第34話 赤ん坊、父に抱かれる

「ルートルフ!」

「お早うございます父上、はい」


 兄に抱き上げられ、駆け寄る父の両手に手渡される。

 たちまちぎゅうと抱かれ、ちくちくした頬が擦り寄せられる。


「よかった、無事目覚めたか、ルートルフ」

「ちーうえ」


 苦しい抱擁から何とか手を伸ばして、無精髭の頬に触れる。

 僕の声を聞いて、父の目が丸くなった。


「そうか、父が分かるか。賢いな、ルートルフは」


――兄上の口真似をしただけですよお。


 もちろんそんな思いは届かず、何度も苦しいほどに抱きしめられた。

 やがて、ザムの背から上着の裾に手を伸ばすミリッツァにも気がついて、父は片手に抱き上げた。

 赤ん坊二人を両手に揺する。きゃあきゃあと、ミリッツァが笑い声を上げる。

 そんな戯れに満足すると、父は僕らを抱いたままソファに沈んだ。


「ルートルフはよく眠っていたか、ウォルフ?」

「はい、夜中に一度目を覚ましましたが、頭を撫でてやっているとすぐにまた眠りました。ただときどき、怖い夢を見ているようにうなされている感じがありました」

「そうか。昨日はよほど怖い思いをしたのだろうな」

「だと思います」


 見回すと、入口近くにテティスとウィクトルが神妙に強ばった面持ちで立っている。戸口の逆隣に立つ二人の護衛は、先日父が領地に来たとき連れていた人たちだと思う。

 ヘルフリートの姿はなく、父の後方に控える見たことのない中年男性は、王都での執事なのだろう。

 ベティーナと並んで立っている年輩の女性も、こちらの侍女らしい。

 あと料理人くらいはいるのだろうが、何となくこれで使用人はすべて、という気がする。

 兄といくつかやりとりをして、父は侍女を振り返った。


「ヒルデ、朝食はできていると言ったな?」

「はい、赤ちゃんのお食事も用意できたということでございます」

「よしウォルフ、まずは食事だ」

「はい」

「ああクラウス、ルートルフは元気に目覚めたと、領地に連絡を送ってくれ」

「かしこまりました」


 命じられて、執事が頭を下げる。

 父が腰を上げる間に抱擁が緩んだのを利用して、僕はひょいと床に降りた。

 そのままのたのたと、歩く。入口に向けて。

 意表を突かれて、居合わせた一同の注目が集まるのが、分かる。

 目的地まで、ほとんど僕の歩行限界十五歩程度、だった。

 最後は前のめりに倒れそうになって、向かった先のテティスが慌ててしゃがんで支えてくれた。

 頭――は届かないので、高さ限界の肩に手を伸ばして、撫でる。


「ててす、ててす」

「ルートルフ様?」

「ててす、いいこ」

「え――」


 固まってしまった護衛の肩をさらに撫で、それから隣にも手を伸ばす。

「いくとる」と呼びかけると、大男は動転の顔で腰を屈めてきた。

 その肩を、同じく撫でつける。


「いくとる、いいこ」

「ルートルフ様……」


 両手で二人の肩を撫でていると、後ろから兄が口を添えてくれた。


「いつも一緒の者が元気でいないと、ルートは嫌らしいぞ」

「く……」

「それは……」


 大股で寄ってきた父が、ひょいと僕を抱き上げた。

 ついでに、護衛二人の肩をぽんぽんと叩く。


「失敗は今後の糧とせよ。今はそのように顔を強ばらせていては、いざというときの役に立たぬぞ」

「は」

「かしこまりました」


 食卓で、父を挟んで兄と向かい合わせの席に、僕用の高い椅子が用意されていた。

 朝食をとる父や兄とともに、僕も離乳食を匙で食べる。

 隣では、ミリッツァがベティーナに食べさせてもらっている。


「ルートルフは、一人で食べることができるようになっているのだな」

「ええ。ときどき零すので、ベティーナが隣にいないと駄目なのですが」

「それにしても、たいした成長だ。日々見ることができぬのが、本当に悔しいな」

「父上は、今日はお務めはよろしいのですか」

「ああ。この祭りの準備にしばらく休みなく働いていたのでな。今日と明日は休みにしている。明日は夜が舞踏会だから、休みとも言えぬが」

「そんなに休みなく働いて、お体は大丈夫なのですか」

「さすがに限界近かったが、お前たちの顔を見たら元気が回復した――と言うつもりだったのだがな。昨日の騒ぎで寿命が縮んだぞ」

「申し訳ありません」

「いや、それはもういいが。しかし今回の詳細が見えぬうちは、安心してもいられぬ。せっかくお前たちを呼んだが、祭り見物に外を歩くのも考えものだ」

「そうですね」

「舞踏会はウォルフが参加と届けてあるので出ないわけにいかぬが、赤ん坊二人は当分この屋敷から出さない方がいいだろうな」

「はい」

「とりあえずは、ヘルフリートが警備隊にその後の捜査経過を訊きに行っているから、その報告次第だな」


 そのヘルフリートは、昼過ぎに戻ってきた。

 父と兄に報告する内容に、僕も部屋の隅でミリッツァと遊びながら耳を傾ける。

 それによると。

 死体の一つがデスティンであることは、王都の知り合いに検分させてほぼ確定した。

 もう一人については、持ち物などからダンスクの貴族階級の使用人ではないかと推測されるが、それ以上は判明していない。

 他に協力者などがいないかについても、不明。

 例の木造の小屋は、何らかの盗賊のような者の避難場所ではないかと推測される。地下室の袋の中から、盗品の残骸ではないかと思われる様々な品が見つかったそうだ。

 ただこれも、死んだ二人がその盗賊の一員なのか、たまたま見つけた小屋を無断使用していたのか分からない。


「要するにまだ分からないことばかりなのですが、少しだけ気になるものが見つかりました。その地下室の袋の中に、乾燥した植物が入っているものがかなりの量あったそうで。それが、火をつけたものから出る煙を吸うと、幻覚を見せる効果を持つらしい、と」

「幻覚? 要は麻薬の類いか」

「そうなんでしょうね。それで警備隊の方では、もしかするとそれがその二人の死因に関係するのではないか、と考えているようです」

「地下でその煙を吸ったというのか」

「そういうものを燃やしたなどの形跡は、まるでないらしいのですけれどね。燃やした後で痕跡を消したか、もしかすると袋の中からそんな成分が揮発して出ていたのを吸い込んで死に至ったかとか、そのような想像のようです」

「そんなことがあったのなら、ルートルフやミリッツァも巻き添えを食ったかもしれないではないか」

「たまたまそういう成分が部屋の上の方から溜まってくる性質で、助かったのかもしれませんね」

「うーむ……」


 見つからない死因を何とかでも特定しようとする警備隊の苦労が忍ばれて、申し訳ない限りに思える。

 とにかくも、二人揃っての心臓麻痺でも、不思議な麻薬の効果でも、何とか収まりをつけてもらえれば、幸いと思う。


「それにしても、他に協力者がいないかどうかや、ダンスクの者がどこまで関係しているかといったところがまったく分からないので、安心できない状況です。やはりまだこちらは狙われているものと考えて、警戒を続けるべきと思います」

「そうだな」


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