文月のいちにちのはじまり



どこか別次元に飛ばされていた感覚が自分の身体に戻ると、掛け布団に包まりながらのそのそと窓際まで歩く。


“まるで等身大のミノムシちゃんだ”

まだ起きていない頭が早くも仕事を始め出した。


右手で目を擦りながら左手でカーテンをおずおずと開けた。


“うわっ”


掛け布団が床に落ちる音とそれは重なった。


“たいようさん、目がしゅぱしゅぱするから先に言ってよ。いつもいってるじゃないか”


朝日が目に飛び込んできて、私の世界は数秒間、たいようさんに盗まれる。

でも嫌いじゃない、むしろ生きていると実感させられる。

視界が徐々に回復してきたので洗面台に歩き出すと、落ちていた掛け布団に足を滑らせ右足の小指をベッドの角にぶつけた。


“いたいつっ、、、”

痛いとタイツをかけている最近のプチ流行が咄嗟に口から走り出した。


“朝から災難だ、神さまもひどいもんだ”

かわいそうな右足の小指をさすりながらぶつくさ文句を垂れていると、痛みは自分のものではなくなっていた。


洗面台に着く頃には小指をぶつけたことは忘れていて、

鼻歌を陽気に流しながらハブラシの先に2色構成である白と緑の洗剤を付けた。


“いっただきまーす”

しゃかしゃか、しゃかしゃか。

文月(ふづき)は、にやにやしながら磨く。

歯が綺麗になっていくのが心地いいから、自然と顔に出てしまっていた。



私こと文月はおかしな子・変わった子とよく言われる。

たしかに自動ドアが空いた時は、うぃーん!と言ってコンビニに入ったり、

トマトのことを、まとと、と言ってしまう時もある。

それでも、私だってひとりの人間であることに変わりはない。

他の人よりほんの少しだけ表現力が豊かなだけだ。


27歳になる私は、就職支援をするイベント会社の広報部に勤めている。本社が丸の内にあるため、丸の内OLと友達は羨ましがってくる。丸の内レディーだぞー!と親戚のお子ちゃま達に自慢することが楽しいのは内緒にしておく。


仕事内容は宣伝用のポスター作成や企画立案などだ。

文章を書く仕事に就きたかったのだが、

作家になりたいわけではなかったので、

いい塩梅なのが広報部だった。

私がありさんくらいの大きさの時から本を読んで育ってきた影響からか、文章を書こうとすると頭の中の鍵盤が音を奏でだす。

その音に合わせてるんるんと手を動かすと、楽譜は自然と出来上がる。


大学4年の夏、雑誌の片隅にある短編小説のコンクールの応募が目についた。

作家志望ではないのに気づいたらポストに作品を投函していた。

そのコンクールでの作品がうちの社員の目に止まり、お墨付きをいただき入社することになったのだ。


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このコンクールで最優秀賞作品に選ばれたのは、文月の作品だった。しかしコンクールに出ることが目的だった彼女はこの結果を知らない。


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神さまが唯一くれた宝物だ。

あっ、お父さんとお母さんがくれたものでもあるな。


なんて考えていると更ににやけてきて、

鏡の世界の文月は魔女みたいな顔だった。


“うわっ”

目の前の魔女があまりに不気味だったので

平静を取り戻した。鏡越しに見える掛け時計の針は8と4を指していた。


“鏡は反対絵だから、、、あと10分しかにゃい”

舌を噛んで出た言葉と同時に、

野良猫がベランダを通り過ぎていった。


歯磨きをそそくさと終わらせると、顔におえかきをはじめた。


“女の朝はたたかいなのよ、うん、私は10分に勝つ”

と意気込み、手慣れた手つきで顔に色を塗っていく。


“今日のお肌はいい感じね”

土台がいいとおえかきもはかどる、はかどる。

幼い頃から大好きなきらきら星を口ずさんでいると、


“おーわりっ!ありゃ、ファンデ塗りすぎたかな。これも大人の魅力よね”

かっこいい単語を使ってみたが、いまいち決まらないのはいつものことだ。


クローゼットを開けスーツに早々と着替える頃には、時計の針は4から6へと移動していた。


“ごめんね、君たちを片付けている時間がないの。夜になったら迎えに来るからそれまで待っててね”

床に脱ぎ捨てられたパジャマに一礼をして、玄関へとダッシュする。


“あっ、朝ごはん食べてないや”

靴を履いている最中に頭をよぎった。

それでも会社には行かなくてはならないわけで、とりあえず家を出る。



“今日の朝ごはんは、何にしようかな”



昨日と同じ台詞を言ってることに気付かない文月のいちにちはこうしてはじまる。

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