第40話 赤ん坊、加護の実験をする 1

 離れたところに『水』を出せるってことは――。

 いや、もう一つ条件が必要だ。

 ぽかんとしているベティーナに、訊いてみる。


「ふたをしたこっぷのなかに、だせる?」

「えーと……出せると思いますよお」


 机に置いたコップに兄の掌で蓋をして、試してみた。

 傾けたコップの中に、少量水が出現しているのが確かめられた。

 それでも、僕以外の人は別に驚きもしない。

 これも、常識のことだったらしい。

 まあ、部屋の中にいて家の外の小屋の中に『光』を出すこともできたのだ。それに比べれば確かに、驚くほどのことでもないだろう。


「これがどうしたんだ、ルート? 何か思いつきがあるのか」

「ん――わかんない」

「何だよ」

「あした、じっけん、してみたい」

「そうか」


 僕のやり方に慣れている兄は、それ以上追及してこない。

 子守りと護衛たちは釈然としない様子で首を捻っているが、兄が問いを収めたので、それで納得したようだ。

 僕としては、思い浮かんだことが的を射ていたとしたら、かなり微妙な扱いを要することになりそうだ。あまり軽々に口に出せないぞ、という気になっていた。


 その夜は、王都に来て初めて、自分にあてがわれた部屋のベッドで就寝した。

 当然、ミリッツァは背中にへばりついている。

 左肩を生温くしゃぶられながら、悪い夢にうなされることもなく、熟睡できた。


 翌日の朝食後。

 外ではまた祭りの喧噪が始まりかけているが、我が家としては今日、外出の予定もない。

 父も午後から王宮に執務の様子を確認に少し顔を出す程度、ということだ。

 僕を膝に乗せて、兄が小声で確認してきた。


「で、どうするんだ、ルート?」

「うーん……」

「昨日の続き、するですか?」


 ミリッツァを抱いたベティーナも、聞きつけて寄ってくる。

 傍のソファにいた父が、ひょいと顔を向けてきた。


「何だ? 何か面白い遊びでもするのか」

「……ちょっと、じっけん」

「実験? 父も見せてもらっていいか?」

「ん」


『実験』という言葉に興味惹かれたらしく、父は目を光らせている。

 あまり一緒にいることができない息子たちの傍にいたい、という願望もあるのかもしれない。

 一方の母は、子どもたちの罪のない遊びと思っているようで、ただ笑っている。

 夫がそれにつき合おうとするのも、「しかたない人」と微笑ましく思っているようだ。


 ベティーナと簡単に打ち合わせをして、兄に抱かれて厨房に移動する。

 ミリッツァを抱いたベティーナ、父と兄と僕、護衛のテティスとウィクトル、という一行だ。

 不寝番明けのテティスは休息時間だが、昨日の続きに興味惹かれて、付き合うことにしたらしい。

 僕らを廊下に残して一人厨房を覗き、ベティーナが料理人に声をかける。


「ローターさん、ちょっといいですかあ」

「おう、どうしたい」

「今日使う分の野ネズミ、今絞めさせてもらっていいですか? ウォルフ様が絞めるところ見たいと仰ってるです」

「何だ、物好きな。いいぞ、三匹な」

「はあい」


 裏口からみんなで外に出て、ベティーナは厨房横の土間から野ネズミ三匹を小さな籠に移して持ち出してきた。

 作業中、ミリッツァは父が替わって腕に抱いている。

 裏庭隅のそういう作業に使うという場所に籠を下ろして、ベティーナは僕に顔を向けてきた。


「それで、どうするですか?」

「みず、だせるよね」

「はいい」

「ほんのすこしでいい。ねずみのくびのなか、ねらって」

「はああ? 首の中、ですかあ?」

「ん。できる?」

「えと……たぶん」


 ミリッツァには見せたくないので、抱いた父には少し離れてもらう。

 ずっと檻の中にいて弱っているのか、三匹の野ネズミは少し動きが緩慢だが、それでもかさかさと籠の中を動き回っている。

 その手前の一匹に狙いを定めて、ベティーナは手を伸ばした。

 とたん。


 キィィィィーー!


 細く声を詰まらせて、その一匹は横倒しで痙攣を始めていた。

 倒れ、のたうち、転げ、その動きが止まらない。


「へ、ど、どうしたですかあ?」

「しめてあげて」

「は、はいい――」


 慌てた手つきで、ベティーナは籠からそのネズミを引っ張り出す。

 ナイフで首筋を切ると、血を噴き出してびくびく震え、やがてその動きが止まった。

 血抜き作業をしながら、ベティーナは顔を上げてきた。


「どういうことですかあ、これ?」

「きかん」

「へ?」

「みずのんで、むせたことない?」

「あります、けどお……」

「そうか!」理解したらしく、兄が声を上げた。「息を詰まらせたわけか」

「ん」

「どういうことですかあ?」

「人や動物の首の中には、食べ物が通る管と息をするための管がある。その息の管に水が入って、呼吸できなくなったんだ。水を飲むときまちがってむせたときのひどいやつだと思えばいい」

「ああ……」


 頷いて、しかしそれでもベティーナは首を傾げている。

 原理は分かったけど、それが何? という様子だ。

 考えていたウィクトルが、はっとしたように顔を上げた。


「人や動物って――つまり、人に対しても同じことができる?」

「ん」

「一対一で戦闘態勢にあるとき、相手にこれをすれば、一瞬で戦闘不能になるってことですよね。むせ返ってのたうち回るしかない。これ、すごいことですよ。いくら体や心を鍛えていても、たぶんどうすることもできない。我慢しようったってすぐに窒息死しかねないんだから、むせ返る他しようがないでしょう」

「つまり、対戦時での必殺技になると?」

「ああ」


 テティスの問い返しに、ウィクトルは勢い込んで頷いている。

 目を輝かせて、二人はこちらに問いかけてきた。


「わたしたちも、試してみていいですか?」

「ん」


 テティスとウィクトルが、順に残った野ネズミ相手に今の操作を試してみた。

 どちらも同様に、のたうち回りが実現する。

 少し様子を見て、ベティーナがとどめと血抜きを行う。

 ややあってその手が止まり、僕を見上げてきた。


「え、え……それ、必殺技? わたしにもできるってことですか?」

「ん」

「そうだ」考えて、兄が頷く。「こないだルートたちが攫われたみたいなとき、咄嗟にベティーナでも相手を倒すことができるかもしれないってことだ。少なくとも相手の動きを止めて逃げる隙を作れるし、護衛が駆けつける余裕を作れる」

「すごい……です」

「でも、めったに、つかっちゃだめ」

「え?」

「へたすると、ころす」

「そうか、息の詰まり具合によっては、そのまま窒息死する場合だってあるわけだ」

「そうだな」


 兄の言葉に、ようやく思考がついてきたらしい父が加わってきた。

 考えながら、子守りと護衛たちの顔を見回す。


「ウォルフの言う通り、これは護衛としてこれ以上なく効果的な使い方ができそうだ。しかし相手の命を奪う可能性は考えられるし、逆に相手に知られていたら効果が上がらないかもしれない。これは決して他には知らせず、お前たちだけの秘密の技として練習しておくことにせよ」

「はい」

「は」

「承知いたしました」


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