第21話

【黒石司】


 涙の理由がわからなかった。

 私が声を――言葉を失ったとき田村は泣きながら謝ってくれた。

 その光景を見たとき、私が彼にしてきた言動がどれほど浅はかであったかを痛感した。


 田村ハジメは他人の幸せを喜び、不幸を悲しむことのできる人。

 まさかそんな人間が存在していたなんてね。

 正直信じられないという気持ちの方が大きいわ。


 もちろん私がこれまでやってきた仕打ちを考えれば、彼が素晴らしい人格者だと知るのには、時間がかかり過ぎたかもしれない。


 我ながら単純で、卑怯で、浅ましいけれど、私は田村が頼もしいと心の底から思う。

 私が上村と中村に犯されそうになっているとき。

 田村は本気で怒ってくれた。それはもう怒髪天を突くと言わんばかりに。


 けれど私は自分の性格の悪さを自覚せずにはいられなかったわ。

 助けに来てくれたとき、胸に抱いた気持ちを忘れることは一生ないだろう。

「ああ……男好きする容姿やスタイルで良かった」って思った。思ってしまっていたの。


 私は幼少期からたくさんの男に言い寄られてきた。

 腰ほどまである艶のある黒髪とクールな目元。

 出るところはきとんと出ている躰つき。


 容姿端麗、眉目秀麗、頭脳明晰なんて言葉を欲しいままにしてきたわ。

 どことなく棘がある振る舞いをしても、それが同属性の女と上層グループの男子を惹きつける働きをしていた。


 いま振り返ってみれば、愚か、の一言ね。

 自分では賢い女とは思っていたけれどまさかここまでの馬鹿に成り下がっていたなんて……盲目って怖いわね。信じたくはないけれど身をもって経験したわ。


 要するに私は田村が助けてくれた理由が「魅力的な女だから」と思ってしまっていたのだ。

 私(の身体)が目当てで助けた、と。下心による救出だと。

 ……はぁ、呆れて物も言えないわね。


 まっ、話したくても言葉が出てこないのだけれど。

 あっ、今のは私なりの冗談よ?

 ずいぶん余裕じゃないと思われるでしょうけど、こういう自虐でもやっていないと心が沈むのよ。


 ちなみに私の浅はかな思考が全くの的外れだと思い知るのに時間はかからなかった。

 田村は中村の死にも大粒の涙を流していた。

 熱い大粒の雫が何度も何度も私の頬に滑り落ちていったわ。


 なんであなたが涙を流しているのよ……そう思ったわ。


 自分のことを棚に上げるつもりは決してないけれど、上村と中村が彼にしてきた仕打ちは決して褒められたものじゃない。


 イジメ――いや、いま振り返ってみれば犯罪かしら。もちろんやってきたことは私も同じ。

 高校で三大美少女ともてはやされる私たちの中から、ぼっちくんの一番を決めようなんて偽告白を企画したのは上村たちだった。


 空気を読むため、という理由だけで行動に移したのは私たち。言い訳のしようもないわ。

 やりたくもない告白をさせられた私は正直、むしゃくしゃしていたことも事実。

 どうしてこの私が田村なんかに……。そんな見下した気持ちがあった。


 でも今になって振り返れば田村は私たち傷付けないために全員の告白を断ったのかもしれない。誰か一人でも選べばそこに優劣のようなものが発生してしまうから。


 いずれにせよ田村は最後の最後まで中村を助けられないか、きっと葛藤していたに違いない。

 でなければあんなに悔しそうで――辛そうな顔で涙を流すことなんて出来ない。


 私でさえ「自業自得よ」と胸をよぎったにも拘らず、田村は決してそんな気持ちを抱いていなかったんじゃないかしら。

 だって本当に悲しそうだったから。あまりに強く噛みしめる唇からは出血しているほどだった。


 もしかしたら私という足手まといがいなければ、過酷な現実に立ち向かっていたかもしれない。

 中村を置いてその場を後にしたあとも私はずっと胸が痛かった。

 田村ハジメの優しさがとにかく胸に突き刺さってくる。


 過呼吸になったときはずっと私のそばで安心できるような言葉をずっとかけてくれた。

 大丈夫だから。安心していいから。俺がなんとかしてやるから。

 その言葉で私が平常心を取り戻すのにどれだけ頼もしかったかなんて今さら説明するまでもないわ。


 しかも田村の場合は口先だけじゃなく、本当に行動で示してくれた。

 私が熱で倦怠感で支配されているときにはおんぶしてくれて。

 私が彼の背中でウトウトしている間、きっと重たかったに違いない。腕や足腰にだってきてたかもしれない。邪魔だ、と思ったことだってあっただろう。


 それでも長時間、私のために歩き続けてくれた。


 下痢で脱水症にかかった私に薬草を煎じた水(ろ過や沸騰までさせていた)を当然のように差し出してくれて。

 さらに私が寝ている間もずっと見守りと看病をしてくれて。


 ぶっちゃけるわ。こんなに尽くしてくれて――かっ、カッコ良いところを目の前で見せられて惚れるな、なんて無理な話よ。

 上っ面だけでなんとなく上村に惹かれていたときとは違う。


 本気でこの人から好かれたいと心の底から思ってしまった。

 けれどそれは虫のいい話だということもわかっていて。

 良くされたからっていまさら手のひらを返してもきっと田村は喜んでくれない。


 だから私は決心した。

 行動で示そう、と。田村が私にしてくれたみたいに。

 これまでの愚行を少しずつ返却して。


 そして、いつか田村の方から私を選んでくれる女になろうと。そう決めた。


 だから私は言葉が発せなくとも。彼のような知識や知恵がなくとも。

 絶対に田村を助けて見せる。

 死なせない。死なせてなんてたまるものかしら。


 こうして私と田村の遭難生活が幕を開けた。

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