」
俺の叫びに上村は肩を震わせる。
結論から言って吐いたのは協力者――ではなく血だった。
口から血が一筋流れたかと思いきや、
「ごほっ……!」
「なっ!」
なんと上村は勢いよく吐血。
ただし、ただ吐いたのではなく、最後の抵抗と言わんばかりに毒霧として浴びせてくる。
幸い盛大に浴びることはなかったものの、返り血のごとく頬や額に当たってしまう。
だがそんなことより俺は上村の異変に驚きを隠せなかった。
やはりあの腐った腕が関係しているはずだ。
もしかして上村はもうとっくに限界――、
「俺はな……はぁ、はぁ……今さら死ぬことなんて怖くねえんだよ! 吐血だって一度や二度じゃねえ。何度だって吐いてきた。今さらてめえに監禁されるぐらいならいっそここで!」
上村はどこからともなく隠し持っていたもう一本のナイフを取り出し――、
「――やめろっ!」
半分本気で、半分嘘の叫び。
しかし俺の制止も聞き入れず、上村は喉笛にナイフを躊躇なく突き刺した。
「ごぼっ……ざっ、…ん…ねだった……むら」
口から血を吐き出しながらも、俺の思惑通りに事が運ばなかったことに笑みを浮かべる上村。
たとえ相手が誰であろうと目の前で自殺するところを見せつけられて何も感じないわけにはいかない。
腹の底から沸き上がるものを抑えながら彼の最期を見届ける。
これは俺が――俺たちが一生背負っていかなければならない光景だ。
上村は俺たちに生かされる苦しみよりも自ら死を選んだ。
あまりにもあっけない幕切れだろう。
他に道はなかったのだろうか。そんなことばかり考えてしまう。
だがおかしいとは思わなかっただろうか。
冒頭で俺は上村を殺さないこと、殺す価値もないこと、監禁するつもりであることをわざわざ宣言した。本来ならする必要のないことだ。
ではなぜそれを告げたのか。それは作戦会議まで遡る。
「……上村くんが耐え難いことって何かな?」
「それはやっぱり俺に負けることじゃないですか」
「それもあるけど……でも彼は殺生に喜びを感じるって言ってたじゃない?じゃあ、もしも私たちが監禁するつもりだってことを知ったらどう思うのかな?何かを殺すことでしか快楽を得られない。だからその楽しみを奪う。そう告げられたら――」
そこまで言って俺と黒石は村間先生の言わんとしていることを察した。
要するに、上村の始末を上村自身でやってもらおう。
彼は『殺すべき』ではなく『死ぬべき』人間であると。
自殺するよう誘導できないか。そういうことである。
正直に言えばこれは限りなく黒に近いグレーゾーンだ。
分かりやすい例はイジメだろう。
精神的に追い詰められた生徒が自殺したとき、加害者は直接手を下してはいない。
だから殺人罪に問われることはない。だがそれは本当に人殺しじゃないんだろうか。
死に追いやった人を本当に殺していないと言えるのだろうか。
少なくとも俺は懐疑的だ。もちろん上村は人として踏み外してはいけない道から逸れた犯罪者だ。それは間違いない。
そんな人間でも直接的に手を下すわけにはいかないからという理由で、
結局、それが正しいのかどうかなんて分からなかった。
いや、この世界でわかる人なんて誰もいないのだろう。
だが、俺たちが人を殺めず、かつ、生活の質を落とさないこの作戦は間違いなく第3の案だった。
おそらくみんな心の中では思っていたはずだ。
これだ、と。これしかないんだ、と。
こうして俺は――俺たちはこの島で最大に厄介な問題をようやく解決することができた。
言うまでもなく快勝だ。最初から最後まで全て想定内。
かすり傷どころか、上村に触れられてさえいない。
彼は試合には負けたが勝負には勝ったと、強く信じながら死んでいったことだろう。
だがとんでもない。本当に最後の最後まで計画通りだった。一寸の狂いもない。
上村はそれすら気が付けなかっただろう。
だからこれは俺ができる最後の気遣いと精一杯の弔いだ。
せめて安らかに眠ってくれ――上村。
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